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いちおくえん踊り【4】100年後に残したいもの

皆様、こんにちは。
いちおくえん踊りを引き続き、楽しく踊っています。

私が推しているくまさんのnoteで、最近「100年後」というキーワードが何度か出ていたので、100年後に残したいものは何だろうと考えていました。

芸術家ではないし、子供をもつつもりもない私が、100年後の地球に残して生かしてもらえるのは何だろう。

貯金とか、親しい人に与えた影響とか、そういうことは名もない光として世界に溶けこむでしょう。

しかし、「れいな財団」として運用し続けてもらうような額はないし、私に影響された人達が記念館を作るとか、私に関する展示をおこなって人々に伝え続けるような規模でもありません。

だから、目に見えないかたちで当然残るであろう、私が生きた気配を「100年後に残した」と呼ぶのはピンと来ないなあと、延々考え続けていました。

とはいえ「私が100年後に残せるものはないから」と言い切ってしまうのもさみしいし、せっかくだから目標としてだけでも掲げたほうが、景気よく、楽しいように思いました。

しかし、何が残せるでしょうか。


100年続く信用組合

よく通る道沿いに住んでいるお友達ができたことで、そこに信用金庫信用組合があることに気づきました。
私は、信用金庫とか信用組合が何なのかも分からなかったのですが、銀行のように口座を持てることまでは知っていました。

信用金庫とか信用組合は、銀行と比べてもっと狭い地域の団体で、地域で助け合うためにつくられるのだそうです。

近所の店舗を見ると、それぞれ、大手の銀行と比べて静かなデザインの看板で、小さな建物に感じます。
お年寄り向けの手書きの広告が貼ってあり、自分には関係ないと思っていました。

ここしばらく、近所では、一度も行かないままに閉店する個人経営店が続きました。
確かに、もっと大きいお店とか、もっと若い人のお店に行っていたなあと振り返りました。

信用金庫とか信用組合も、私が行かないままになくなってしまったらどうしようと思い、ホームページを見てみました。

信用組合は、100年近く前に、この地域で大震災が起きた頃、人々で助け合おうという趣旨でつくられた組合だということが分かりました。
それを知って、今まで距離を感じていた信金や組合が、いきなりグッと鮮やかに見えてきました。

例えば、大手の銀行で口座を作っても、いつもの八百屋で野菜を買うようには血が通った関係になることは難しいです。
もちろんすごく感謝しているし、とあるネット銀行にお礼の手紙を書いて、部長からお返事を頂いたこともあります。

ただ、実際に働いている方と顔を合わせないままにも使えてしまう現代の銀行選びは、難しいと思っていました。
そこで早速、本日、地域の信用組合と信用金庫に、それぞれ口座を開設しました。

次の100年間も、地域で事業をしたい人々、暮らしていく人々が助け合い、励まし合っていってほしいと思ったからです。

開設目的を聞かれたとき、今までは生活資金のためとしか伝えたことがなかったのに、「貯金のためです。定期預金も視野に入れています」と答えたとき、おおお~ちょっと大人になったな~~~と思いました。

組合員になったら、出資側に回れるので、
「定期預金を始めるときに、組合員に加入することもご検討下さい」
と言われ、新たな目標が見えてきました。

いつもカーテンが下りていて、暗く古ぼけて見えた店舗でしたが、入ってみると、こじんまりとしているけれど落ち着いた空間で、明るくていねいな対応を頂きました。

この地域の、昔の写真をまとめた本が置いてあり、待っている間に開くと、白黒写真が並んでいました。

写真を撮られることに、かちこちになっている子供とか、すごくポーズをつけている子供とか、ふんどし姿で笑っている祭りの大人たちの日焼け具合など、当時のいきいきとした人々を見ることができました。

これは余談です。
私の印鑑はフワフワした毛の長い犬が彫ってあります。
口座の登録に使えるか確認して頂いたところ、

受付員「絵があること自体はいいんですけど、毛並みのところが細かいので、印鑑の照合ができない可能性があるので他の印鑑ありませんか?」

と断られました・・・!残念!

100年続く公営バス

この地域を走る公営バスも、100年続いています。

近所で、バス大好きなお友達ができたことをきっかけに、調べました。
先ほどの信用組合と同じで、大震災でがれきになってしまった町で人々の生活をまかなうために始められたものでした。

それを知ってからは、より大切に思い、感謝しながら乗るようになりました。

私は障害者なので無料ではあるんですが、乗る人、運営側、皆の幸せを祈りながら継続してバスに乗ることで、バスが続いていく一助になるでありましょうし、それは、100年後の人々の生活を支えることに繋がっていますよね。

100年以上いてくれている神社の狛犬たち

先日、とあるお方と近隣の神社を回りました。
私の住む地域は、何百年も続く寺社仏閣が、ところせましと立っています。
境内の狛犬さん達は、不思議と、いぶされたように黒くなっていることが多いです。

その日、なぜか「このお方を連れていかなくては」とまぶたに浮かんだ、とある神社がありました。

私たちは電車とバスを乗り継いで、その神社に移動しました。
そこの狛犬さん達は、黒くなっているだけに留まらず、顔や体が大きく欠けています

経年劣化のような少しの欠損ではなくて、ぶっ飛ばされたようになくなっているのです。
地震で倒れて割れたとかでもなさそうな、唐突な欠損。
そんな状態の石像や石塔を見たことがありませんでした。

一人で訪れたときも、どうしてそこまで欠けているんだろうと思って、目が離せず、じっと見ていました。

一緒に行ったお方が、
「これって戦火で焼けたんでしょうね・・・」
「ここまでの欠けは、爆弾ですよね・・・」
と感想を漏らしていて、そうかその可能性があったか・・・と驚いたのでした。

この地域は、とある年に100回以上の空襲が行われた場所です。
狛犬さん達は黒焦げになりながら、時には身代わりのごとく顔や前足を吹き飛ばされながら、地域の人達を見守り続けてくれたんですよね。

狛犬さん達は焦げていても、顔をぶっ飛ばされても、柔らかい温かい雰囲気のままでいてくれています。

次の100年も、彼らの見守りを受けることが、人々の暮らしには大切です。
地域の神社を訪れて手を合わせるのも、100年後の世界へのプレゼントとして残せる習慣だと思いました。

お賽銭もそうですが、厄除なんかのご祈祷を依頼するのも、受けた自分も清まりますし、神社にダイレクトにお金を渡せるので応援になりますよね。

意外と100年後に残せることがたくさんありそうです。

いちおくえん踊りを100年後に残すには

いちおくえん踊りも残ってくれないかな・・・残らなかったら100年後の日本人の夢枕に立って、

私「これ、この舞を見よ!
お風呂上りとか、思い出したらやるのじゃ!そして広めるのじゃ!

と言って、頭を右に左に傾けながら腕をぐいぐい曲げて、
いっちおっくえ~ん
と踊るのも手かもしれないですよね。
怪しいと警戒されて、お祓いされちゃいますかねえ。

それで言うと、このいちおくえん踊り、もしかしたら私が始めたものじゃない可能性が出てまいりました。

100年前に生きていた誰かから、
こいつはいちおくえん踊りをやらせるのに適している・・・
と見込まれて、潜在意識にアイディアを吹き込まれ、託された可能性も出てきますよね。

当時の1億円って相当な金額ですよねえ。
今の時代だったら1億円持っている民間人って、日本人の何パーセントだったか、相当いるようですけれども。

いちおくえん踊りは、私の場合、肘を曲げたまま手を握り、腕をぐいぐいと左に右に動かすんですが、

その動きであらわれる四角形みたいな空間は、先日、日本銀行本店で持たせてもらった1億円の模擬紙幣と、たまたま同じ大きさです。

近所のおばあ様が球根から育てたお花。
「お花の名前・・・何だったっけ!」
と言いながら家の中から鉢を持ち出して、
見せてくれました


かつて、この地で起きた戦争とか、大震災のことは、もちろん悲しいことではあるけれど、ふだんの生活ではなるべく考えないように敬遠していました。

よく怪談話であるような、当時の幽霊に取りつかれるとか、関心を持たれて寄って来られるとか、当時の敵国を恨むことに時間を割いてしまうとか、考え方が偏って誰かを攻撃したくなってしまうとか、そういうことを怖がっていたからです。

今までは戦火とか震災の跡がよく認識できないでいたけれど、それぞれのお友達をきっかけに関心を持って掘り下げていくと、見えてきたことがたくさんありました。

人は協力するから変わっていけることがあるんだなあと、最近よく感じます。

読んで頂き、ありがとうございます。
次に皆様がATMで預入をしたとき、パカッと開いた紙幣入口から、丸い目の妖精が顔をのぞかせて「モーーーーーーふぁーーーーーーーー」と言うおまじないをかけます。

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