2020年夏号・小中高科9月20日 ナザレン希望誌ウェブ(テスト)版

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■ 説教準備のためのテキスト研究
マナで民を養う神さま
出エジプト記 16:13-23(朗読は16:16-18)
伝えるポイント:荒れ野を旅するイスラエルの民を神はマナをもって養った。モーセは民にマナを通し安息日の意味を教えた。
 「第2の月の15日」エジプトを出発してちょうど 1か月が経過した。「430年を経たちょうどその日」(12:41)からであれば、1か月半経過したことになる。
 マラにおいて水のことで不平を言った民は、今度は荒野で食べ物がないと不平を言った。お腹が空くと我慢ができないという人が、皆さんの中にもおられるだろう。このつぶやきは常日頃私たちが家族や周りにぶつける不平でもある。
 主はつぶやきに対してすぐに対応された。「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。」出エジプトはことごとく神の奇跡によってなされる。この奇跡的な恵みも、マラの場合と同じように、民が神の指示に従うか否かが試される。それは「毎日必要な分だけ」「毎日、その日の分」(新改訳)という神の規定を守るか否かである。また同時に 6日目に関する特別な規定も加えられた。
 6―9節では、モーセとアロンが、民のつぶやきに主が答えてくださったことを告げる。共同体全体を集めて、神の言葉を伝える。民の不平を神に取り次ぐ牧会者また祭司として、なんと苦労の多い働きだろうか。彼らは「一体、我々は何者なのか」と苦言を述べる。
 夕方と朝に、民は神の素晴らしい栄光を見る。それはエジプトを出てから変ることのない神の守りと臨在のしるしである。そして「わたしがあなたがたの神、主であることを知るようになる」。
 夕方になると、うずらが飛んで来た。また朝には天からのパンであるマナが与えられた。
 一人当たり一日に必要なマナは、1オメル(約2リットル)であった。それを家族分集めよと。この約束に従う時に、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りなくなることはなかった。しかしその規定を無視し、翌朝まで残すと、虫がわいて臭くなっていた。また溶けてしまった。
 6日目は、翌日の分として二倍を集めても、それは傷まなかった。7日目は安息日なのでで、野に行ってもマナは見つからなかった。
 安息日のことが「シナイ契約」に先立って命じられるのは、荒野の旅の全体が初めから終りまで主の契約の下に行われていることを示すものである。
 毎日規定量以上を集めようとする者、また安息日に捜し求める者を、主は戒められた。神が日々必要な糧を与えてくださることを学ばせるためである。
 うずらについては、民数記 11章に更に詳細な記録がある。うずらは、アフリカで冬を過し、シナイ半島を通って北に行って夏を過ごすので、その時のものと考えられる。
 マナは、朝降りた露が蒸発すると、「地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた」(14)。「これは何だろう」〈ヘブル語:マーン・フー〉と、人々が互いに言った言葉が、マナの語源となった。調理法は煮ても焼いても良かった(23)。見た目は「コエンドロの種に似て白く」、味は「蜜の入ったウェファースのような味がした」とある(31)。コエンドロは『聖書協会共同訳』ではコリアンダーとなっている。
なお辞典を開くと、コリアンダーは日本では「香菜」(シャンツァイ)もしくは「パクチー」と呼ばれている。(注:マナをパクチーと思い込まな
いでください。あくまで見た目の色の話です。)
 マナを、ある種の虫の排泄物であるとする学者もいるが、しかしうずらもマナも、神の導きによって超自然的に与えられた食物である。
 32節以降に、主はマナ 1日分を壺に入れて保存するように命じておられる。それは掟の箱の前に置かれた。「掟の箱」は幕屋建設の時に初めて作られるので、これはマナの記事を締めくくるにあたり後世に付け加えられたものである。彼らは約束の地に入るまでの 40年間、マナによって養われた。
 壺に入れられ掟の箱に保存されたマナは、イスラエルの人々のつぶやきと、それに対する主の恵みと導きを、代々に渡ってあかしするものである。

■ 中高科
マナで民を養う神さま
出エジプト記 16:13-23(朗読は16:16-18)
伝えるポイント:荒れ野を旅するイスラエルの民を神はマナをもって養った。モーセは民にマナを通し安息日の意味を教えた。

説教にあたって
 エジプトから脱し、追手のファラオの軍勢から救われたモーセとイスラエルの民。歓喜して主に感謝した彼らだったが、荒野を旅するうち、今度は深刻な食糧危機に襲われる。空腹に苦しむ民はやがて不平を口にし、エジプトにいた頃の肉鍋を懐かしむ。主は民の不平を聞かれ、モーセを通してパンと肉を与える約束をされる。民はうずらの群れとマナによって養われた。

説教例
 エジプトのファラオの軍勢から逃れたモーセ率いるイスラエルの大群衆は、主なる神さまに導かれ、約束の地をめざして荒野を旅していきます。
しかし、次に彼らを襲ったのは深刻な食糧不足でした。エジプトから持ってきたものなど、とうに底をついてしまい、あたり一面の荒野には大人数
のお腹を満たせる食べ物はありません。空腹に苦しむ彼らは不平を言い出し、ついにはエジプトで死んだほうがましだった、そこには肉鍋とパンがいくらでも食べられたのに、とエジプトでの暮らしを懐かしむ者まで出てきました。
 つい、数日前には神さまの圧倒的な勝利をほめたたえた者たちです。人間の弱さ、人の心の変わりやすさを思い知らされます。福音書では、イエスさまのエルサレム入城で自分の上着を脱ぎ、道に敷き詰めて歓呼した群衆が、数日後には「十字架につけろ!」と叫んだりしています。イエスさまご自身も、「心は燃えていても、肉体は弱い」と弟子たちに話されました。まさに、このときの民の胃袋は限界にきていたのです。
 主なる神さまはこの状態を見捨ててはおきませんでした。モーセを通し、「わたしは天からパンを降らせ、毎日十分な量を与える」と。そして、神さまは民が言いつけを守るかのテストをされると言われるのです。モーセと兄のアロンは、イスラエルの人びとに向かって言いました。「主は、あなたがたの不平を聞かれた。だから、夕暮れには肉を、朝にはパンを食べて満腹するだろう」と。
 果たして、そのようになりました。夕方になると、うずらの群れが飛んできて、宿営を覆うくらいになりました。彼らはそれを捕まえて、食べることができました。朝になると見たことのない、白くて、蜜のような甘いものが地表に現れました。彼らはのちに、これをマナと呼ぶようになります。
モーセは彼らに言いました。「これが、主があなたたちに与えるパンである。毎日、家族に必要な分だけ集めなさい」と命じました。彼らが言われたとおりにすると、多く集めたものも少なく集めたものもちょうど良い分量になりました。六日目だけは、二日分を集めても良いことになっていました。七日目は、仕事を休んで礼拝をする安息日だったからです。
 しかし、モーセの指示に従わない者もいました。翌朝までマナをとっておいた者は虫がついて食べられなくなり、七日目にマナを探しに行った者た
ちには何も見つからなかったのです。やがて、こうした不信仰な人びとは荒野で滅ぼされてしまいます。
 主の祈りでの「日毎の糧を与えたまえ」というお祈りの大切さを改めて思います。
 この箇所でのポイントは、次の2点でしょう。
① 神さまは、どんな境遇にあっても私たちを養ってくださる。そのことに信頼し、明日のことまで思いわずらわないこと。
②神さまは私たちのために、安息日を設けられました。その日に仕事(勉強)を休んでも、必要なものはちゃんと備えられます。すべてを与えてくださる神さまをまず第一とし、礼拝しましょう。

■ 小学科
マナで民を養う神さま
出エジプト記 16:13-23(朗読は16:16-18)
伝えるポイント:荒野を旅するイスラエルの民を神はマナをもって養った。モーセは民にマナを通し安息日の意味を教えた。

説教にあたって
 食料というのは神さまが与えて下さっておられること、今こうして生きているのも神さまの守りと導きがあってこそ、そしてキリストの十字架と復活によって罪赦され救われていることを伝える。

説教例
 イスラエルの民はエジプトを脱出し、紅海の岸辺でエジプト軍に殺されそうになったけど神さまが助けて下さったのです。さてその後、荒野を旅していました。彼らは食べ物のことで不満を言ったのです。「エジプトにいた方が良かった。あそこでは肉とパンが腹一杯食べられた。でもこのままでは飢え死にしてしまう」。
 新型コロナウイルスの流行のために外に出ることを控えたために、店で美味しい料理とかが食べられなくて辛い思いをした子もいると思います。「いつもだったらあれが食べられるのに」と。イスラエルの民は折角エジプトから解放されたのに、空腹が辛くて神さまに対する感謝と信じる思いが弱くなってモーセに不満を言ったのです。彼は祈り神さまは夕暮れに肉を朝にはパンを与えることを約束して下さったのです。すると夕にはウズラが飛んで来て朝にはパンのようなものが降りていたのです。「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパン」(15節)だったのです。大地からは様々な作物が取れます。また地だけでなく海にも食べるための生き物がいます。これは神さまが人間を生かすために与えて下さったのです。神さまは私たちの祈りを聴いて下さり今、生かして下さっておられるのです。
 神さまはイスラエルの民に「それぞれが必要な分、家族の分だけを集めなさい」とおっしゃられたのでした。言われた通りに集めてみると、それぞれが必要な分になったのでした。モーセは「だれもそれを、翌朝まで残しておいてはならない」(19節)と命じました。だけど聞き従わず、その一部を翌朝まで残しておいた人もいました。すると虫が付いて臭ってしまいました。モーセは彼らに向かって怒ったのです。どうしてなのでしょうか。コロナウイルスのことでパニックになり食料や物を買い占める人が現れました。そうすると他の人の分がいきわたらなくなり困ったことになります。でも神さまの言われた通りの分は丁度みんなにいきわたるのです。神さまの言葉はみんなを生かすのです。
 六日目になりました。今度は神さまの命令によってイスラエルの民たちはいつもより二倍の量パンを集めたのです。それは七日目が神さまを礼拝する日で働いてはいけないから、その分を蓄えておきなさいということでした。こうして神さまを礼拝するための準備が整えられました。
 神さまはこのように食べるという日常のことを通して自分がどんなお方であるか、そしてその神を信じることの大切さをイスラエルの民に教えられたのでした。私たちも実は今、神さまに生かされているのです。食べ物が与えられていること、生きていること、そしてイエスさまを通して罪が赦されて救われて命が与えられることを感謝しましょう。

■ 小学科ワーク

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