2021年春号・4月11日成人科 ナザレン希望誌ウェブ版

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神にとりなすモーセ  民数記12:1-16
 シナイからカデシュに至るまで荒れ野の生活の中で、つぶやきはイスラエルの民衆だけではなく、今やイスラエルの指導者たちにも及びました。モーセの姉ミリアム、兄アロンまでも、弟モーセの指導に対する不平と疑問を投げかけたのです。アロン(出エジプト4:14-17)はすでに大祭司であり、ミリアムは女預言者(出エジプト2:4,7(少女時代)、15:20)と呼ばれていました。しかし妬(ねた)みに駆られて高慢になり、モーセを批判するのです。彼らは、モーセの妻が、外国人(クシュ人)であることを口実にして非難しました(1節)。妻チッポラの死後再婚したクシュ人の女性のことを言っているのです。兄アロン、姉ミリアムは、弟モーセが、指導者として神と語り、(2節)、神に用いられていることへの嫉妬がありました。
 精神分析理論のジグモンド・フロイトは、七つのコンプレックスの概念を挙げています(本文末尾参照)。一つは劣等コンプレックスです。他人と比較しての劣等感、劣等意識です。次は、カイン・コンプレックス、これは創世記4章のカインとアベルの物語から考えられているのです。兄弟間の確執です。親から兄弟が、どう評価されているか、学業成績、学歴、職歴、容姿、容貌等々によって。親は子供たちを対等に愛していると思うけれども、子供たちは、自分の才能や能力によって差別されていると感じ、劣等コンプレックスを持ち、兄弟間に嫉妬や反感が生じ、不穏な空気が流れてくるのです。兄カインが弟アベルを殺すというのは、憎悪の極みです。
 アロンとミリアムは、人間的に考えれば、神とモーセに対してカイン・コンプレックスを持ったということが出来るのはないでしょうか。子供の時から面倒を見ており、助け、支えてきたモーセに対する妬みや嫉妬心を持ってしまいました。
 それに対して、モーセは、自己弁護もせず、恨みも持たず、謙遜でした(3節)。柔和と忍耐を持て、神から与えられた使命を果たそうとしていました。エジプトを脱出したイスラエルの民を導き、カナンの地に入るというモーセの苦労は、並大抵のことではありませんでした。そのモーセを神ご自身が弁護されました。アロンとミリアムに対して語られました(5節-8節)。神は、預言者には、夢や幻によって、自らを示し、語ります。しかし。モーセには、神は自らを示し、直接語り合うというのです(7-8節a)。.モーセは、神によって召された特別な人物であり、その地位の独自性と卓越性を示されたのであります。そして、神は、ミリアムとアロンに対して、「あなたたちは何故、畏れもせず わたしの僕モーセを非難するのか。」(8節b)と、厳しく叱責します。
 神が去って行かれたその時、ミリアムは重い皮膚病になってしまいました。その時、アロンは目覚め、不明を恥じ、モーセに「わが主よ」と呼びかけ、犯した罪の罰を負わせないでください、と願います。モーセは、病気になった姉ミリアム、モーセを批判したミリアムのために、神に熱心にとりなしの祈りをささげ、病いの癒しを神に求めるのです。彼は祈り求め、「神よ、どうか彼女をいやしてください。」と叫びます。「神にとりなすモーセ」の姿がありました。彼女は癒され、イスラエルの民は、カナンに向けて旅を続けます。
 (参考)フロイトは劣等、カイン・コンプレックスの他に、エディプス、ダイアナ、スペクタキュラ、退行コンプレックスとナーシシズムの七つのコンプレックス概念を挙げています。

 「設問」 
 或る人には、それぞれ異なるコンプレックスがあるかもしれない。しかし、神は、人々を等しく愛し、賜物を与え、それぞれの個性に合う適切な務めを与えて下さるであろう。信仰において、コンプレックスは克服される。

或る人には、それぞれ異なるコンプレックスがあるかもしれない。しかし、神は、人々を等しく愛し、賜物を与え、それぞれの個性に合う適切な務めを与えて下さるであろう。信仰において、コンプレックスは克服されると思いますか。

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