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高石ともやさんの猪突猛進と「私の失敗」

訃報とともに、

過去のアーカイブ記事「私の失敗」を読ませていただきましたが、

思い立ったら猪突猛進。

振り回された人たちがたくさんいたのでしょうが、ご本人は、思い残すことが少ない人生だったのかもしれませんね。
お悔やみ申しあげます


たかいし・ともや 
昭和16年、北海道雨竜町生まれ。
41年に「想い出の赤いヤッケ」でデビュー。
メッセージ・フォークの旗手として、ギターを背負い全国を巡る。
44年末に活動を休止し、渡米。
46年にザ・ナターシャセブンを結成し、京都で活動を再開。
60年に解散し、2年後にソロで活動再開。
51年から毎年ホノルルマラソンに参加するなど、アスリートとしても知られる。

http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-17487?fbclid=IwY2xjawEy5ZJleHRuA2FlbQIxMAABHb-aSp7j_MHAxgFitJFx3ol4YtVJnCLoiXJTDBcSIYiUou9YJ-_Obfs5oQ_aem_LBEQNI7LLdNYzNZcZYyGCg

「欲しがりません勝つまでは」

田辺聖子の自伝的小説のドラマ化。
大阪の写真館に生まれた少女のてんやわんや青春記。
「1943年正月、武田写真館の娘で、女学校3年生になるトキコ(藤山直美)は、出征兵士の壮行会で勇ましくタイコを打ち鳴らした。
トキコは人一倍の軍国少女。
この非常時を認識しているようすのないチチ(山田吾一)や、自分を男に産んでくれなかったハハ(高森和子)には、いささかの不満がある。
いまだ健在の祖父母と妹、弟を含めて総勢7人の家庭だ。
ある日、トキコは御真影の安置してある奉安殿に入り、眠り込んでしまった。
人情校長(千秋実)のはからいで、処罰は免れたものの、軍国少女としては大変な不始末。
数日後、奉安殿の焼失がもとで校長は自決に追いこまれた。

【この項、「週刊TVガイド」(東京ニュース通信社刊)1979/09/28号より引用】」
【データ協力:のよりん】
【参考資料:書籍「日本タレント名鑑'81」(1980/12/30、VIPタイムズ社発行)[尾崎弥枝の項]】

音楽 高石ともや

このドラマのテーマソング(歌詞なし)が、高石ともやさんのギターによる作曲で、その哀愁を帯びたメロディラインを、今でもギターで爪弾くことができるほど心に残っています。

私は、ソラ(耳コピ)でこのメロディを奏でられますが、この人が音源を録音しているようですね。

97 欲しがりません勝つまでは
1979.9.24 1979.10.19
高石ともや  ○

訃報とともに、 https://www.sankei.com/article/20240819-URXCBNTGCVPUFLF275HNFEBY2Y/?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR1aTtKcXB6vM96aJW...

Posted by 池淵竜太郎 Ryutaro Ikebuchi on Tuesday, August 20, 2024


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