2020年秋号・11月1日小中高科 ナザレン希望誌ウェブ版

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■ 説教準備のためのテキスト研究
「すべてをプラスにされる神さま」 ローマ8:26-28
伝えるポイント:聖霊の助けによって、神を愛する者たちにはすべてがプラスに変えられていく。

◇パウロの現実主義
 パウロは、8:18で「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います」と語り、「まだ救いは完成してはおらず、地上で生きているキリスト者は救いの完成を求めて、呻きをあげつつ待ち望んでいる」と率直に述べている(8:23)。かつて、パウロは、コリント教会で「我々は既に完全に救われた神の子だ」と主張する“熱狂主義者達”が倫理的に生きる事を否定して教会を混乱に陥れたという苦い経験をした。この為、パウロは「完全に救われるという未来」と、「その救いを求めて苦しむ現在」とを厳密に区別する現実主義に生きる事ができた。
 しかし、パウロは、<現在の苦しみ>が福音の真理が誤りである事を証明するのではなく、寧ろ、現在の苦しみは、福音が真理である事を証明するものだと<キリストと共に苦しむこと>の意義を述べているのが、8:1~30である。

◇アッバ、父よ!と呼ぶ霊、キリストと共なる相続人
 パウロが「将来の救いの完成」への確かさを言う時に、「アッバ、父よ!」と呼ぶ神の子の霊が与えられている事を根拠として挙げる(8:15)。聖霊は神への「隷属」ではなく、子としての関係を造り出し、人々が「父よ!」と神を呼ぶことができるようにしてくださるのである。そして、子供であればキリストと共に神の「相続人」であると論理を展開する(8:17)。つまり、「まだ所有してはいないけれども、確かに将来には所有する権利が確定しているもの」という意味の「相続人」という法律用語を使って、<キリスト・イエスにおいて命をもたらす霊の法則”>(8:2)の確かさを表している。

◇被造世界の呻き(8:18~24)
 創世記3:17の「お前のゆえに、土は呪われたものとなった。」というアダムへの神の言葉は、人間が神の掟を破り自分たちが神となろうとして、被造世界の秩序をも破壊した事を示しており、私達人間が、神が造られ「極めて良い」と言われた自然の秩序を、自分たちの欲求を満たす為に踏みにじっている事を描く。昨今の異常気象、野生動物由来の新型ウィルスの人間社会での感染爆発などはその結果と言えるだろう。コロナ禍、豪雨災害など次々と起こる異常事態は、破滅へと向かう被造世界があげる呻き声のようだ。

◇人間社会
 人間社会も同様に呻き声を上げている。神を神とせず、人間を神として造り上げられている現代世界では、幼児虐待、家庭内暴力は後を絶たない。社会的弱者を切り捨て、彼らが困り果てている事を私達は見聞きしているが、「自分たちさえよければいい」と見過ごしている、それがこの世界の現実である。
 そんな神を知らない世界でのキリスト者には、当然苦しみがある。彼ら自身もまた神を知らない世界に属しており、罪とは無縁ではいられない。自分の罪、他者の罪に傷つけ傷つけられ、どう叫んでいいのか、どう祈っていいのかわからないほどに打ちのめされる事も度々だ。
 しかし、パウロはそんな現実を打ち破る聖霊の力強い働きを証する(26節)。聖霊によって与えられる賜物は、世界に降りかかる災厄から免れるための保証ではなく、苦しみがみちる現在の世界にあっても尚、キリスト・イエスによって救われた者、神の子として永遠の命が与えられる者としての歩を続ける事ができるようにしてくださる事だ。つまり、キリストと共に苦しむ力を与えてくださる。どのようにしてか?苦しみのあまり祈る事さえ出来ないキリスト者に代わって、その者の苦しみ・痛みを自分の苦しみ・痛みとして、呻きをあげて、父なる神に執り成してくださって…である。26節は、キリスト者と共にキリストが苦しんで下さる事を表している。呻きをもって執り成す神の子の霊が私たちの内のか弱い「将来への救いへの期待」を「確かなる希望」へと変えてくださるのだ。

■ 中高科
「すべてをプラスにされる神さま」 ローマ8:26-28
伝えるポイント:聖霊の助けによって、神を愛する者たちにはすべてがプラスに変えられていく。

●準備
 神様は人々の救いに関してのご計画を持っておられるお方であり、計画をもって召されるという事は、神様を信じる者たちにとって励ましとなります。それは不透明で不確実と思えるような世界に生きる者たちにとって確かさを与えてくれるものだからです。計画という言葉は、ギリシャ語ではプロセシンという言葉であり、その意味は目的という意味であり、神様の召し、すなわち、神様による救いは、神様の摂理の計画の中にあり、神様は旧約聖書でそのことを示しておられ、時が満ちた時、救い主としてのイエス様をお与えになりました。神様はすべての事を益にして下さるお方であり、神様のご計画に従って救い出された者たちと共に働いてすべての事を益にして下さる方です。たとえ不幸と思える事であっても信仰を通して、それらを見る時、それが益であると思えるような信仰の世界があるという事をお話したいと思います。

●説教例
 神様という方を信じて、信仰という視点で物を見る時、今まで見えていなかった事が見え、物の見方や考え方が大きく変えられます。今まで不幸だと考えていたことがそうではなく、プラスに受け取ることができるようになります。
 聖書に記してある信仰者たちの歩みを見る時に、そのことがわかります。
 創世記にヨセフという人のことが記されています。ヨセフは12人兄弟でしたが、お父さんのヤコブがヨセフを特別にかわいがった事や、ヨセフが子供の頃、父と母と兄弟たちが自分を拝むようになるという夢を見て、その話をした事で、他の兄弟たちのねたみや反感をかい、兄弟たちはヨセフをエジプトに向かう商人に売り渡してしました。 エジプトに連れて行かれたヨセフは様々な困難の中を通過しましたが、神様が共におられ、ヨセフを祝福されたので、ついには、エジプトの国とファラオ王の家を治める大臣に任命され、そして、ファラオ王が見た夢を解き明かし、7年間の豊作時に得た食料を蓄え、その後の7年間の飢饉に備えさせました。
 やがて、ヨセフが夢を解き明かしたように、エジプトをはじめ、父親や兄弟たちが住んでいたカナンの地全体に飢饉が起こりました。
 エジプトの地には食料があると聞きつけた人々はエジプトに食料を求めてやってきました。その中に、以前、自分をエジプトに奴隷として売った兄たちが、父親のヤコブの言いつけにより来ていました。ヨセフは兄たちであるという事が判っていたのですが、すぐには身分を明かさず、兄たちの行動を見ていましたが、2度目の買い付けに来た兄たちに自分の事を打ち明けました。驚く兄たちに、ヨセフは、「私を売った事で心を痛めたりはしないで下さい。神様はいのちを救うために、あなた方より、先に、私を遣わして下さったのです。神様の大いなるご計画があったのです。」と告げ、家族をエジプトの地に呼び寄せました。
 ヨセフは、奴隷としてエジプトの地に連れてこられた時、何故、自分はこんな不幸な目にあうのだろうと思ったことでしょう。しかし、主はヨセフと共におられ、ヨセフを祝福し、守って下さり、そこに神様のご計画があったことを後に知ることになりました。
 もしかしたら、今、辛く困難な時を通っている方がいるかも知れません。しかし、主は共にいて下さり、すべてを益と変えて下さるお方であるという事を心に留めて様様を信頼し歩んでほしいと思います。

■ 小学科
「すべてをプラスにされる神さま」 ローマ8:26-28
伝えるポイント:聖霊の助けによって、神を愛する者たちにはすべてがプラスに変えられていく。

●説教にあたって
・10/18,10/25,11/2のテキスト研究を参照ください。
・「神を愛する者」
「神が愛する者」ではなく、「神を愛する者」という事が重要です。勿論、神が愛してくださったからこそ、神を愛する愛が与えられます。この「神を愛する者」という言葉を、8章のテーマである「現在の苦しみ」と合わせて考える時、「神を愛する者」とは、次のように理解する事ができるでしょう。私たちは通常、「神が何を私のためにして下さるか」を期待しますが、そのような心では、いざ苦難に合ってしまうと神から見放されたと感じて自暴自棄に陥ってしまうでしょう。しかし、実際は私たちが神に「何をしてくれるのですか」と問いかけるのではなくて、神の方が私たちに問いかけておられる、「キリストによって贖われた者、救われた者としてあなたはどう生きるのか?」と問うておられます。この神の問いかけに気づき神の愛に応えて生きようとするのが「神を愛する者たち」と言えるのだと思います。
・万事が「益」となる
「益」と訳されているギリシャ語は、「アガソス(ἀγαθός,)」というギリシャ語で「良い、善い」という訳され、「そのものの性質の良さ、神の御心にかなう善良さ」を言います。8章の文脈から言えば、「キリストのきょうだいとなる」つまり、「キリスト・イエスに似た者となる」という事ではないかと考えられます。神から、「キリストの十字架の贖いによって救われた者としてどう生きるか?」という問いかけに答えようと祈りながら生きる時、どれほど苦しく辛い現実の中にあっても神の愛の導きを見出しキリストに似た者として練り上げられる…というパウロの確信が述べられています。

●説教例
 私たちは、普通、「神さまは私の為に何をしてくださるのだろうか?」と考えて神さまに期待します。でも、その期待が裏切られて、苦しい事ばかりが続くと、「神さまは私を見放した。私も神さまなんて信じない」と思ってしまう。そういう事は、本当によくある事だと思います。
 でも、神さまもイエスさまも、私たちに何の苦しみもない、楽しくて嬉しいことばかり…の命を約束されたわけではありません。イエスさまの十字架と復活で私たちに約束されたのは、イエスさまのきょうだい、イエスさまの弟や妹になるという事です。イエスさまが皆のお兄さんになってくださって、父なる神さまの身許で幸せに生きることができるという事なんです。でも、それは「今、現在」ではありません。その時がいつ来るかは誰もわからないのですが、必ず来ます。
 だから、神さまは、私たちに今、次のように問いかけておられるのです。「あなたは、将来のイエスの妹、弟になる事が約束されている者です。将来、神の子とされる事が約束されている者として、今現在の苦しい時、辛い時、どのように生きますか?」と。そう問いかけられても、私たち、どうしていいかわからない事あります。苦しさのあまり辛さのあまり、罪を犯してしまうこともあるかもしれません。でも、そういう時、私たちは、「神さま!お父さん!助けて!」と叫ぶことができます。それは、私たちに見えないイエスさまが与えられているからです。そうして私たちの心のうちにいてくださる見えないイエスさまに助けられて、苦しいこと、辛いことがあっても諦めずに神さまの方を向いて生きていくと、将来イエスさまの妹、弟になることができます。そんなふうに苦しい事、辛い事もよいことに変えてくださる神さまは本当にすごいと思います。

■ 小学科ワーク

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