2021年春号・5月9日成人科 ナザレン希望誌ウェブ版

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収穫はすべて主の憐れみ 申命記26:1-15 
 イスラエルの民は40年間、荒れ野にて流浪の旅をし、食べるものがなく、神に対する不信仰と、指導者に対する不平不満を訴えていました。その民にとって、約束の地、乳と蜜の流れる地に入ったことは大きな喜びであり、神への感謝、そして収穫の喜びは計り知れないものがありました。
 26:1-11には、初物の奉納と信仰告白が記されています。イスラエルの民が、毎年繰り返すべき基本的信仰告白であります。 この告白の中で、イスラエルの人々は、彼らの先祖が、「滅びゆくアラム人」であった時代やエジプトにおける苦役の時代を回顧し、そこから導き出され、乳と蜜の流れる地、カナンに導き入れられる恵みを思い、決められた礼拝の場所、主の住まいに行き(12:5)、主のみ前に、地の実りの初物をもって、神に感謝し礼拝をささげたのであります。これもまた。イスラエルにとって、伝えるべき、基本的な信仰態度であり、姿勢でありました。ここにある信仰告白は、イスラエルにおける最古の信仰告白と言われ、祭りの時に唱えられた信仰告白であります。旧約学者フォン・ラートは信仰告白の原型を申命記26:5-11に見出し、これを小クレド(小信仰告白)と呼んでいます。
喜田川信氏は,「彼らの信仰告白は決して個人個人の主観的な、内面的な告白ではありませんでした。それはこのような歴史的出来事を通しての神の約束と導きとその成就に対する、またそれに基づいた信仰告白だったからです。」と述べています。(説教による旧約思想入門)
  イスラエルの先祖をアラム人と言ったのは、アブラハムが、アラムのハランからカナンの地へ移住してきたこと(創世記11:29-31)、また,ヤコブの母リベカの実家がアラム・ナハライムにあり(創世記24:10、25:20)、ヤコブ自身もそのアラムの地でアラム人である伯父ラバンのところで働き、20年も生活しており、ラバンの二人の娘と結婚した(創世記29:15-31章)ことによります。
 毎年の最初の収穫、初物を、過越の祭り(レビ記23;10以下)、七週の祭り(民数記28:26)等において捧げられました。(祭りについては、新共同訳聖書の巻末の用語解説を参照)かつて、イスラエルの民が経験した荒れ野の生活とは異なり、カナンとは、神の賜るよい地であり、乳と蜜の流れる地で豊かな、穀物や果実を得ることが出来ました。イスラエルの七種(ななくさ)とも言うべき、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブ、蜜(ターマール、なつめやしの実)(8:8)がありました。 関連して、前の箇所においてもイスラエルの守るべき三大祝祭日について示されていました。(16:1-17)。これも、出エジプト、荒れ野の生活の中での神の守り、助けを覚えるとともに、約束の地における主の憐れみと顧みによる収穫の感謝をもって、神を礼拝し、祝ったのであります。                                                           
 更に、12-13節において、申命記における戒めとして、隣人への愛、慈善の業について述べられています。レビ人、寄留者、孤児、寡婦に施しをすることが勧められています。
  そして、イスラエルの民は、民とイスラエルの土地を祝福してください(15節)、と祈ります。  また、神の民として、「主を自分の神とし、その道に従って歩み、掟と戒めと法を守り、御声に聞き従います」(17節)と誓約しました。 

 設問 約束の地に入る喜びとともに、そこでなすべきことが示されました。彼らの喜びと共に彼らの決断に思いをはせてみましょう。

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