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区切りをつける

8月から、精神科医の益田先生のYouTubeをずっと見ている。益田先生は、精神科は経営的な理由で、再診時間5分が平均だという。私が知っている精神科(心療内科)を思い出しても、そうだろうと思う。

患者さん達と、もちろんもっと話したいが、それは不可能だから、試行錯誤の末YouTubeを始めたそうだ。

そういったことを含め、精神科の臨床に関する動画が沢山あるから、ひたすら観ている。

ある日、公私ともに関りがある知人の発言が引っかかった。
その人が気に入らなかった、過去、私がいない状況で、私と関係なく発生した出来事についてだった。

私はひたすら驚いたし、noteを開いて、その発言に対して思ったことを書きこみ、整理した。はっきり言って、聞かせないでほしかった、というくらいきつかった。そんなことを考えてたのか、と。選民意識、という単語が頭に浮かんだ。

何でそんな認知を抱いてるのか、探りたくて、その知人の過去数十年間の出来事を絡めて、書いた。そうやって文字にすることで、気づくこと、整理される不思議を思う。

あまりにプライベートの暴露になるだろうか、と思って、保存したまま、公開投稿はしなかった。

今日、朝目覚めてから辛くて、この件について、布団の中で発展した考えがあり、また新たに、長い下書きを保存した。
一度出かけた以外は、一日中、床に寝そべっていた。そして、益田先生の動画をまた、ひたすら見続けた。膨大な過去動画がある。

とうとう夜になった。気づいたことがあって、それは、私があの下書きに保存した内容を、知人にさりげなく伝えるということは、ほとんど、精神科の臨床の領域ということだ。

部分的に、精神科医が使っている手段をとるということだ。
それで、私は、そこまでする意味があるだろうか?と思った。

それに応じた見返りが思い浮かばない。
私が精神科医であれば、そういった葛藤を抱き、自覚的に解決したい患者が、こちらを精神科医だと認めて、話をしようという心構えで病院を訪れてくれた時に、対応すればいい。
でも、私は医者じゃない。
その知人が、少しでも心に残して考えるであろうタイミング、ムード。それを、日々見計らっていく、私の気力よ。

これは子供の頃、精神疾患のある親に対して、気力を向けていたのと同じ心の動きだ。そういう子供を、益田先生は、ヤングケアラーと呼ぶ。祖父母の物理的な介護をしていた子供のことだけを、呼ぶんだと思っていた。

ヤングケアラーであったがゆえに、大人になってから生きづらくなって精神科治療を受ける人達がいるのだそうだ。精神疾患のある親の元で育った、私も当てはまると思う。

この知人は、お世話になっているが、いくつかの精神疾患があるとはっきり思う。そのうちのひとつは、益田先生が、医師として自分では治療がほとんどできない、と話している、自己愛性パーソナリティ障害だと思う。

もしくは診断が下りないとしても、その要素がある人だ。

益田先生ですら、ほとんど無理だ、患者さん達よ、そういう人に出会ったら職場で距離を置くんだと言っている感じの相手に、何ができるだろう。
縁があったから、色々と温かい交流もあったけれど。

また、以前twitterで見た、「ふつうの女性が、キャバクラ嬢やクラブホステスのような対応を学習して、ふだんの職場などで男性にするのは、明らかに負担を抱えすぎ」といったtweetを思い出した。

私は、自分の身内に対しても、もしくは縁があった沢山の人に、精神科臨床的なアプローチを試みていたんだと思った。発達障害と、ヤングケアラーの過去が影響して起きていた心の動きだ。

それは、疲弊するはずだし、見返りもないだろう。
私はヤングケアラーだったし、そういう自分のまま、30歳手前まで来てしまった。だが、益田先生は、ヤングケアラーはその分、自分がのびのびと子供でいる気力を使えなかったんだという。世の中の多くの人は、あの気力を、自分の為に向けていられたのか。考えられない。

思えば精神科関連の本を読み始めたのは、高校生の頃だった。それまでは、本を開いても頭にうまく入らなかったから。

私の親戚が、精神科の本を代理で書く仕事をしていて、その関係で、精神科の本が山ほどある環境だった。数限りない献本が仕舞われていた。私は一生懸命読んだ。理解すれば親の精神疾患が改善し、実家、ひいては親戚関係も良くなると期待したからだ。

私は、知人に対し、そして他のすべての、私の頭に「精神科臨床」がよぎる反応を感じたら、もう、かるく一線を引いて、何もしないことにした。

何かの折に、べろべろっと、長文に書いた思いを知人に暴露してしまうかもしれない。長年ヤングケアラーだったのだから、そんな癖が表れても、不思議じゃない。それは、きっと今更だから、知人は聞き流すだろう。

ヤングケアラーから脱することは、できないかもしれない。私の脳がもう変形、変質しきってるかもしれない。

でも今回、新しい仕事を始めて、わりと頭に余裕がないので、少し、マシだ。また、その仕事は目標への橋渡しだ。
目標に向けて、資格勉強があるから、ありがたい。

前までは、一種のばくちみたいな勉強や、副業をしていた。英語学習は、上達してもお金に繋がらないことの方が多いし、副業で取り組んだアフィリエイトブログは、結果が出にくいので先に体を壊してしまった。

今取り組んでいる資格は、その点、取得までの期間が比較的短いし、仕事に結びつけやすいので、将来確実に収入になると思えるから、気分がましなのだ。

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