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パペットが家に届く

パペットカウンセリングという言葉を知った。
素人的にざっくりと説明すると、人形になら心を打ち明けられるような、そういったセルフケアとかカウンセリングであり、欧米では学校教育で実施されているけれど、日本では、まだまだこれからという感じだそうだ。

私がパペットカウンセリングを知ったきっかけの記事での、体験談が自分的に衝撃で、読んだその日はぐるぐると頭を駆け巡って止まらなかった。人形のクラウドファンディング(よく存じ上げないが値段設定的に良心的すぎて利益出ないんじゃないだろうか?)に出資したので、再来月に人形たちが届く予定である。

京アニの事件の裁判が始まり、被告の生い立ちについてニュースを見た。私自身が壮絶な生い立ちではあるし、人にひどいこともしたり、されたりを送ったが、ああいう事件を起こすような状況は迂回できるくらい生活と精神面が健康である。自分は人間だから、加害者になってもおかしくないと心して過ごしている。

かといって今の年齢でようやく、そう言えるけれど、数年前はもっと自信がなかった。今現在も、私とそう変わらないような年齢、もしくは少し年上にあたるような人で、明らかに精神疾患か生まれつきの精神障害か何かがあって、何か壮絶な生い立ちを歩んだであろう人達が、迷惑行為を繰り返し続けているのを実生活で見る。1年近くだろうか、毎晩その人達に愛と安らぎと前向きで建設的な気づきがあるよう祈りを捧げてから眠りについているのだが、ひどい行いは直近でも複数回目撃している。

自分に何ができるか考えたときに、素人の自分がその人達に直接事情を聞くとかいうのは危険すぎるし、また、実りがあまりにもなさそうである。昔はそのような努力の仕方を良しとしていたけれど、何度も悲惨な目に遭ってやめた。何か明るい気持ちとイメージを抱きながら行えることが良いと思うようになり、今回のパペットカウンセリングを知った。

クラウドファンディングに課金して布団に入ったら、蘇ってくる記憶が沢山あった。子供の頃かわいい人形で、かわいいキャラを演じてごっこ遊びをする友達の中で唯一、猛獣のキャラクターを使う自分は、人形と話すのが下手だと思っていたけれど、いちばん古い人形関連の記憶がトラウマもので、受けたいじめや家族の精神疾患とも結びついていたので、その状況で傷ついた自分を守るために猛獣じゃないと使えなかったのだと気づいた。

乳児期に遊んでいた人形についても、上記と類似する思い出になってしまっており、それはふつうの家では起こり得ない経緯の出来事であった。それは穏やかな人形遊びができなくて当然ですと神様が言ったような腑に落ち方だ。

近年すてきな人形をプレゼントして頂き、それを大事にして、「推し活」のように外で写真を撮ることもしている。子供と知り合ったときは、その人形を連れていって自分の緊張を解いているが、パペットカウンセリングのような、人形のキャラを演じて話をするところまでは達していない。これは自分にとって発達させていきたい部分である。子供の頃、人形のキャラでキャイキャイと遊びたかったのだから。今持っているのは指とか手が入るパペットではないので、会話に使うのは向いていないから、専門家の監修したパペットが届くのが楽しみだ。

自分の子供時代に関するトラウマを、線で繋げて整理することができて良かった。宇多田ヒカルさんがくまちゃんという人形と会話をしている話は長年ご本人が公開されていることだが、私もセルフケアの一環として当初から真似をしてみていたものの、何度やっても人形の言葉が出てこず驚いていた。何もしゃべらないものとして大事にして、何となく人形の機嫌が良さそう悪そうとか、私に幸せでいてほしいと思ってくれてるとかの感情を描くことはできるのだけれど、自分とのおしゃべりをさせようとすると凍り付いたように止まる繰り返しであった。

誰かに対してのセラピーとして人形を使うのは教育とか医療とかのプロの専門だと思うので任せるとして、私が自分のセルフケアをすることで、ゆくゆくはパペットカウンセリングの広がりに貢献することに繋がり、感情表現で凍り付かず、安心して発達を伸ばしていける子供や大人が増える一助になると思う。大好きな人形との関わりが思うようにいかない葛藤と苦しみに光が差し、やりたいことが出てきてくれて良かった。

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