卑怯な大人20

不良の片割れの西山は偶然にも幼馴染で

昔、二宮に住んでた頃近くの公園で友達になり

よく俺の家に遊びに来てプロレスの技をかけて

遊んでました。

とことんやるのでやるたびに俺の技が決まり

泣いていたひ弱な奴でした。

「おまえだいか?」

「あぁ お前西山か?」

と言った瞬間子供の頃と同じ肘うちから

膝蹴り卍固めの3連発の得意技を繰り出しました。

横にいた亀井は唖然としています。

子供の頃より更に体格の差ができていて西山は

がりがりのままで背は低かったです。

「どないやねん」「うぅ~」

「お前らいてもうたら~」もう一人の亀井にも

飛び蹴りをくらわして反撃しました。

もうそうなるとスイッチが入り止まりません

亀井はかっこだけで実は西山と同じくひ弱でした。

「相手見て喧嘩売らんかぇ」「ボケェ」

俺も実はそんな喧嘩は強くないのに麻紀の前なので

ええかっこをしてしまいました。

「はよいこ」

その場を立ち去り西灘までの切符を買って阪急電車

の改札に向かいました。

「中元君 喧嘩強かったんやぁ~」

「お兄ちゃんがあいつ喧嘩弱いけど根性あるって言ってたし」

「また私を守ってくれたんや~」

(相手が西山でラッキーやった どうしよかと思たで)

と口から出そうになりましたがその言葉を飲み込みました。

麻紀の俺を見る目が更にキラキラ輝きなんか尊敬されてるような

感じになりました。


いつもプロレス技で泣かしていた奴が不良になり

偶然絡んできたということでした。

結果的に麻紀をチンピラから守ったことになり、今考えて見ると

人生やはり運ではないか特に男女は縁とめぐりあわせやと

思いますね。


そうしてるうちあっという間に西灘につき王子動物園で

デートすることになりました。


ゾウの前は臭いので避けて、子供の頃真ん中の円盤を

回し過ぎて吐いてしまったコーヒーカップとよく乗っていた

ベビーコースターに乗りました。


コーヒーカップは昔のように円盤回してないのですがなぜか気分が

悪くなりました。

ベビーコースターは子供の頃あれほど怖かったのになんと

ちゃちいのにびっくりしました。


ただあまりにちゃちいので途中で放り出されるのではないかと

別の意味で怖かったです。

最後は魔法の城で出口の下がフカフカしてたのを覚えています。

「中元君 好きな人いてる?」

「( ゚◇゚;)エ」 

まさかお前やとは言えるほどその頃は根性がありませんでした。

「彼女おって当然やんね」

「あ、いや おれへんで」

「えーーー うそぉ」

「そしたら私を彼女にしてくれる?」

もう俺は死んでもええわと思いました。

「工工工エエエエエエェェェェェェ(゚Д゚)ェェェェェェエエエエエエ工工工 」

そのあといまもある高級ステーキ屋のれんが亭に

飯を食いに行きました。

2人とも未成年なので本当はダメですが生意気に味もわからんのに

ワインを注文し財布の有り金6万円を払い奢ってあげました。

高校生のくせに精一杯の見栄を張りました。

俺は家が喫茶店をしていたためある意味ほったらかしで

オカンからこずかいをもらい外食ばかりしていました。

同じように家が商売をしていたためほったらかしの同級生が

何人かいました。


その中でうちの3軒隣にあった神戸新聞の販売所の息子、中田昌光と自然に

仲良くなり小学4年生の頃中田と2人でいつも三宮そごう前の2階にある

カレーショップや兵庫県庁前のエンゼルというレストランや

交通センタービル横の高架下にあった虎重という立ち食いそばやさんに

よく行ってました。


2人とも大人の様に行動し特に中田は新聞配達や家の手伝いをして

自分専用の緑の金庫にいつも普通の小学生が持てない大きなお金を

持っていました。


俺もお年玉をたくさんもらって大きいお金を持っていました。

小学6年生を卒業した春休み中田は灘区の将軍通に引越しました。

そこの家に遊びに行った時の事ですが聖徳太子の1万円で60万円ぐらい

金庫に貯めてるのを見せてもらいました。


びっくりしましたがある意味中田は俺より大人でした。

小学5年生の時の話です。

「中田、腹減ったのう」

「ああ」「お好み焼きか関東煮 飽きたなぁ」

いつも行くとこに困ると近所のお好み焼きやさんに行くか近所にあった

関東煮(おでんの事です)だけ売ってる店で牛スジとこんにゃくを

買ってました。

遊んだままの汚い手で食ってたのでよく腹痛になってました。

「中田 たまには寿司いこか?」

「ええー 寿司?」

「中田、なんぼもっとぉ?」

「あぁ 1万円はあるで」

「俺も7千円ぐらいあるし足りるやろ」

「2人で1万円で食わしてくれ言うて 俺ら5千円づつで

寿司いこか?」

またその頃は今の時代の様に回転ずしや安い寿司屋さんはありませんでした。


寿司を食べに行く事は本当にハレの場というか贅沢な事でした。

流石の中田も寿司だけは1人で行ったことがなかったようで

俺が冗談でなくほんまに行く姿勢を見せたため顔色が変わりました。


カウンターが檜の大人が行く店しかなかったので中田の顔色が

変わったのも当然でした。

「おもろいから 行って見よか?」

「あぁ おもろそうやなぁ 店の人ビビるで」

その頃俺たちは大人に色んなイタズラを仕掛けて怒らせるのを

楽しんでいました。


時々本気で怒られビンタやゲンコツを食らう事が

何度もありましたが大人が真剣に対応してくるのが

何故かおかしくふざけてイタズラすることを辞めれずにいました。


「近所はオカンやオトンにばれるから離れたとこしょっか」

近所だと2人ともすぐばれますが三宮の高架下だとばれない

と思い高架下にあるすし屋に行きました。


本来高架下は元生地屋さんだったおやじのテリトリーでしたので

もしか会うかもしれない場所でした。


偶然にもそのおすし屋さんには行ってなかったようでした。

ガラガラ~

引き戸を開け暖簾を顔でくぐると

「いらっしゃいませー」

カウンターはやはり真っ白な檜でできてました。


椅子は糊のきいた白いカバーのかかったベルベットの椅子でした。


足が届きにくく座るのにつま先で立って座りました。


しばらくしてご主人なのか板前のおじさんがジロジロ

俺たちを見まわしています。


親同伴でない小学生が2人偉そうにカウンターに座ったので

おかしいとおもったのか怪訝な表情でした。


奥さんなのか綺麗なお姉さんもニコニコした顔でおしぼりと

お茶を持ってきましたが俺たちの顔を覗き込み不思議そうな顔

に変わりました。

「トロ にぎりで」「俺 エビ」

「ええー」「君ら親は?」

「いや 俺らだけやで」「あ、1人 5千円ずつの予算でお願いします。」

「1人5千円ずつで足りるでしょ?」

「いや。。。」「5千円はそら 足りるけど。。。」

ていうかマスターは絶句してびっくりして大きな目になりました。

「あと俺もエビと焼きアナ」

その頃寿司ネタはエビがダントツに好きでした。


不思議に今では子供の頃の様にエビがメッチャというまで

好きではありません。

「腹減ってるからはよ握って!」

おじさんはしぶしぶ握り始めました。

「自分ら家どこや?」

「えっ加納町」

ですをつけると怒られそうな気がして

ふてた感じで切り捨てた言いかたをしました。

「学校は?諏訪山か?」

「いや 北野小学校」

「おー わしの後輩かほな生中行くんか~」

「何年や?」

「え モグモグ」「フォネン」

「え あはは 食うか喋るかどっちかにせーや」

「5年です」

「そうかぁ~」」

どうやらおじさんは俺たちと同じ小学校出身だったようで

顔がニコニコ変わりました。

「2人ともえらいしゃれてるから北野やおもたわ~」

(ほんまかいな)(しかし単純なひとやなぁ)(でもええひとやな)

心の中でそう思いました。

中田もニコニコしています。

「君らお金いらんわ」「好きなだけ食えや笑」

「え」

「おじさんがご馳走したる」

「いや お金ありますから」

「奢ったる言うとおやろぉ」

「そのかわり大人になったら自分で働いた金で食いに来いや」

(中田は自分で働いた金でしたがww)

奥さんは俺たちが帰るまで不思議そうな表情をしていました。

結局腹いっぱいタダで食べさせてもらいました。

あとでその話をオカンにしたら顔色変えて恥かくとか

言って怒鳴り散らされてシバカレたのを覚えてます。


その後10年以上過ぎて二十歳を過ぎたころ中田とではなく

違う友人とそのすし屋に行くとよほど印象深かったのか俺に気づき

「やっぱ 来てくれたんや 大きなったなぁ~」

「あの後自分とこと友達のお母さん来てお金払いに来てたで」

「はい」「ごっつい怒られました」

「あはは そうかぁ」

「今日はお代きっちりもらうで笑」

「へへ」「自分で働いた金っすよ笑」

「しかしあの時はほんまビビらされたなぁ~ 」

「すんません」

「子供が2人で来て生意気にトロってぬかすから」

「そんなこと言いました?」

「あぁ~ もう1人の子どないしとんねん?」

「いやあいつ違う中学行ってそれ以来会ってないんす。」

「小学校卒業して将軍通まで会いに行ってあいつの家の

隣の空き地にあった瓦、全部試し割で割って」「それ以来です笑」

「ええ~ そうかぁ~」

「自分は今でもあの時と同じ顔やなぁ 」

「( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \」

そこは良心的で美味しかったのでちょくちょく行ってたのですが

阪神大震災のあとおじさんがなくなり店も全壊だったようで廃業したそうです。

続く。。。

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