観測者ログ「番犬」


 空を見上げれば、そこにあるのは巨大な機械の天井。辺りを見渡せば天を突くかと勘違いしてしまうほどの巨大な建造物の数々。歩いているのは普通の服やスーツを着こなした多くの種族達。

 下層とは雲泥の差がある世界、中層。その世界に彼は足を踏み入れていた。

「やっと・・・やっとあの地獄から抜け出せたぞ・・・!!」

 周りの人たちから隠れるようにして路地裏に身を潜めた彼は一人呟く。本来、男はこの場所にいてはいけない人物だ。下層から中層へ上がるためにはある規定を満たさなければらない。だが、彼はそれを満たすことなくここへ来た。

「あいつの言っていたことは本当だったんな。有り金全部失っちまったが、問題ねぇ。また盗めばいいんだ」

 下層にいた頃の男は日々スリをして金を稼いできた。観測者とやらが運営している発掘現場から出てきた者たちをターゲットにしており、幾人もの被害者が出ている。当然、そうなれば逮捕されそうなものだが、不思議なことに男は逮捕されていない。男が特別優秀なのか、それとも彼らが無能なのか。
 だが、男にとってはもうどうでもよかった。毎日、いつ自分が殺されるか騙されるか分からない日々。初めのうちは怯えながら過ごしていたが、人とは慣れる生き物だ。一度罪を犯してしまえば罪悪感などなくなる。

 幾つもの罪を犯した。幾人もの人生を踏みにじった。それは全て自分が生き残るために。

「情報屋の言う通りなら、ここは比較的D.G.が見回らない場所らしい。何人かスリをして金を稼ぐとするか」

 下品な笑顔を浮かべながら指のストレッチをしながら路地裏から出る。自分の実力なら下層より警戒心の薄い奴なら簡単にスることができる。スッた金で何をしよう。まずは旨いものでも食べようか。それとも女を買うか。
 妄想を膨らませていたが、男は舐めていた。下層で培ってきた常識などこでは通用しないのだと、すぐにその身で味わうことになる。

「・・・あれ?」

 一歩、路地裏から出た途端に男は地面に倒れていた。立ち上がろうとするが、手足に力が入らない。何故だ?何故自分は倒れている?何故立ち上がることができない?
 疑問に頭が支配されているお床を尻目に、近付く者たちがいた。

「こいつか。上から連絡のあった奴は」

「そうです。輸送用コンテナに忍び込んで不法侵入してきた下層民です」

 肌や顔を一切見せないように全身を黒で統一し、所々武装した者たち。彼・彼女らを見た中層の住民は離れていき、そこだけ広場ができた。
 男が倒れた理由は簡単だ。待ち伏せをされ、姿を現した瞬間に手足をスナイパーで打ち抜き、行動不能にした。しかも出血多量で死なないように傷口を塞ぐことのできる凍結弾を使っての狙撃で。

「罪状は、殺人・窃盗・強盗など数え切れません。隊長、処分命令を」

「駄目だ。ここで始末しては泳がせた意味がない。侵入したルートや我々の警備情報を垂れ込んだやつの正体を知らねばならない」

 まるでこれから処分されるゴミを見るかのように男を見下ろしながら、隊長と呼ばれた人物は未だに混乱している男に近付く。

「おい、貴様にここまでのルートを教えた奴は誰だ。今すぐ吐け」

 ゴリと銃口を男の頭に押し付けて尋問をする隊長。そこ言葉にハッとした男はようやく現状を理解して憎々し気に睨みつける。その目は憎悪に染まり、手足があれば今にも襲い掛かってきそうな雰囲気だった。

「権力者の狗共が!!」

「そうだ。我々は狗だ。貴様らのような薄汚く、救いようのない屑を拘束及び尋問するのが役目だ。で、どうする?吐くか、吐かないか」

 再度、警告するように銃の安全装置を外して弾がコッキングされる。これで、いつ銃口から鉛玉が発射されても可笑しくない状態になった。生殺与奪の権限を握られた男だが、変わらず不敵に笑って言い放った。

「クソくらえ」

「そうか」

 男の言葉に隊長は何の感情を浮かべることなく引き金を引く。弾丸が着弾した男はビクンと痙攣し、動かなくなった。

「XX月XX日、XX時XX分。脱走者■■■■を拘束。これより刑務所へ収監作業に入る」

「「「了解!!」」」

「あ、あの・・・殺したんですか?」

 動かなくなった男を簡易的に拘束し、光学迷彩で隠していた護送車に詰め込まれる。撃たれて切断された四肢を回収しながら新人は恐る恐る先輩に問う。そんな新人に先輩はチラと護送車を見て答える。

「殺してはいない。『必ず拘束しろ。決して殺すな』とオーダーが来ているからな」

「でも、確かに撃ちましたよね?」

「ある特殊な弾丸を使ったんだ。まだお前たちには使用許可が下りていないから気にしなくていい。今は現場を片付けることだけ考えろ」

「りょ、了解です」

 現場の片づけが終わり、撤収していくD.G.を見ながら人々は生活を取り戻していく。丸で先程の件などなかったかのように歩き出す。
 男の目的は果たせなかった。これは因果応報なのか、それとも自業自得なのか。今まで踏みつぶしてきた人たちの人生が、今度は男の番が来ただけなのだ。きっと、もう日の目を見ることはないだろう。誰の記憶にも残らず、誰にも看取られず男は朽ちていく。

『オソウジ、オソウジ♪』

 気の抜けた声と共に白い清掃ロボットが掃除機で現場の掃除を始め、男の痕跡は何一つなくなった。

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