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バスケットに縁がないわたし。

(イメージ図が全然伝わらずすみません(笑))
小学校の3年生くらいだったのかな、母方の祖母の家にわたしだけで泊まりに行っていた。

父方の伯母のこども(わたしからすればイトコ)たちの地区の大きな球技大会にイトコが選手ででるから、見にいこうとなって、イトコ軍団とわたしと祖母とでいきました。大きなグラウンドで、そこにある競技用の大きなバスケットゴールの上に、高校生の男女が4人座って観戦していて、不思議な光景だったのをいまだに覚えていて、とにかく人が多くてすごく賑わっていたのを覚えている。
そして、わたしはバスケットゴールの前の方にある遊具の上に座っていたことだけ覚えているのだけど、その瞬間に、”あぶないっ!”って声聞こえて、立ち上がった瞬間から意識は無くなったし、その時の暗闇に引き込まれる瞬間もいまだによく覚えている。あの暗闇に行くような感覚私はいまで3度あじわっている。

それは、そのバスケットゴールに4人高校生が座ったままわたしの背中に倒れてきてしまい、そのままわたしは意識を失った。

暗闇の中にいた時、しばらくしてから、大泣きする声、わたしを呼ぶ声、ざわざわとする人の気配。暗闇からだんだんと引き剥がされていくような感じと同時に、冷たい、冷たいって思って目をうっすらあけると、たくさんの人の顔が覗き込んでいた。そのバスケットゴールの上に乗っていた高校生のお姉さん1人が、”よかった!よかった!死んじゃったらどうしようかと思った!大丈夫?”と泣きながら声かけてきた。いまいち理解できず、耳のそばで、白衣を着たようなおじいさんが、”意識戻ったけん大丈夫。よく冷やして”と。。
そう。冷たかったのはあちこちに当てられた氷の入ったビニール袋。
わたしはそれだけの治療!?で(笑)救急車も呼ばれず、ただただ意識が戻るのを待たれただけだったようだ。
なので、レントゲンなんかも全然とってもらっていない。

幸いわたしが子どもの頃から、肉厚すぎて、無事だったのか。。
なかったことにされてたのか(笑)
わたしにその背中の痛みが出始めたのは、あとからだった。
その時は何がなんだかわからず、体が痛いのかも何かも全くわからず。
とにかく、祖母に”おかあさんたちが心配するからこのことは言わないように。これ(アンメルツ)塗ればなおるから。痛いけど我慢して”と、1週間毎日夜、背中全部にたっぷりと、カチカチ山のたぬきのように(笑)アンメルツの地獄にあっていたのだった。
だけど、帰ってから異変に気づいたわたし。エレクトーンを弾こうとすると、座っているのがしんどくなってくるのだ。エレクトーンの椅子は、背もたれがない。
背もたれのない椅子に座ると、背中がだんだんいたくなってきて、長時間座れないということに。

大人になってからレントゲンとっても、何も異常なしで。だけど、とにかく長時間背もたれない椅子はつらかった。

その話を母にしたのは、つい最近。一緒に住むようになってからだ(笑)
そんなことがあったなんてと泣き崩れていました。

自分でも不思議だけど、無傷で生きていたんだよね。って(笑)
骨一つ折れず。圧迫骨折なんてまったくせず。

そんなこんなで、小学校6年生になった頃。
体育の授業で、体育館で男女混合でバスケの試合だった。
わたしがボールもって、走っていたところ、反対側から来た、男の子がわたしのボールを奪ったと同時に、その子の足に見事にわたしは引っかかってしまい、宙を一回転し、指ごと体育館の床にぼきぼきぼきと、前後しながら指を複雑骨折。。
当時わたしは、突き指もまだ経験してなかったし、骨折も経験してなかった。
座ってると3本の指は痙攣を起こし、みるみるうちに、広げても隙間がないくらい、腫れ上がってきた。痛さに耐えれず涙ぐみながら、”これが突き指というものなのか。。みんなこれを耐えてるんだ(この頃結構周りが突き指する子がおおかった(笑))。すごいな。。これはかなり痛い。。と思っていたら、先生が、保健室にいけといったので、行ったら保健室の先生が”こりゃ派手に突き指したね”とちょっと鼻で笑いながら(この先生は、とっても贔屓するので有名だったの(笑)不良ちっくな人たちには優しくするけどそうじゃない子には、上からそんな感じ目線)”湿布しとけば1週間くらいで治るでしょ。毎日湿布かえにきなさい。”と。そこへ担任の先生が様子を聞きにきて、突き指だから1週間くらい様子みましょう。という話で終わっていた。
その日は、わたしはわたしで、エレクトーンのレッスン日だった。学校帰りに寄って習って帰っていたんだけど、どうしてもずっと弾けなかったところが前日弾けるようになっていて、◯をもらいたかったわたしは、その指のままエレクトーンに行った。
先生は”弥生ちゃん、これは突き指じゃないと思うよ。突き指はこんなに腫れないもの!今日はおうちにかえりなさい。病院に連れて行ってもらいなさい。エレクトーンはまた今度よ。”って言われたけど、”嫌だ!大丈夫だからしてかえる〜〜!”とわたしはわたしで先生を困らせて(笑)とりあえず弾こうとしたけど、案の定指は動かず、激痛&指が曲がらない・広がらない・・・・(あたりまえ(笑))そんなこんなで、先生も見るに見かねて”弥生ちゃん。わかったから、もう弾かなくていいよ。がんばったから○ね♪”と、若干腑に落ちない◯をもらったのだった(笑)


ところがその日、わたしの指は夜になるにつれだんだん疼き、激痛に耐えれなくなってきたけど、突き指だという先生を信じて保健室に湿布をかえに毎日いった。保健室の先生は、”なかなか治らないねぇ”と首を傾げながら、”お父さんとお母さんに病院行く許可もらってきて!連れていくから”と、しぶしぶいっていたので、両親に伝えたところ、父がすぐ連れていってもらえと言っていたので、伝えたけど、なんだかんだ引き伸ばされていた。1週間経とうとしていた頃。毎日の激痛にももう耐えれず、父はまだ病院連れて行ってもらえんのか、といってたので、伝えたけど、まだ連れて行ってもらってないといいながら湿布を剥がしたわたしの紫になってきた指を見て、父はすぐ病院行くで!紫にになりよる!指切断せないかんかもしれん。って仕事休んですぐ病院へ。
案の定、病院で”あと1日遅かったら切断でしたね”と言われました。

父は学校へ。なんで早く病院連れて行ってくれないのか。許可を出していたのに、なんでか?とわたしがあと1日遅かったら切断だったという旨を伝えたら。保健室の先生はただただ謝ってただけだった。学校が全部医療費出しますということだったけど、結局それも引き伸ばされて骨折したまま卒業をした。

話は戻って、病院にいってから、すぐ手術と紹介状だされ、その辺ではまぁ。ちょっとおっきめな病院へ行き、手術日を迎えた。
初めて点滴なんぞするわたし。どんな世界だろうと思った。

広い手術室に、ひとりだけぽつん。(それまでは検査検査で血をたくさん抜かれたし)誰1人いない奇妙な空間。
そこへ、ひとりとっても大きな看護婦さんがどかどかと威勢よく入ってきた。

無愛想&めんどくさそうに、点滴をうつということだけを言って、ぶさっとさした。
しばらくまた放置(笑)誰もいなかった。手術代の上で小学生のわたしひとり。だんだん手がしびれてきて、ぴりぴりして痛くなってきて、点滴ってこんなに痛いもんなんだって涙がだんだんでてきたんだけど、泣いているうちにさっきの看護婦さんがまたずかずかときて、”何これくらいで泣きよるんね!!点滴は痛くないんよ!”ってめちゃくちゃ怒られた。”ぴりぴり痺れて痛いです”って伝えたら、看護婦さんが腕をみて”あら、ごめん、違うとこはいっとった!あはははは!”とぶさっと抜いてぶさっと入れ直した(苦笑)あれは忘れない(笑)

まぁ。それのおかげで今後の点滴は痛くないのがわかったので、何も思わなくなったけれど。

それからお医者さんが入ってきて、手術の説明をわたしにする。局部麻酔。左腕のみ。左に顔向ければ、お医者さんと自分の手を手術しているのが見え、左向けば、手術の生々しい実況中継のようなモニターが見え。どちらも首を向けることができず、とっても辛かった。それなら全身麻酔されていっそ眠っていたほうがよかった。あげく、お医者さんは間違って4本指を切開してしまってすいません。まぁ幸い若いので、傷はすぐ治ると思います。と謝っていた。(今だに傷はしっかりのこってます〜(笑))
そんなこんなで、手術が終わったわたしを、こんどは父が”帰るぞ!”と言った。
お医者さんは、1日入院してください。麻酔切れたらわからないんで!と説得していたが、父はわたしを入院させず無理やり連れて帰ることに。
まだ麻酔が効いて天井も床もぐらぐらまわっていた。
どこに足をついていいのか、壁つたいに手をさしのべたかったけど、揺れてどこが壁なのかもわからなかった。それなのに父はさっさと先の方へどんどん歩いていった。父らしいと笑うしかなかった。

中学校3年生の時も、バスケの授業の時に、今度はバスケットボールで突き指をした。これは以上(笑)1週間くらい湿布したら治った。ああ、突き指ってこんくらいのもんなんだって(既に指3本折った経験がそう言わせた(笑))思った。

でもね。指は今だに痛みます。昨年の終わりに、また同じところ鉄の扉と喧嘩しちゃって(笑)打撲してしまったんですよね。そしたらちっちゃい骨!?みたいなんがぴょんってこんにちわ〜みたいにでてて(笑)めちゃくちゃ忙しい時で、病院行く暇と忘れてたら、それからまた時々同じところが痛むんですよ(骨折したところの上を打ったんです・・)そういう時は湿布で、過ごしています。

今日1つネタかけたかな♪(´◡͐`)
(おまけ)
ギプスしたまま、またわたしは山の中で、楽しそうな蔓を発見したので、
片手で蔓握って、”あっああ〜♪”とかターザンごっこしてたら、ブチっと蔓が切れ、骨折した腕からまた落ちたのでした(爆)そして、わたしのバラバラ複雑骨折した3本の指は針金を指の中に入れて固定されていたので、それが落ちた瞬間に刺したので痛くて大泣きしてまた怒られたのでした。(あはっ)