美は想像しても、しなくてもいい。
サモトラケのニケが、好きです。
初めて見たのは、美術の教科書の裏表紙にあった写真でした。
「ニケ」とは、ギリシャ神話における勝利の女神の名前です。
大理石でできたその彫像は、首から上、両肩より腕を損失し、おおきく広げた翼を持つ女神の姿をあらわしたものです。やわらかな身体の輪郭を強調するように、衣服は肌へ貼りつき、つよい風が吹いていることを見る者に想起させます。
私はこの像が、ずっとずっと好きです。
ちなみにEテレ「びじゅチューン!」の「Walking!ニケ」も好きです。
好きすぎて、10年前に実物を見に行きました。
フランスのルーヴル美術館、ダリュの階段踊り場にそれは鎮座しています。
写真で俯瞰したサモトラケのニケは、どこか繊細なようにも思えますが、実物は想像よりも大きく、重厚な存在感とともにそびえ立っていました。
wikiで調べると高さは244cm、堂々たる立像です。
階段の踊り場にあるということもあって、この石像の周りは、つねに人々が通りすぎて行きます。近くに座り込んで休憩する人もいました。
サモトラケのニケの近くには、ニケの「欠けた右手」が飾られています。
私はその右手の近くに立って、しばらくニケの全身像を見ていました。まるで、海や空を眺めるかのように。
翼のひらき方や動的な薄衣のたわみ、おへそまわりや腹筋の動き、そして頭部と腕の欠けているところまで、何から何まで好きだなあ、と思いながら。
サモトラケ島(現在ではサモトラキ島)で発見されたニケの制作年は、正確には判明していません。紀元前200~500年辺りと推測されていますが、この像が発見されたのは西暦1863年です。
2000年という、幾星霜もの時を超えて、この像はここに立っている……。その途方もなさに、眩暈がします。
この彫像のどこが一番好きかと言われれると、「欠けているところ」です。
例えばニケの顔は、笑っていても泣いていても、無表情でもいい。こちらを抱きしめるように腕を曲げていても、勝利を告げるために高く片手を掲げていても、どんな所作であってもいい。
それを、想像できること。または、あえて想像しないこと。
菱川師宣の有名な日本画「見返り美人図」は、横顔だけしか見えません。それにより、目の覚めるような緋色で彩られた着物のあでやかさが際立っています。
そして「見えない部分」は、鑑賞者の想像力で補われ、もしくは補われないことによって、美として完成しているような気がしてならないのです。
サモトラケのニケを見ていると、「美」とは、とても個人的なものなのだなあ、と思います。
他人に強制するものでもないけれど、時代や国境や社会を超えて、芸術をすばらしいと感じる心は、通じあうことができる。
ただただそこにあるだけで、涙ぐむほど美しい。
サモトラケのニケは私にとって、そんな存在です。
古代ギリシャの偉大なる彫刻家に、深く感謝を捧げます。
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