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実家と縁を切り続けるということ

10年以上準備してきて、やっと実行できた、生存している親きょうだいの法的な遮断。貧しくて障碍のある私では出来ないかと思っていたが、実際、参考になる体験談がすくなかった。今回は、小さな見出しに分けて、書いていこうと思う。


宗教2世との共通点

元首相の銃撃事件で、宗教2世について知る機会が増えて思ったのが、私の生まれ育ちが、宗教2世とすごく似通っていることだ。
インタビュー動画を見ていても、私の知ってる表情をするなあ、この人、と思った。

私のような400年続く家系というのは、宗教と同じくらい続いていく基盤なわけだから、そりゃ、法的に縁を切って断絶しないと、私は平穏な生活に逃げられなかったよなあと納得いった。

また、以前、幸福の〇学の総裁の長男にあたる方が、YouTubeで色々投稿しているのを見て、すごく救われると同時に、私の家は有名人じゃないし、現在大きな収入もないし、お家芸のようなものも無いから、私が同じように傷ついていると思うのは大げさではないか、と悩んだ。

でも統一教会の2世インタビューを見ていたら、あの女性も私と同じで、親との関わりは、特に収入には繋がらないし、時間も気力も食うし、じわじわと精神をむしばんでいた。それを見ていて分かったのは、私が「私の場合も大したことないのでは」と悩んでることが、傍から見たら小さな違いで、うちの実家も同類ということだ。

YouTubeで、精神科医の益田先生が、
「家業があって、家を継がなければならないとかだったら、別だけれど、そんな人ほとんど居ないですからね」と言っていたけれど、

私はその、ほとんど居ないのほうに含まれるわけだった。そりゃ、かかわりを続けてジタバタしても改善は無理だと、やっと思った。


他人の事情と比べない

昔、宗教2世の当事者に出会い、打ち明け話をしてもらったときも、状況がすごく似ていると思った。

私自身、新興宗教が活発でない地域の出身だった。
もしくは、実家の問題が多すぎて、親戚の結束が固すぎて、他人の家の事情があまり届かないだけだったかもしれない。

新興宗教で辛い思いをしている、と語る話を生で聞くのは、そのかたとの出会いが初めてだった。

「宗教の方が直接参加してる人数が多いだろうし、働き盛りの年齢の人も多いだろう。没落旧家で格式を失い、一般人になったとされてる私の家より、大変なはず」と単純に受け止めてしまい、それ以上考えが深まらなかった。


遺族の語りを聞く

法的に、実の親きょうだいを遮断したことで、家族と死別したかたの語る動画やSNSが、気持ちに染みてくるようになった。

やはり多少の後悔や葛藤はゼロじゃなくて、継続的に付き合っていくものだから。


「普通の家」は「普通の良い家」のこと

恋人の実家の話を聞いてるとき、私が何か問いかけをすると、驚かれる。

先日はとうとう、
「君んちみたいに、皆、そういう家ばっかじゃないんだよ。オレんちは普通に仲良くて、いい家だよ」
と言われた。

本当かなと思っていたけれど、少しずつ聞くと、やはり、私が実家に対して諦めて飲み込んでいた要素が、恋人の親族関係には存在しないとしみじみ知らされる。色々共通点はあるのに、どうして、そうも道が分かれたんだろう。

先代が変なタイミングで、妙に不運な目に遭ったり、難病になったり、明らかに発達障害の傾向が強かったことや、代々蓄積した恨み辛みによるものだろうか。


SNSはブロックしない

インターネットやSNSの発達に伴って、自分が法的に遮断したはずの身内とも、連絡を取ろうとすれば、すぐに取れるし、画像のやり取りだって数秒でおこなえる。

LINEでの繋がりを残しているが、先日、親から、私が感情的に言い返すであろう、定番の問いかけが届いていた。
もう何年も、何度も続けた内容で、祖母の遺品はどこにありますか、ということだった。以前の私だったら、だから前にも答えたでしょ、とムキになって連絡をしていた。

まだ高齢じゃないのに同じ問いかけを何度もしてくるのは、やはり、発達障害もあるし、病院で治療中の、他の精神疾患もあるのだから、当然なのだろう。意地悪で継続できる行動じゃないと思う。結果的に意地悪になっているのだが。

昔の私だったらブロックしていたが、やはり親が変わってないということを知るだけでも、妙な期待を持たなくて済むから、返事をしないにしろ、残しておいた方がいいかもしれない。

ブロックしたうえで、電話番号やメールアドレスに、わざわざ連絡が来た場合、本当に緊急事態だと覚悟して連絡を受けとめてしまう。
実家に要求されるままに、揺れ動かされ、自分の所在地を明かしてしまう可能性がある。その後で、いつもの脅しだったと気づいても遅い。


カルト村は継続力がある

はらはらと葉っぱが落ちるように、親が亡くなったり、親同士が離婚したり、親の方から家出して離れていくことで、生活上の繋がりが終わるパターンもある。私の家は、強固な基盤のある、それこそ宗教と同じ続き方をしている家なので、それは起きえない。とても遺伝子が強くて、農産物もあるので、皆、長生きするはずだ。

親が1人暮らしの家まで追いかけてくる、宗教2世のかたのエピソードをtwitterで見たが、私にも起きたことなので、私の実家は、それこそ本当に宗教みたいに継続しているんだろうと思う。

実家的にはメンバーが欲しいから、私の出戻りを、いつでも待ち構えていると思う。カルト村出身のかたの本を読んだり、脱北したかたのエッセイを読んだが、彼らも、戻ろうと思えば戻れる(脱北したかたの場合は、どうなんだろうか)。でも、再び心身にダメージを負うはずだし、もう一度出てくるのは至難の業だ。


「森の中」と「不運」、そして「森の外」

親きょうだいと、関係を改善できるはずだという立ち位置には、いつでも戻れる。そうすれば、他人から、家族について聞かれたときでも、いちおう同じ立場で話せる場合が多い。YouTubeで益田先生が語るところの、「森の中」に「戻れる」んじゃないかと期待してしまう。

だが、実家は「不運」ゾーンにあって、それは、下手したら何百年か不運なままで、「森の中」に居たことなんて、本当はないのだ。精神科に通う「森の外」ゾーンから、精神科通院を終えたとしても、「森の中」に戻れるわけではなくて、「不運」に戻るだけなんだと益田先生は語る。



「森の外」で生きていくという選択肢もあると言われるが、私は、どうだろうか。

生活していて、人と会ったとき、たまたま、例えばダイコンの話になるとする。会社帰り、たまたま一緒に歩いたら、販売中のダイコンが陳列してあった、とかでも良いし。そのときに、「私の実家もダイコン作ってますよ」と何気なく答えるとするでしょう。カルト村だって農産物は作っているわけだし、植物や畑と自分の思い出や繋がりは、また別のことだから。ダイコン収穫しながらタコ殴りにされてた訳じゃなくて、そのときは、空が青いし土は良い香りだった。ダイコンは美味しかった。そういう、良い思い出もあって当然だから、つい答える。

そこで、「森の中」の人だと判定されてしまう。
両親と仲が良いはずという前提で、話して良い話題なのだろうとして、プライベートに突っ込んだ会話が進んでしまうことは、ざらだ。

また、自分が「不運」出身かつ、それが普通だから、ちらっと語ってしまうことで、相手に衝撃を与えてしまうこともある。まさか、ダイコンの話から、親と喧嘩中どころじゃない「不運」が地続きだなんて相手は想定していないのだ。そこで、そんな「不運」な人が家族について語るわけないでしょう、などと返されて、今度は私が衝撃を受けたりする。


「森の外」であっても、生活する社会は同じ

そういった二次加害、二次被害を防ぐため、もっと自分の身元を隠さなくてはならないのだろうが、それは大変だ。

とにかく、今回この投稿を数日間かけて書いてきたことで、私の実家はカルト村とか新興宗教にそっくりだと言語化できて良かった。今後、他人の前で、自分の身元について語る際、どのように注意したら良いのかが、少し見えた。


恨みが整理されたからこそ、別れられる

この春、YouTubeで、親や義実家を法的に遮断した話の、2ちゃんねるまとめ動画を沢山見た。それらは、なぜか皆貯金がある人達のエピソードで、皆正社員で、弁護士を雇っているのだった。どこまでも追いかけてくる配偶者、親や義実家の遮断に成功した話は、それぞれ励みになった。

皆、相手を嫌いと認められないところから始まる。その葛藤が、毎回書いてあるから、じれったいような気持ちになったが、実際に「恨んでいる」だけでは行動ができないのだとも分かった。

気持ちの整理がついているからこそ、また、自分や配偶者、子供の幸せを優先に考えるからこそ、次の段階である、別離へと進めるのだ。
人と離れるということは、大体の場合が仕事を続けながら引っ越しもするし、さまざまな書類手続きも並行して進めていくということだ。
ドアノブのひねり方の癖を覚えることから始まり、新しい環境とのつじつま合わせを沢山していくこととなる。
現実的に大仕事なので、恨むぶんの気力も使わねばならないため、行動していくと、それほど恨めなくて驚くこととなる。

これは他の手段でも体感できることで、例えば地方で住み込みの農作業を短期間従事したことが何度かあるが、転地して、しっかり体を動かすことで、ある程度爽快になる。

しかし、その期間を終えて正月などを迎え、実家に顔を出すとき、混乱する。転地や単純作業による気分の転換を、実家の問題が改善したのではと混同してしまい、更なる悩みを引き起こしたことがあった。よくドラマであるような、転地して明るくなった子供の顔を見て、親の気持ちがほぐれ、関係が改善して笑い合う、などといった程度の状況ではないのだ。


お金のない人の手段

私みたいにお金も何もない、体の弱い障碍者が、実家を法的に遮断する実体験を読んだことがない。経済的に余裕のある相手と結婚して、その配偶者が代わりに負担してくれるといった内容があったかもしれない、くらいの記憶だ。
弁護士がいない分は、自分が動き回らなければならない。また、何か連絡があれば弁護士を通してくれ、と言えない。

私は現在、相続放棄をいちおう考えているが、弁護士に依頼するつもりがない。そうすると、依頼した問題が終わるまで、弁護士を代理人として立てて、親きょうだいからの連絡を代わりに受け取ってもらうことも出来ない。

DV措置支援(住民票の閲覧制限)をかけたとき、必須ではないが、警察署に相談に行ったのが良かった。警察官が「ご家族が家に現れたら、警察に通報してくれれば、駆け付けますので」と言ったことを、親にLINEでそのまま伝えた以降は、一応連絡が止まっている(もう1人の親からは、先述した一文が届いたが)。

弁護士に依頼した場合は、案件が終わるまでの代理人だが、警察が「家に来たら110番で通報してくれ」と言ってくれたことや、警察に相談履歴が残ることは、基本的に有効期限がないはずだ。
今まで親から「連絡してこないなら警察呼ぶぞ」と言われて縮み上がっていた私の、心強い支えとなった。心強いと言っても、毎日葛藤があるのだが、だいぶ、クヨクヨしなくなったと思う。


毎日言い聞かせる

私とは逆で、子供に縁を切られたご家庭へ、数日泊めてもらったことがある。しかも、そのご家族から聞いたわけではなく、他の人からこっそり明かされたことだった。子供(きょうだい)に対して、相当なことをしたはず、とのことだった。
ご高齢のご両親がいる実家へ、孫と里帰りする子供について行った。縁を切ったというのは、その、きょうだいのことだった。

そのご家庭は芸術分野で活躍している方々で、自然を愛し、エコな暮らしをしていて、家の中はピカピカだった。夢のような料理を食べさせてもらった。色んな部屋に通してもらったけれど、出て行ったきょうだいの写真や持ち物などは、一切目に留まらなかった。ご家族はとても幸せそうに過ごしていた。

そのご家族とは、それっきり個人的な交流がないが、子供が縁を切ったからと言って、ご家族には、特にダメージはないなと思った。子供が縁を切ったところで、残った子供に孫が生まれ、仕事ではますます活躍が広がり、うつくしい布細工や食事を作ったりなど忙しそうだった。

私の実家も、私がいない期間、空気のきれいな田舎で、仕事に出かけたり農作業したりして、それなりに幸せに暮らしているはずだ。私が加われば、あと1人分自由が利くと思えて、欲が増えるのかもしれないが、死んだと思って諦めてもらおう。

私は、諦めてもらおうなんて言葉を使うが、恋人のご実家は、そもそも子供を親の駒にするという発想がないまま何十年も続いているようだった。
家を継いでもらおうとか、面倒をみてもらおうとか、近所に住んでくれ(そして面倒をみてくれ)というのもない。それが普通なんだよ、と恋人は言うかもしれないが、そんなとてつもないことがあるのか。

私の実家で、そういったバランスで親が子供を見送れば、たちまち親が難病にかかるなど、そういった出来事が発生して何もかもおじゃんになる。ペットを飼えば、翌朝死んでいる。

そのぐらいの運というか、出来事のバランスが私の生まれ育ちだったし、人間の常だと思っていたが、そんなことないのか。

私は、打ち明け話ができるような友達も、そういった不運の生まれ育ちが多いため、それが常識になっていた。しかし、益田先生が語る「森の中」のような、幸せ界というのが本当に世の中にあって、そっちの方が多数派らしい。私が生まれ育ちに関して、大げさに傷ついたふりをしているのでは、と自分でも疑ってきたが、私には発達障害もあるし、そのうえで、育った環境が変だったらしい。


中国は政府がインターネットを制限していて、イスラム圏は同性愛者を石を投げて殺す等、世界を見れば、信じられない違いがたくさんある。日本に生まれて良かったね、といった語られかたをする。しかし、海外まで考えなくても、そもそも幸せな家族の関わりというものがあるらしいことに対し、一体なんだそりゃ、と、にわかに信じがたい。

幸せ界で生まれ育った恋人には、
「そりゃつつけば色々あるけど、オレの家族は、仲が良くて、いい家族だよ」と言われた。
とりあえず私が実家と縁を切ったぐらいは、罪悪感で取り消さなくていいことのようだ。全く違う常識の話だから、そこを出なければ、実在するということすら、信じられないのだから。

とりあえず、このまま10年くらい様子を見て、本当に幸せ界があるらしいことを、少しでも実感していけたら、生まれて来た甲斐があるというものだ。

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