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いとおかし、いとおかし 学際版2

浄土をめぐまれるー「三界」論で性差を超える

ことわざからスタート


「子は三界の首っかせ(枷)」とは、正しき「子煩悩」の意でしょう。
今では、子どもを可愛がる意味だと思っている人が多い。

しかし、これは親が子に「執着」することを言う。
それはまた裏返せば、「愛」とか「孝」とかで、オブラートに包んである「親への依存」をいってますね。
親が子どもを囲い込むのか、子どもが親に首輪をつけて働かせるのか。

昨年の「宗教」を巡る騒動は、実は「宗教」ではなく、こっちです。それは、次のことわざをからめると、はっきりします。
メディアも含めて、「焦点ずらし」してました。

「女は三界に家なし」
これは「三従説」から生まれた、結構新しい、いい草。
貝原益軒『和俗童子訓』(1700年代前半の成立)では、
「凡婦人は、柔和にして人に従ふを道とす。…父の家に在りては父に従ひ、夫の家にゆきては夫に従ひ、夫死しては子に従ふを三従と云ふ。幼より身を終るまで、我ままに侭に事を行ふべからず」

インドのマヌ法典にとかれているので有名です。インド社会はアーリア人が侵入して鉄器で民族支配を果たしたのちに、民族間の交配がすすんで、政治権力と宗教権力が崩壊することで財の消失を経験した結果、男系の血統主義をとり、バラモンとクシャトリアの権力と財の分散を防ぐ、「カースト」制を「法」として習俗として社会基盤として、現在に至ります。

バラモンの宗教は復古主義や新解釈主義を経て、「ヒンドゥー(教)」となっています。

「ヒンドゥー」は、インダス川のペルシア語発音で、アーリア人のための宗教が基盤であることがわかります。多神教で身分制(ヴァルナ=血統、ジャーティ=職業)と結びついていて、いわゆる思弁的なものではなく、儀礼と祈りの行為を中心とした多様な信仰形態をもっていて、ヴァルナを超えた男女の関係をタブーとします。タブーを犯した結果生まれた子は「アウトカースト=罪の子」として徹底的に差別されるのです。

インドの男系主張も、中国儒教の男系主張も、氏族を維持する「血統主義」から生まれた思想。生存資源が乏しい環境では、衣食住の要素が奪い合いになります。砂漠で水。貨幣より食物。草原より洞窟や森林。

宗教(思想=コトバ)が権力であること、王朝が正しく維持されること(政治権力の正統性)が、その社会にこれらを安定供給できる、という経験則。
安定が繁栄。ならば、混沌や無秩序をもたらす行為は嫌われます。

三界(tri-dhātu)とは


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