2020年秋号・10月18日小中高科 ナザレン希望誌ウェブ版

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■ 説教準備のためのテキスト研究
ローマ5:3-5 「苦しみの中に望みがある」
伝えるポイント:神は苦難を希望に変えてくださる。この希望は誰も邪魔する事はできない。

◇ローマ書について
 ローマ書は、宗教改革など教会の歴史に影響を与えた重要な書物である。執筆の動機は他のパウロ書簡とは異なる。ガラテヤ書やコリント書は、パウロが創設した教会で発生した重大な問題に対して、創設者であるパウロが緊急性をもって書いた手紙であるが、ローマ教会はパウロが創設した教会でなく、教会内の問題の解決をパウロに求めた様子もない。パウロはイスパニア地方への伝道旅行の前にローマ帝国首都にある教会に立ち寄ることを計画し、その前に自分の福音理解、神学を書送ったとされている(15章)。この為、ローマ書には、「信仰義認」を基盤としたパウロの神学の真髄が体系的に記されていると言われる。しかし、そうは言っても、キリスト教神学の主要テーマが網羅的に記されているわけではない。コリント書には記されている「主の復活」「主の晩餐」についての記述はローマ書にはない。優れた牧会者でもあるパウロは、ローマ教会に必要と考えられる神学的主題に限って論述しているからである。この事からも「神学」は、キリストの教会が福音に生きることを助けることを目的とし、教会に奉仕する学問であることが分かる。
 ローマ帝国の首都ローマにあるキリスト教会は、ユダヤ人と異邦人の教会であったが、AD50年クラウディウス帝がユダヤ人をローマ市内から追放した為、ローマ教会には異邦人達だけが残された。しかし、クラウディウス帝死後AD54年、追放命令が解除されると、ローマ教会にユダヤ人達が戻ってきた。その頃にはすっかり異邦人教会となっていたローマ教会は、帰還したユダヤ人と食物規定などを巡っての対立が表面化し、異邦人キリスト者とユダヤ人キリスト者の和解が焦眉の課題となっていた。パウロがローマ書9章から11章という多くの紙数を割いて、イスラエルの救いの考察を述べたのには、このような背景があった。
 またローマ書の主要テーマは、「苦難」である。これもまた、ローマ帝国という異邦人社会の中で、度々起こる迫害の嵐に晒される運命にあったローマ教会を念頭にパウロがしるしたものであろう。それは、様々な困難に遭遇したパウロ自身が苦しみの中にあっても、キリスト・イエスにある希望に豊かに生かされるという恵みの実体験から与えられた言葉であり、2000年のキリスト教史の中で数え切れない人々を主イエス・キリストに生かしめた。
 ローマ書の前提知識については、10月25日のテキスト研究も合わせて参照されたい。
◇5章
「人は行いによって救われるのではなく、イエス・キリストへの信仰によって救われる」という「信仰義認」が3:21から描かれており、5:1~11は信仰によって義とされた恵みが苦難の中にも豊かに働く様子を描いている。
◇5章3節から5節
・キリストを信じる事で与えられる神との間の平和、義認の恵みだけでなく、「苦難をも誇り」とするというパウロの確信が語られる。
・4節の「練達」:ギリシャ語で「δοκιμή」(ドキーメイ)は、「多くの試みに鍛えられて達した実力・品性」という意味の単語である。様々な苦難が私たちを襲うが、この苦しみを、イエス・キリストの十字架と復活で表された神の愛により頼み忍耐する事によって、私たちはキリストのものとして練り上げられていき、その経験が私たちに消えない希望を与えてくれる。
・3節から5節を単独で読む事はできない。「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を産む」とは、自分の力を頼りにして「頑張る」事ではない。7節から11節で語られる「私たち罪人のために死ぬキリスト」に現される神の愛が私たちの心に注がれるからこそ可能となる(5節)。

■ 中高科
ローマ5:3-5 「苦しみの中に望みがある」
伝えるポイント:神は苦難を希望に変えてくださる。この希望は誰も邪魔する事はできない。

●準備
 新共同訳では苦難と訳してある言葉を、口語訳・新改訳では患難と訳してあります。また、練達という言葉は口語訳・新共同訳・新改訳の、どの聖書にも記されています。では練達とはどのような状態でしょうか。広辞苑によれば、「熟練して精通する事、物事になれて奥義に達している事」とあります。信仰者に限らず、誰であっても苦難は起こるであろうし、試練と思えるような状況がない人はひとりもいないと言えるでしょう。そのような中で、苦難、困難、試練をどのように受け止めるかという事によって状況が全く異なってくると言えるのではないでしょうか。日本で育つ木と熱帯地方の木の違いを考えると、その強度の違いに気づかされます。日本は冬の季節には木の成長が抑えられ、夏に成長が見られ、年輪が形成され、それによって強度が増します。しかし、一年中、暑い中で育つ木は日本のような年輪は形成されず、加工しやすい反面、強度が弱いという弱点があります。
 人にとっても、試練、困難は、その人の信仰を強めて、さらに信仰者としての円熟味を得る事ができると言えるのではないでしょうか?主を信じる者たちにとって、主が必ず、助けて下さるという希望をもって生きることによって困難・試練・苦難に打ち勝つことができるという事をお話したいと思います。

●説教例
 私達、信仰者の生涯は神を喜んで生きる生涯です。けれど、もし、試練、困難が押し寄せてきた 時、そこ事をどのうように受け止めて行けばよいのでしょうか。
 今、色々な悩みや困難をおぼえている人がいるかも知れません。しかし、他の人々を見て、自分と比較して良いように思えても、その人には、その人でしかわからない悩みや困難があるという事をまず知りたいと思います。誰一人として問題をもっていない人は存在していないという事です。
美味しいぶどうの実がどのようにできるか皆さんは知っていますか?
 ブドウの木は私達、人間の生涯と似ており、ブドウの木の寿命は85年くらいで、栽培して25年くらいは、すっぱくて、30年位して、やっとワインの銘柄がつけられるような実を結ぶようになるそうです。またブドウの木は、肥えた土壌に植えられたものよりも、痩せた土壌で、しかも水はけの良い土地に植えられた木の方が、水を求めて根が張り、地下水のミネラル分を含んだ水を吸い上げ、そのようなブドウの木がつけた実は美味しく、最高級のワインを作る為に用いられるそうです。
 困難、試練を嬉しいと思う人はいません。しかし、そのよう時こそ、主が共におられ、支え、耐える力が与えられ、その試練、困難を乗り越えていく時、筋金入りのクリスチャンとなって、豊かな実を結ぶ者となる事が出来るのだと思います。
 どんな時も、共にいて下さる神様に信頼し、祈りと賛美をもって歩んでほしいと思います。

■ 小学科
ローマ5:3-5 「苦しみの中に望みがある」
伝えるポイント:神は苦難を希望に変えてくださる。この希望は誰も邪魔する事はできない。

●説教にあたって
・ローマ信徒への手紙については、10/18,10/25のテキスト研究を参照ください。
・ここでパウロが語る事柄は、「自分の力で苦難を耐え抜け、我慢しろ」という事ではありません。我慢と忍耐は違います。「我慢」は、自分を大きくし自分の力により頼む事ですが、「忍耐」は自分を小さくして神により頼む事です。イエス・キリストの十字架と復活を想い起こし、神に愛されてある自分を再確認し、神により頼み忍耐する事で、主イエスに似た者と変えられていく事が描かれています。

●説教例
 このローマ信徒への手紙を書いたパウロ先生は、イエスさまのことを世界中に知らせた人。ですが、そのために大変な目に遭いました。昔の仲間からはとことんいじめられて、命を狙われました。また、イエスさまのことを知らせるためにいろんな所に出かけて行ったのですが、2000年前の旅行は、今のように、列車も飛行機もないから、とても大変。途中で泥棒に襲われたり、船が難破して命を落としそうになったこともありました。パウロ先生は、旅の途中に病気にもなって、情けない思いもしました。また、せっかく、心を込めてイエスさまのことを伝え教え導いた人達に裏切られ、悲しくて悔しくて涙を流した事もあったのです。どれひとつとっても、大変なこと。パウロ先生が受けた苦しみのうちのひとつでも自分の身の上に起こったとしたら、「あぁ、もうダメだ!」と思って、投げ出してしまうと思います。
 でも、パウロ先生は決して絶望しなかったし、イエスさまのことを宣べ伝える事を諦めませんでした。苦しみや悲しみの中にあっても、希望を持ち続け、最後までイエスさまへの信仰に生きて、イエスさまを広く宣べ伝えることができました。どうしてでしょう。

神さまが自分を深く愛して下さり、人間の目には希望なんてない!と思えるような状況でも、必ず助けてくださる…とパウロ先生が知っていたからです。どうして、そんな事が分かるのでしょうか。「神さまはひょっとして自分を見捨ててしまうかもしれない」とパウロ先生は考えなかったのでしょうか。
 いえいえ、神様は、パウロ先生がイエスさまを憎んでいた時でさえ、彼の為にイエスさまを十字架に架けて罪を赦してくださいました。それほどにパウロ先生の事を愛し抜いてくださる方です。パウロ先生はこの事を深く確信していたから、どんな大きな困難にであっても、神さまを求めることができました。辛い時、苦しい時、パウロ先生は「神さま!助けてください!」と叫んだでしょう、祈ったでしょう。そして、忍耐しつつ祈った時、聖霊が働いて、神さまがパウロ先生の苦しみをご自身の苦しみとして一緒に苦しんでくださっていると分かり、ますます神さまの深い愛を確信したのです。そして「今は苦しくても、必ず皆が幸せになれる神さまの国がやってくる」と希望を持つことができました。そういう経験を通して、パウロ先生は成長していきました。そして気づいたのです。「神さまは、数多くの困難を忍耐する事を通して、私を“より良い者”、神さまに喜ばれる者に変えてくださるのだ」と。
 神さまがこれほどに愛しているのは、パウロ先生だけじゃありません。私たち一人一人も、神さまに同じように愛されています。みんなも色々と苦しい事があった時、神さまに助けを求めてほしい。そうして神さまにより頼んでいけば、私たちはより神さまに喜ばれる者に変えられていきます。パウロ先生のように神さまに頼って神さまに喜ばれる者として生きる事こそ、本当の幸せ。みんなにそんな幸せな人生を送ってほしいと心から願っています。

■ 小学科ワーク

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