2024年末のような。

年末にさしかかり、「この一年は〇〇を頑張った。」「来年は〇〇を頑張りたい」という言葉を散見する。

この言葉に触れると、
言葉の持ち主が、1年間同じ目標を掲げてブラさずに続けてきた(続けようとしている)姿勢を持っていることにとても感服する

と同時に、
自分の中の時間感覚と世間の時間のズレを感じ、チューニングされる感覚を持つ。
自分は、この先1年という時間的距離にまだまだ当事者意識が持てていないし、せいぜい3ヶ月くらいのことで目いっぱい。

これから少しずつ時間への当事者性を高めよう。(来年の目標。具体が決まっていないからこれから詰めます)

すごい関係ないけど、時間と人間って漢字の構造が似ている気がした。
時間→「時」と「間」
人間→「人」と「間」

誕生日が同じ和辻哲郎さんが、人間を間柄的存在として、「間」を大切にしていて、人と人との間に生きて間柄を作っていくことが「人間」なのであるとさ。(和辻さんの前から既に現象学でも度々話しに上がる話だけど。)

時間も同じなのかな?
色々な時があって、その時と時の間を作っていくことが「時間」なのか。
山のような悠久の時から、虫の短命さが表すような過ぎゆく時、雲の切れ目から差す日差しの光速、

通勤通学で焦る人の時、時間は命だと言わんばかりに効率性を求める人の時、ゆったりと犬の散歩をする人の時、たまにしか会えない友人との会話の時、

色々な人や物の、時があるからこそ、時間としてこの世界に生を受けるのか。知らんけど。

卒論で追い込まれた中で、時間を巡って優しい気持ちに慣れた、そんな朝。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?