2020年秋号・12月27日成人科 ナザレン希望誌ウェブ版

目次に戻る    カリキュラム一覧に戻る

東方から来た博士は、喜びに溢れて幼子を礼拝した マタイ 2:1-12

 現今(げんこん)に生きる私たちは、信教の自由のもとにどんな宗教も自由に信仰ができるのですが、こうなるまでにはいろいろな人たちの信仰の闘いがあったことを忘れることができません。
 今回取り上げる東方の博士たちは、イスラエル以外の外国の人たちであり、世界で一番初めに信仰の改宗をするために戦った人たちであったといえるでしょう。
 実は、クリスマスの12日後に公現日(顕現日)として祝われ、この東方の博士たちの記事が朗読されることが多いようです。一般的にはクリスマス後の主日に説教のみ言葉として取り上げられます。この日主イエスの御降誕はイスラエル以外の外国人に対して公的に知らしめられたとされているからです。
 現今においてもそうですが。信仰の改宗はかなり厳しいことであり、かなりのエネルギーが求められます。特に日本ではかなり厳しいところを通ることが多いようです。
 東方の博士たちは占星術の中心とされたバビロニア一帯を中心とした東国の生活圏で生まれ育った人たちであったと思われます。そういった人たちが全く違った信仰を体得することは容易ではなかったはずです。こんなところは今の日本と事情は似通っていたかもしれません。
 占星術を信仰の核とし、長い間それこそ熱心に自分たちの生活の行く末を見据えることが習慣になっていた人たちです。そんな人たちが全く異なる信仰に身を置いて生きるということは、多分過酷と思えるほどの厳しさがあったと思われます。
 東国からイスラエル、ベツレヘムへの旅立ち、その道は非常に困難な砂漠地帯を旅することが強いられました。彼らの信仰への改宗の道程を物語っており、それこそ0からのスタートで生活基盤を造り上げていく作業だったと思われます。彼らはそうまでして自分たちの救いを探し求めたのです。生活の一切合切を無にしても彼らはメシア(救い主)を求めたのです。そこには幾多の紆余曲折があったことでしょう。その一つのエピソードとしてヘロデ王との対峙をマタイは記しています。
 信仰はそれが改宗か否かにかかわらず、厳しいところを通ることになります。多くの紆余曲折を経て今の私たちの信仰は体得されてきたものです。だからこそ信仰は何ものにも代えがたいものになっていくのです。東国の博士たちが幼子イエスの前に黄金・乳香・没薬を捧げて礼拝したのはその意味を含んでいます。
 ここには信仰における人生のロマンを感じさせます。私たちにキリスト教信仰の機会が与えられたのは、このような多くの人の信仰の闘いの経緯を経てきたためであることを忘れてはなりません。

【設問】自分の信仰をどのようにして体得できたのか、銘々(めいめい)その経緯を率直に話し合いましょう。

目次に戻る    カリキュラム一覧に戻る

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?