2021年春号・6月6日小中高科 ナザレン希望誌ウェブ版

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■説教者のためのテキスト研究
「教会で一緒に祈る」  使徒12:1−12
伝えるポイント:教会の祈りに支えられ、主の声を聞いたペトロに脱出の道が開かれた。

【ヤコブの殺害とペトロの投獄】(12:1-5)
 ヘロデ王とは、ヘロデ・アグリッパ1世(在位紀元41~44年)のことで、ヘロデ大王(マタイ2:1)の孫。この王家は混血であったため、王は保守的なユダヤ社会の指導者に取り入ろうと、教会を迫害したのであろう。ヨハネの兄弟ヤコブがまず斬殺された。彼は十二使徒の最初の殉教者である。続いてペトロが逮捕される。除酵祭(種なしパンの祭り)は、過越祭に先立つ。祭の直後にペトロを引き出して殺し、政治的効果を上げようとしたのである。4人1組の兵士4組はあまりにも厳重な監視である。このとき教会は、彼のために熱心に祈りつづけていた。

【ペトロ、牢から救い出される】(6-19a)
 処刑前夜に、彼は救い出される。当時、囚人の右手と兵士の左手は鎖で繋がれていた。彼は片手ずつを二人の兵士(もちろん牢の中にいる)に繋がれていたのである!ペトロは熟睡していたが、主の御使いに起こされた。鎖が落ち、服を着るように指示された。この間も、きっと兵士は起きていて真横にいたはずである!牢獄の鉄門もひとりでに開いた。衛所にもそれぞれ兵士が立っていたはずである。だから、ペトロにはすべてが現実の事ではなく、幻を見ていると思われた。御使いが離れ去った後、ペトロは我に返る。「今、初めて本当のことが分かった!」。自分を救ったのは、主であると知ったのである。
 ペトロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家に急ぐ。ここはすでにエルサレムの集会場所として用いられていた(ルカ22:12、24:33、使徒1:15、2:1)。最後の晩餐をした二階座敷(アパルーム)も、五旬節の日に聖霊が降臨したのもこの家であろう。マルコはバルナバのいとこであり(コロ4:10)、第1回伝道旅行に同行し(使徒12:25-13:13)たが、途中で帰ってしまった。第2回伝道旅行では、彼を同行させることで、パウロとバルナバの意見が分かれた(使徒15:37-40)。しかし晩年はパウロからも信頼されている(Ⅱテモ4:11、ピレモン24)。彼はアラム語しか話せないペトロの話を通訳して(Ⅰペテ5:13)、『マルコによる福音書』を書いたとされている。
 ロデという女中の動転ぶりは、ペトロ救出が、教会の祈りと期待をはるかに超えた神のわざであることを物語る。ペトロの救いを祈っていたはずの教会でさえ、この救出が信じられなかった。ペトロはヤコブと兄弟たちへの報告を依頼してそこから立ち去る。追手の追及を避けるためにも、エルサレムにとどまることは出来なかったのである。主イエスの肉における兄弟ヤコブは、すでにエルサレム教会の重要な位置にあったが、これ以後、ペトロに代ってエルサレム教会を指導するようになる。彼が『ヤコブの手紙』の著者である。ペトロはエルサレム会議を除いて、本書の記述から姿を消す。ペトロに脱獄され、番兵は責任を問われ死刑となった。

【クォヴァディス Quo vadis?】(コラム)
 初代教会の伝承によると、ペトロは61年ごろローマに行き、そこで殉教したと伝えられている。ペトロの説教により、総督アグリッパの侍妾が回心し、また貴族アルビヌスの妻クサンチッペが清い生活をおくるようになった。これに激怒したアグリッパとアルビヌスは、ペトロを殺害しようとした。その計画を知り、信徒はペトロをローマから逃がそうとした。アッピア街道の途上でペトロは復活の主に出会う。「主よ、何処に行き給うか?Domine, Quo vadis?」と聞くと「十字架に架かるため、ローマへ」と答えられた。その時、ペトロは自分が逃れようとしている十字架を負うために、イエスがローマに行かれるのがわかった。彼はローマに引き返し、捕らえられた。彼に見せつけるために、妻がまず十字架に架けられた。彼は「主を覚えよ」と妻を励ました。死刑執行人すらもその光景を見て、キリスト教を受け入れた。そして彼の番が来た時に、主と同じ様では申し訳ないので、逆さ磔にするように願い出た。後年、彼の墓の上に、カトリックの総本山、サン=ピエトロ寺院が建てられた。

■中高科
「教会で一緒に祈る」  使徒12:1−12
伝えるポイント:教会の祈りに支えられ、主の声を聞いたペトロに脱出の道が開かれた。

準備
 神様には不可能がないことを知るとともに、私たちの祈る祈りに神様が働いてくださることを信じていきたい。
説教
 使徒の働きを学ぶことができること、それは宣教とは神様ご自身の働きであると共に、神の召しに預かった私たち、すなわち「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださることを、私たちは知っている」ロマ8:28にもあるように、神様が神様の召を握る者たちと共に働く業であります。そして、神様は全ての状況を整え、導いておられます。その中で押し出されていくように、神様に従って行く時に、次々と神様の業が起こって行く。私たちにとって良いことと思えることだけでなく、最悪と思えるところにもまさに神様は生きて働いてくださっていのです。
 今日のストーリーはペテロの話です。このところでも大きな問題が襲ってきます。ペテロもヘロデの毒牙にかかり、捕えられてしまったのです。自分の仲間であったヤコブが殺された緊迫感の中で、ペテロもヘロデに捕えられ、厳重な監視の中におかれました。当時の習慣であれば、鎖に繋がれて一対一の監視体制ですが、ペテロに関しては、四人一組が4組、と16名がひとりを監視するということですから、絶対に逃げられません。そしてこの看守達も、もし逃してしまえば自分のクビが飛ぶと言う命掛かった、監視ですから、もう完全にお手上げ状態であります。
 しかし、このところで、信じられないような奇跡がおこります。主の使いがそばに立って、獄を照らしたとあります。そして御使いが脇腹をつついて「さあ起きなさい」と起こすと、両手の鎖は外れ、「帯をつけ、靴をはいて、上着を着てついて来なさい」との御使いの声についていったところ、16名の監視があるにも関わらず、次々と衛所をくぐり抜け、最後の鉄門も通り抜けることができた。ペテロも自分自身が夢の中で起こっているかのように、何だか分けの分からず状態であった。しかし無事に牢獄から根け出すことができて、はと我に返った時、これは主だという事を、神様が自分自身を救ってくださったことを悟ったとあります。
 この事を通して私たちが知ることができることは、神には不可能はないという事です。私たちの目に見える問題。沢山の障壁、妨害があっても、それが自分たちの目には大きくてどうしようもないと思えることであったとしても、私たちを救う力のある方がいます。それは神様です。神様は全知全能のお方であり、全ての創造主なるお方にとって、私たちの問題はあって無いようなものであります。自分たちとってどんなに高くそびえるような障害さえも、神様は解決を与える力があるのです。そして、ペテロのために教会では皆が一致し祈っていたのです。今の沢山問題はあるかもしれません。しかし、祈る時、全能の神の御手が動かされ、私たちの考えを超えた神様の解決があることを信じたいと願います。

■小学科
「教会で一緒に祈る」  使徒12:1−12
伝えるポイント:教会の祈りに支えられ、主の声を聞いたペトロに脱出の道が開かれた。

準備
 使徒言行録 12 章に記されるヘロデ王は、ただその名前だけであればマタイによる福音書2章において扱われる主イエスの生誕物語に見出すことができるでありましょう。しかし、マタイ2章のそれはヘロデ大王であり、後の14章のヘロデはヘロデ大王の息子(ガリラヤとペレアの領主、王になれなかったヘロデ・アンティパス)です。一方、使徒言行録が書き残したヘロデ王は領主ヘロデの甥であり、先のヘロデ大王からは孫にあたるヘロデ・アグリッパ1世(父親はアリストブロス) なのです。尚、後の25:13 以降で登場するアグリッパという人物は、アグリッパ1世の息子のヘロデ・アグリッパ2世です。このように、キリスト教の歴史はヘロデ一族の権力と切り離すことができず、またローマ帝国の支配下にもあったわけです。
 アグリッパ1世は、ローマ皇帝から王位を授かり、パレスチナの土地を祖父とほぼ同等領するようになります。しかし、その王位も急死するまでのわずか3年という年月でした。その間、彼はユダヤ人に好まれる王を目指します。中でもサドカイ派やファリサイ派に取り 入ろうとしました。ユダヤ教の習慣を守り、ユダヤの 信仰を重んじたのは言うまでもなく、キリスト教弾圧が 政策の一つとなっていったのです。この政治下において12 弟子のひとりヤコブが殺害された今、投獄されたペトロが処刑されることは目に見えており、その命はもはや風前の灯火でした。このような状況からペトロは救出されたのです。奇跡として語らずにはいられません。

說教例
 国という大きな組織は、国のために働く人を必要とします。そして国を守ろうとします。けれども、国を守るということは、その国に住んでいるひとりひとりを守ることとは少し違います。国が 持っている土地とか、お金とか、安全を守ろうとするからです。
 イエスさまが誕生された頃、ユダヤの地方はローマという大きな国に支配されていました。 ローマはよその国です。そしてまた、ユダヤの国 の王様がいました。その人はヘロデ大王といいます。ユダヤの人たちは、ローマにもユダヤの王様にも税金を納めねばなりません。苦しい生活だったことでしょう。
 今日の聖書の箇所で出てくるヘロデ王とは、ヘロデ大王の孫にあたる王様です。王様が死んでも、その次の王様がその家系から選ばれるわけですから、世の中はちっとも良くなりません。そうなると、王様に対する不満がいっぱい出てきます。そこで王様は考えました。「ユダヤの人々に好かれ る王様になろう!」こうして王様は、ユダヤの宗教を大切にするようになりました。同じ頃、ユダヤの祭司たちは、イエスさまを信じる人たちを嫌っていました。そこで王様は、クリスチャンの命を狙ったのです。12 弟子の一人であったヤコブは殺されてしまいます。こうして、国の王様が、自分の評判のために人殺しまでするという恐ろしい出来事が起こりました。ところが恐ろしいのは王様だけではありません。3節によれば、ヤコブの死がユダヤ人に喜ばれたというのです。怖いですね。
 次に命が狙われたのはペトロです。ペトロは捕 えられ、とうとう牢屋へ入れられてしまいました。このとき「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた」(5節)といいます。人間の力ではもう、どうすることもできない状態でした。しかし、神さまは不可能なことなど何一つなく、 人にはできないことをもなさるお方です。神さまは天使を遣わしてペトロを助け出します。ペトロ は、自分の為に祈っていてくれる仲間の所、教会へいくことができました。私たちの教会も、困難な中にある人の為に祈りましょう。

■小学科ワーク

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