2020年夏号・小中高科7月26日 ナザレン希望誌ウェブ(テスト)版

目次に戻る    カリキュラム一覧に戻る

■ 説教準備のためのテキスト研究
エジプトに売られたヨセフ 
創世記 37:1-36(朗読は37:26-28)
伝えるポイント:兄たちに憎まれ邪魔者扱いにされたヨセフは、図らずも、通りがかった商人によってエジプトに売られた。しかし、この悲劇の中に神のご計画があった。

 「ヨセフは十七歳のとき」イサクはまだ存命中であったであろう。ヨセフがエジプトの支配を任されるのは30歳の時で、その後7年の豊作、2年の凶作が続いた時に、ヤコブが130歳でエジプトにやって来た。従って、ヨセフが17歳の時ヤコブは108歳ということになる。イサクは60歳でヤコブを生んだので、この時イサクは168歳であり、この先更に12年生きることになる。
 ヤコブは、ヨセフが愛妻ラケルの子であり、年寄り子であったので、ヨセフを特別扱いして愛した。特別な服もあつらえてもらった。またヨセフは兄たちのことを告げ口するような浅はかで嫌な性格の持ち主だった。兄たちにとってヨセフは、いい子ぶった煙たい存在だったであろう。
 ヨセフは自分が見た夢のことを兄たちに得意げに語った。束の夢も、太陽と月と星の夢も、解き明かしがなくてもその意味は容易にわかる。先の夢はヨセフの11人の兄弟たちがヨセフにお辞儀をしている光景、後の夢は11人の兄弟たちだけでなく両親も共々にヨセフを伏し拝んでいる場面を思わせる。これらの夢では、2度とも同じ趣旨の内容なので、聞いている者に正夢の印象を与える(参照 41:32)。ヨセフもこれらは普通の夢ではなくその背後に神の御手が働いているとの意識を持っていたであろうが、それをそのまま親や、それに自分を憎んでいる兄弟たちに話すところにヨセフのいい子ぶりを見る思いがする。ヤコブはヨセフの夢を聞いた時、恐らく兄エサウの前で「7回も地に伏しておじぎをした」経験を思い起しただろうし、これから先どのような神の摂理の御手の下にヨセフを伏し拝むことになるのだろうかと不思議な思いにとらわれたことだろう。
 ヤコブはパダン・アラムからの帰途、シケムに着いた時そこに100ケシタで土地を買っていたので、羊の群れを北のほうに移動させる時はそこを1つの足場として用いたのだろう。ただヤコブの子たちがディナの件で引き起した騒動の後始末がどうなったのか気になるところだが、聖書には何も言及がない。兄たちがドタンに移動したことを聞いて出向いて行った。
 ヨセフに対する企みに反対したのは、長男のルベンであった。父に負い目のあるルベンにとって、長男として父の信頼を回復する好機であったはずだ。また父の心を思ん諮ってのことだろう。また自ら命を取り、血を流すという罪に向き合ったのだろう。しかし弟たちを説き伏せるだけの指導力はなかった。着物をはぎ取り、穴に投げ込んだ。
 次いで妥協案を出したのはユダであった。この時はルベンがその場を離れていたようだ。弟を商隊に売ることで、直接手を掛けることを回避させた。
 ルベンとユダの言動は、49章のヤコブの祝福との関連で示唆に富んでいる。
 ヨセフを買い取ったのは「イシュマエル人」とも「ミデヤン人」「メダンの人」(36節新共同訳)も言われている。民族的にはイシュマエル人はアブラハムのハガルによる子孫であり、ミデヤン人はアブラハムのケトラによる子孫であって、関係は非常に近いが、区別されるべきである。しかしここでは、イシュマエル人は民族ではなく、遊牧の商人の総称と考えられる。
 「ギレアド」は、ガリラヤ湖南端から南に向かって東の部分。そこにはダマスコとエジプトを結ぶ重要な交易路の 1つが通っていた。
 「銀二十枚」はおそらく銀二十シェケル。ハムラビ法典の116、214、252条では奴隷の平均的な価が銀三分の一ミナ(=20シェケル)。レビ27:5では 5歳から20歳の男子の人身評価額とされている。
 兄たちはヨセフの着物を拾い上げ、雄山羊を殺してその血に着物を浸し、父ヤコブのもとに送った。ヤコブは、かつて子山羊の肉と毛皮、それに兄の晴れ着を用いて父をだましたが、今回は、自分が雄山羊の血とヨセフの長服を用いてだまされた。なんと皮肉な報いであろう。
 ヤコブは幾日も嘆き悲しんだ。息子(真実を知っている)や娘たち(真実を知らない)が皆やって来て、慰めようとしたが、ヤコブは慰められることを拒んだ。
 父にとって愛する息子の死は、何によっても慰められない。
 「こうして父は、彼のために泣いた」(35節口語訳)、直訳は「そして彼の父は彼のために泣いた」であり、中世のユダヤ教学者ラビ・ソロモン・ベン・イサクの解釈では、「そして彼(ヤコブ)の父(すなわちイサク)は彼(ヤコブ)のために泣いた」とも読める。

■ 中高科
エジプトに売られたヨセフ
創世記 37:1-36(朗読は37:26-28)
伝えるポイント:兄たちに憎まれ邪魔者扱いにされたヨセフは、図らずも、通りがかった商人によってエジプトに売られた。しかし、この悲劇の中に神のご計画があった。

説教にあたって
 ヨセフ物語の初め、37章は「ヨセフの夢」と「エジプトに売られる」という二つの部分から始まる。父ヤコブから特別な愛情を受けて育つヨセフは兄たちからねたまれ、エジプトへ奴隷として売り渡されてしまう。しかし、この夢はのちに実現し、ヤコブの一族を救うこととなる。どんな人生にも無駄はない。試練の中に隠された神のご計画を知ろう。

説教例
 今回から三回に分けて、ヤコブの息子ヨセフの波乱に満ちた人生から学びます。
 ヤコブには12人も息子たちがいましたが、わけても最愛の妻ラケルの生んだヨセフを目の中に入れても痛くないほどに可愛がります。ヨセフにだけ、裾の長い晴れ着を作って着せてやったり、何かと他の兄弟たちよりえこひいきをするので、ヨセフは次第に兄たちから憎まれるようになってしまいます。
 あるとき、ヨセフは夢を見てその内容を誇らしげに兄たちの前で語りました。「兄さんたち、こんな夢を見ましたよ。畑で束を作っていると、ぼくの束が立ち上がり、兄さんたちの束が集まってきて、ぼくの束にひれ伏したんですよ。」これによって、ヨセフは兄たちをますます怒らせてしまいます。
 そして、今度は太陽と月と11の星が自分にひれ伏している夢を見た、と父にも話します。さすがに父は息子を叱りますが、この二つの夢がのちのち現実のものとなることをまだ誰も、予想だにできませんでした。
 ある日、父はヨセフを野で羊を飼っている兄たちの様子を見に行かせます。元気でやっているかどうか、羊の群れも無事か知らせてほしいという思いつきだったのですが、これがとんでもない事件に発展してしまいます。父は他の息子たちがヨセフを憎み、殺意を抱いていたことなど知らなかったのです。
 そうとは知らず、兄たちを疑うこともせず、のんびりと野に出かけたヨセフでしたが、遠くから彼の姿を認めた兄たちの心の中に弟への憎しみが燃え上がり、ヨセフを殺してしまおうと相談します。それを押しとどめたのは、長男のルベンでした。しかし、他の兄弟たちはヨセフがやってくると捕まえて、父が作ってやった晴れ着をはぎとり、彼を穴の中へ投げ込んでしまいました。嫉妬のエネルギーとは恐ろしいものです。
 兄弟のユダは提案します。弟に手をかけるのはよくない、イシュマエル人の隊商に売ろうではないか、と。そうこうするうちにミディアン人の商人たちが通りかかり、ヨセフを穴から引きあげると銀20枚で彼をイシュマエル人へ売ってしまいます。助けられなかったルベンは後悔しますが、すでにヨセフはエジプトへと連れていかれてしまったあとでした。兄弟たちはしかたなく、ヨセフの着物を雄山羊の血で浸し、帰って父に見せました。
 それを見たヤコブは、愛する息子が野獣に殺されてしまったのだと思い、幾日もヨセフのために嘆き、悲しみます。しかし、ヨセフは生きていました。年老いた父とヤコブが再会するのは、ずっとのちになってからのことです。
 ヨセフの人生の前半生は、父に愛されていた息子から、兄弟たちに憎まれ、奴隷の身へと一瞬のうちに暗転してしまいます。まるで、人生に起きる不条理そのもののようです。しかし、一見この不幸なできごとの背景には神さまの大きな救いのご計画がありました。人生に起きる試練に無駄はありません。神さまは私たちを用いるため、時には大きな試練を与えられるのです。

■ 小学科
エジプトに売られたヨセフ
創世記 37:1ー 36(朗読は37:26-28)
伝えるポイント:兄たちに憎まれ邪魔者扱いされたヨセフは、図らずも、通りがかった商人によってエジプトに売られた。しかし、この悲劇の中に神のご計画があった。

説教にあたって
 私たちの思いを遥かに超える神さまの計画があることを伝える。但しヨセフがエジプトにて悔い改めて神さまを信じて歩んだからこそ主の計画の中で歩めたのである。また私たちの場合、キリストによって罪が赦され、それを信じ受け入れて歩むからこそ、神のみ心の中を歩めるのである。
説教例
 ヤコブ(イスラエル)には 12人の息子がいて、11番目がヨセフでした。ヤコブはヨセフを他の誰よりもかわいがったため、お兄さんたちを怒らせたのです。ある夜、ヨセフは夢を見たのです。「畑で麦の束を造っていたら、兄さん達の束が僕の束にお辞儀をしたよ」。それを聞いたお兄さんたちは「お前は俺たちの王様になるのか」と怒ったのです。また「太陽と月と 11の星がね、僕を拝んだ」という夢を見たと言うと、ヤコブが「私とお母さんと兄さんたちが、お前を拝むとでもいうのか。そんなことを言ってはいけないよ」と叱ったのです。でもヨセフの夢に何か特別な意味があるかもしれないと思ったのでした。
 それからある時、お兄さんたちは羊の群れを連れて遠くの野原に行ったのです。ヤコブはヨセフに「兄さんたちと羊の様子を見に行ってくれ」と言いつけたのです。ヨセフは出かけ、お兄さんたちの所にたどり着きました。お兄さんたちは腹が立ち、「ヨセフを穴の中に投げてやろう」と言い出しました。彼らはヨセフを捕らえ着物をはぎ取り穴の中に放り込んでしまいました。このあと長男のルベンがいなくなった時でした。ラクダに荷物を積んだ商人たちが通りかかり、他の兄さんたちはヨセフを穴から引っ張り出すと商人たちに売ってしまったのです。こうしてヨセフはエジプトに連れて行かれたのでした。
 お兄さんたちはヨセフが獣に食べられたことにしてヨセフの上着にヤギの血を塗りつけ家に帰ったのです。血だらけになった着物を見たヤコブは「これはヨセフの物だ、獣に食べられてしまったのだ」と泣き出し、いつまでも悲しみ続けたのでした。
 エジプトに連れて行かれたヨセフはどうなってしまうのでしょうか。実はヨセフと共におられるお方がいたのです。それこそ天地を創造された神さまだったのです。実は神さまはエジプトに連れて行かれたヨセフを通してエジプトの人々を、そしてイスラエルの人々を救うことを考えておられたのです。しかしそれはヨセフに分かるわけがありません。ヤコブやお兄さんたちにも誰にも分かりません。このあとヨセフはエジプトで罪を悔い改め神さまを信じて共に歩むことによって神さまの役目を果たしていくことになるのです。
 私たちもどんな境遇の中にいても、罪の身代わりとして十字架かかってくださった神さまのお子さまであるキリストを信じて共に歩むことによって、神さまの役目を果たしてゆくことが出来るのです。

■ 小学科ワーク

2020 希望 夏 ワーク_page-0004

目次に戻る    カリキュラム一覧に戻る

2020年夏号小学科ワーク13週分のPDFダウンロードはこちらをクリック
(googleアカウントが必要です。)

御言葉カードはこちらをクリック
(googleアカウントが必要です。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?