2021年春号・5月23日成人科 ナザレン希望誌ウェブ版

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神の言葉が故郷の言葉で語られる 使徒言行録2:1-13 
 主イエスは、十字架にかかられる前の決別の説教(ヨハネ14-16章)、の中で、弟子たちに聖霊を与えることを約束されました(ヨハネ14:15-18、15:26,27,16:7-11)。また聖霊を受けることはイエスの命令でもありました(ヨハネ20:22、ルカ24:49、使徒言行録1:4,5)。エルサレムのとある家の二階座敷で、主イエスの約束を信じ、命じられたとおりに120人ほどの人々が、聖霊を求めて祈っていました(使徒言行録1:12-15)。イエスのご昇天後10日間熱心に祈ったのです。 いよいよ、ペンテコステ(五旬祭)の日が来ました。五旬祭は、モーセの十戒賦与を記念し、小麦の収穫を祝う日でした。五旬祭は、過越祭、仮庵祭とともにユダヤの三大祭りの一つであり、多くのユダヤ人がエルサレムに集まっていました(使徒2:9-11)。
 こうして祈っていた弟子集団のなかに、激しい風が吹いてきたような音、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、顕著な外的なしるしをもって約束の聖霊は降りました。そして弟子たちは、エルサレムの集まってきた人々が驚くような外国の言葉を話し出したのです。それは聖霊の降臨が、まぎれもない事実であり、約束された主の言葉が成就、実現したことを明らかにするためでした。このような見える外的なしるしもさることながら、弟子たちの中に起こった内的な変化の事実がありました。
 ギリシャ語のプニューマ(霊)は、風、息という意味もあります。目に見えなくても、現実に生き生きと働いているものです。神の御霊(聖霊)も、目には見えないけれども、現実に働いて、結果を示します。聖霊の降臨によって、弟子たちは、変貌しました。福音書における弟子たちと、使徒言行録における弟子たちの姿を比較してみるとわかります。 
 弟子たちは、権力争いや、イエスを知らないと拒否し、イエスの十字架や復活の事実やその意義を定かには理解していませんでした。しかし、今や聖霊の時が到来しました。
 聖霊は真理の霊(ヨハネ14:17,15:26,16:13)と言われています。人々に福音の真理を啓示し、示すお方です。人間の罪、イエスの十字架と復活によるによる救い、罪の赦し、新生、永遠の生命について教えてくださいます。弟子たちも福音の真理が聖霊によって、明確になりました。そのことがペトロの説教において顕著にみられます(2:14-36)。聖霊はきよめの霊です。弟子たちはあの日、罪と汚れを洗いきよめられ、聖別されたのです。聖霊は愛の霊です。聖霊に満たされ、神を愛し、人々を愛する者として整えられました。弟子たちは,主イエスの約束通り、能力を与えられました(使徒1:8)。聖霊は力の霊でもあります。このようにして、弟子たちは、顕著な聖霊の働きと導きによって、キリスト者としての生活が整えられ、力ある伝道を開始したのであります。力に満ちた彼らの伝道によって、イエスを信じる人々の群れがやがて最初の教会を形成していったのです(使徒2:41-47)。かくして、すべての教会の母教会とも言うべき、エルサレムに信仰共同体(エクレシア)が誕生したのであります。そこでは、聖霊は交わりの霊としても働いているのであります。
 教会は、神のみ心の中で、聖霊の導きと働きによって生まれ、その支えと助けの中で、進展し、成長していくのです。「われは聖霊を信ず」と使徒信条を告白します。キリスト者の信仰生活と伝道の働きの上に、聖霊の導きと助けの確かさを信じて行くことは重要なことであります。
 
 設問 個人の信仰生活とそれぞれの教会の成り立ちとこれまでの歩みを考えてみましょう。聖霊の働きを実感しましたか。

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