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障がい者と言える喜び

発達障害グレーゾーンだと思っていた、諦めていた私は、発達障害の部分、自分で対処しなきゃならないと思っていました。

ずっと季節労働、倉庫や工場の単純作業を選んでたのも、それが理由でした。病院や行政の力は借りれないから、自分が苦手なことをカバーできる環境に身を置こうと思ったのです。

実際、私みたいな人が多かった。発達障害か分からず、そう言い切れないけど辛いとか、生活するだけでも辛いとか、そういう老若男女が、流れ着いて集まっていた。

知性化というのだろうか、環境問題とか、外国への短期間の旅行とか、お酒、麻薬のようなもの、スピリチュアル、趣味など、他のことに目を向けてしのいでいる感じだった。

興味深いことに誰も発達障害の診断を受けていなかった。ああいう暮らしは住み込みだから、人に秘密を持ちにくい。定住もできないし、繁忙期を回ることが多いので、定休日どころか、週休もなかったりして、精神科に腰を落ち着けて通えないんだと思う。

「発達障害的なとこ、ありますよ」「ていうか、誰しも、発達障害の部分はあるでしょ」のように、抽象的に話がぼやけてしまって、ビールを飲んで朝起きれば賄いが厨房で用意されているような、そんな生活だった。

うんちくは語れる。愛と平和、自由と自然を愛するからこそ、この旅暮らしをしている。
昔はいい学校で、専門で何かを学んだ。会社では役職も貰った。
でも、何だかんだ、気づけば何年も単純作業しかしていない。いや、たぶん、もう自分にはこれしかできない。

そんな自分が、今更発達障害なんて診断を受けて、障がい者だと認めてしまったら。誰も診断を受けに行かない中で、一歩踏み出してしまったら、それこそ、この住み込みの職場で弱者になってしまう。

そんな空気があった気がする。

最後の季節労働のとき、現地の郵便局の、事務アルバイト募集の張り紙から目が離せなかった。こっそりスマホで写真に撮った。

やりたいけど、何か失敗が重なったときに、
「未診断ですが発達障害グレーゾーンで・・・」と説明する自分が瞼に浮かんだ。そんなの、話がぐちゃぐちゃになるはずだ。

だから、私に、事務のバイトは無理だ。そう、忘れることにした。

その数日後に、ある人と再会して、あなたは簿記を学んで一緒に働いてほしいと、明るい瞳で言われたのだった。人間ちょろいもので、そんな言い方されると、勉強を始めるのだ。

今日は、気分が沈んでいたけれど、簿記で苦手な部分を演習できる、良いアプリを見つけた。とりあえず、生活保護について考えを深めるのは、今日のところは、保留にした。

先日、発達障害の診断が下りたことが、徐々に効き始めている。
「なんで、あなたはそんなことで困ってるの」と聞かれるたび、今までは、沢山の説明をしなければならなかった。

きみに面倒なこだわりがいっぱいあるのは、内気で、田舎出身で、何も試したことがないからだ。磨けば光るよ、そんな風に言われてきた。

これからは「私は障がい者なんだよ、分かるだろ、何かその感じ」とだけ言って、色々難しいのだということ、察してもらう。

私自身にも、「障がい者なんだよ、分かるだろ」と心の中で言うと、自分をやたら責めないで済む。「ああ、そっか。私よ、お前は障がい者なんだな」で終わる。「障がい者なんだから、これは頑張ろうな」とか気持ちの切り替えができる。

↓これは今日見つけたブログで、筆者が、自身の発達障害を踏まえて、お金を貯めれるようになったり、自炊を避けれる方法を編み出したりしている。

努力不足なんじゃない。甘えていて、だらしないんじゃない。

厳しく見張って、辛口アドバイスをしてくる登場人物がいるから、変われたとか、そういう文章のほうが清く思えるけど、そんなの沢山読んできた。そして、役に立たなかった。

ちらちら読んだら、そうじゃないブログ記事ばかりだった。


発達障害だって、その人の生まれ育ちや、才能のあり方、職種などによっては、行動のポジティブな反映が大きくて、あたかも努力で乗り越えられたように本人に信じさせる場合があると思う。世代の空気も相まって。

発達障害という言葉を知っていようが、そうでなかろうが、自分のクセとか、ああいう性格とか、それぞれ呼び方があるだろう。

そういう人達から見れば、私はだらしない発達障害者だ。あんまり邪険にしちゃかわいそうだから、一応、何か言ってあげよう、と思わせる存在だ。

私自身が、努力で乗り越えれると思っていたから、いつまでも、距離を置きたくても、疎まれながらも、かかわりが続いてきたのだ。

助けられた場面も沢山ある。

私は数十年後、自分より頼りない若い人に、やはり、努力で乗り越えたと語るのだろう。私が今、それに関して肯定的になれないのは、心身が弱っているからじゃないだろうか。

やっぱりどうしても、年上とか、先輩とか、親とかは、傷を残すものだ。私だって、沢山の人を踏みにじってきた。再び、そうしていく元気が、病院の薬が効いてきたら、湧いてくるに違いない。

次の受診で、成人に効く量まで薬が増える。今までは慣らしだったから。

発達障害の診断を受けるのには、勇気が要ったが、身近な人が先に病院に行ったことで、しかもそれを打ち明けてくれたことで、やっと「私も行きたい」と言えた。そうじゃなかったら、きっと、行かなかった。

100万円貯まったらご報告しますね。

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