2021年冬号・巻頭言 ナザレン希望誌ウェブ版

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「成長させてくださる神」に期待して
神戸平野教会 水城秀明

 我が家で「家族礼拝」をはじめてから、しばらくがたちました。最近になって少しずつ、子どもたちも楽しみにしてくれるようになってきたような気がしています。「今日は家族礼拝の日だよね!?」と、子どもたちの方から言われて、ああ、そう言えばそうだった、と思い出す事もしばしばです。まぁ、「家族礼拝」そのものが楽しみというよりは、終わった後に出る「デザート」のほうに主な関心があるようではありますが...。
 子どもの信仰を育てる事は、親としての1番の願いではありますが、やはりなかなか難しいとも感じています。親が信仰を持っていれば、子どもも自動的に信仰を持つわけではありませんし、幼い時は教会に来ていても(時には強制的に)、青年になると教会から離れる人も多いです。親が信仰を持っていれば、子どももある程度は信仰が分かってくる。そういう親と暮らしていれば、神様を信じた気分になったりもする。でも、それは「親から借りてきた信仰」で、その子自身の信仰にはならないのではないでしょうか。そして、いざという時には、何の役にも立たなかったりする事を、私自身の事として経験しています。
 私の親としての願いは、子どもたちが個人的に神様と向き合って、沢山の選択の自由がある中で、神様を信じる信仰を持って、神様に頼っていけるように、育てる事です。では、子どもがそのように育っていくためには、どうしたらよいのでしょうか。毎週1回の「教会学校」のように、幼い頃から御言葉を心に植えていく事も大切な事ですが、私自身は今、それ以上に、「親」である私自身が問われているのだろうな、と感じています。親である私自身が信仰を働かせて生きる姿を、神様と共に歩む姿を、少しでも、毎日の生活と子どもたちとの関りの中で見せていく事だと思わされています。そうする事によって、子どもたちに、「生きて働く信仰」に触れて欲しいと願わされます。
 「生きて働く生の信仰」を自分のすぐそばで、見て、感じて、体験していける。そうしたことは、他の所では体験できないし、学校でも会社の中でも難しいでしょう。でも、家庭や教会の中では、親の日々の姿を通して、子どもはリアルに見て、感じて、体験していけるし、それは、子どもにとって、何物にも代えがたい「人生の宝」となっていくのではないでしょうか。「親父が、毎週教会で話してる事はよく分からんし、欠点だらけだけど、でもイエスと共に歩んでるって事だけはよく分かる」。そんな事をいつか、子どもに言ってもらえる日がきたとしたら、それは最高に嬉しい言葉だなぁと思います。自分の親が、大人たちが、「神への信仰」をもって一生懸命に格闘している姿を見た時、子どもたちは理屈抜きで「ああ、神様って本当にいるんだ」と知っていく。「神様は、頼りにできる方なんだ」と悟っていく。そしてやがて「自分自身と神様との関係」を築いていく。そんな子どもたちが、家庭や教会の中で育っていくように、子どもたちの上に、そして親や大人たちの上に、神様の助けと力と知恵が与えられるように祈っていきたいと思います。

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