圧倒的ナルシズム

僕にあるものは、圧倒的ナルシズム。

 そう話すと、他人から茶化されるんじゃないかと、愛想をつかされるんじゃないかなと思っています。むしろ僕は、臆病者なのでこの言葉を使うこと自体非常に精神力を使うものでもあります。

じゃあなぜ、僕は圧倒的ナルシズムを掲げることになったのでしょうか。

1.自分の闇を知った。
 今まで、僕は他人に嫌われたくないので、Aさんが「あれおもしろいよね」と言われたら「おもしろいな!」と答えBさんが「あれつまらんな」と言えば「確かに」と全てに共感するよう意識して他人と会話していました。
 でも、自分の意見を言わずにただただ同意するだけの自分は、こうありたいという自分からかけ離れていました。それを変えようとしてもなかなか変えられず、”あーもうどうでもええわ!”他人との連絡を一切断ったことがあります。
その時の僕の心境は酷く孤独感に包まれていて、自分が自分じゃなくなるかもという恐怖に刺され続けていました。今思えば、そもそも、自分が確固たる自分を築けてなかったのでしょう。

2.揺るがぬ理解者の存在があった。
 そんな僕に”自分”をくれたのが妻です。揺るがぬ理解者が1人いることがこんなにも心強く自信に繋がることだと、僕は知りませんでした。(中学生の時に振られ、高校生の時にもう1度告白し、やっと隣にいてくれるようになった…ということは内緒にさせてください。)
 家族にも理解が得られなかった、僕自身も気づかなかった自分に気づかせてくれた、自分を築いてくれたのが妻でした。妻に関してはもっともっと書きたいことがあるのですが、ここには書ききれないので省略します。

この2つが今の僕に繋がる出来事です。

【自分を好きになれない人は、他人を好きでいる資格がない】
 それが、私の圧倒的ナルシズムにある根幹のテーマです。私は人と接するのが非常に苦手で、その場しのぎの共感をしてしまう人間です。それを変えない限り自分を好きになれないし、好きになれない自分で居続けることは他人からの信頼も得られないはずです。
 そう考えたからこそまず、自分で自分を好きになる。自分の意見をできる限り伝えていく。そう決めた上で自分の好きな音楽。作詞作曲で自分の心境を自分の声でアウトプットしようと考えました。

 そして、今、音楽をアップロードしています。

”僕は僕を失うために生きてきたんじゃない”
長渕剛さんの「逆流」という曲にこの一節があります。

自分を失い生きていくにはあまりに長く辛い道のりが人生です。
どうせ生きるならこういう自分でいたい、そんな自分であり続けたい。
そう考えて今を生きていくべきです。そんな自分が確立できたら、人に、本当の意味で共感、仲良く、好きになれそうな気がします。

僕にあるのは唯一、圧倒的ナルシズム。
------------------------人を好きになるために。

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