2020年夏号・小中高科8月23日 ナザレン希望誌ウェブ(テスト)版

目次に戻る    カリキュラム一覧に戻る

■ 説教準備のためのテキスト研究
王女に助け出されたモーセ  
出エジプト記 2:1-10(朗読は2:1-3)
伝えるポイント:生まれて間もないモーセは、神の導きによってファラオの王女に見いだされ、やがて王女に引き取られた。

 1章 1節の「名は次のとおりである。」は、ヘブル語聖書の巻名『ウェーエーッレ・シェモース』となっている。(日本語聖書では『出エジプト記』となっているが…。)
 1章の冒頭部分は、創世記とのつながりを示すと共に、イスラエルの現状を語り、更に将来を暗示する。ヤコブの 12人の子供の名は、本書で形成される12部族から成るイスラエル(神の契約の民)を指し示している。「その世代の人々も皆、死んだ」は、族長時代が終わったことを示すが、「子を産み、おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れた。」は、族長たちへの神の約束(創17:1―8等)が実現したことを物語る。
 「ヨセフのことを知らない新しい王」が出てきた。それは王朝が代わりその最初の王という意味である。「知らない」という言葉は、知識がないという意味ではない。対イスラエル政策が変わったのだ。もはやヨセフ物語に見られるようなエジプトにおけるイスラエルの平和と繁栄の時代は、完全に過去のものとなった。
 王は、イスラエル民族が強大となり、敵と組んで新王朝を倒すことを恐れたのである。しかし彼らを労働力として確保しておきたかった。だから「強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した。」
 「物資貯蔵の町、ピトムとラメセス」これらはナイル川デルタ地帯にあり、第 19王朝時代のものと思われる。イスラエルの民は、非人間的な強制労働にもかかわらず、さらに増え広がった。それは神の不思議な力の働きであることを示す。
 イスラエル人について「ヘブライ人」の語を用いる場合は差別語として使われているようである。王は助産婦に、男の子を殺すように命じる。しかし助産婦たちは王よりも神を畏れていたので、子供を守り、また神も彼女たちを祝福された。
 「男の子」には神学的な意味がある。イサク誕生物語が示すように「男の子」の出生は、神の約束との関係で特別な意味を持つ。族長たちへの神の約束は、子孫が増えるということである。
 最後に王は全国民に対し、イスラエルの男子をすべてナイル川にほうり込めと命じるに至った。
 モーセの詳しい系図は 6:14―27に出てくる。レビの家系のアムラムを父とし、ヨケベドを母とする。しかし兄アロンに関しては突如として 4章に登場し、また姉ミリアムの名も 15章にならないと出てこない。
 両親はモーセを生後三か月の間は家で隠しておいたが、もはや隠し切れなくなったので、パピルスの「かご」を用意してナイル河畔の葦の茂みに隠した。この「かご」はノアの「箱舟」と同じ言葉である。かごをアスファルトとピッチで防水をした。ピッチ〈ヘブル語:ゼフェス〉は、現代では松ヤニを初めとする樹脂類である。アスファルト〈ヘ:ヘーマール〉日本語では瀝青=原油・石油タールなどを蒸留した後にできる黒色の残留物。ノアの箱舟に塗られたタール〈ヘ:コーフェル〉(創 6:14)。この用語の違いは、現代では区別がわからない。同一物質の異称、あるいは濃度の違いによる異称とも考えられる。
 そのかごをファラオの王女が見つけ、ふびんに思い助けることにした。またモーセの姉が機転を利かせ、なんと実母が乳母として子どもを育てることとなった。しかも王女の子として、手当も出してもらって。
 ここには「神」という言葉は出て来ないが、エジプトにおけるイスラエルを深く顧みられる神の御手が背後にあることを強く感じさせる。「モーセ」の名の意味について、ファラオの娘は、「水の中からわたしが引き上げた〈へ:マーシャー〉したのですから」と説明されている。これはエジプト語で「生む」「子」を意味する〈メス〉に由来するようである。(ラーメス:太陽神の子の意味のように)。モーセはエジプト名を付けられたことによって、イスラエルがエジプトで経験した最も恐ろしい迫害の記憶を身に帯びることになる。
 エジプトで教育を受けたモーセの教養については、使7:22を参照。


■ 中高科 
王女に助け出されたモーセ 
出エジプト記 2:1-10(朗読は2:1ー3)
伝えるポイント:生まれて間もないモーセは、神の導きによってファラオの王女に見いだされ、やがて王女に引き取られた。

説教にあたって
 イスラエルの人びとに苦難が訪れました。そんな時、神は彼らを導き出す指導者を立てられ、不思議な方法でその子の成長を守られます。 

説教例
 今日から、出エジプト記を学びます。皆さんは、エジプトというとどんな印象を持ちますか?クレオパトラ?ピラミッド?間違いなくそこは、最古の文明が栄えた国のひとつですね。ナイル河のほとりに栄えた肥沃な土地は、豊かな実りをもたらし、イスラエルの人びとも何かあると、たびたびそこへ行って暮らしました。ヨセフの時代のエジプトが、イスラエルと最も良い関係にあった時代で、父ヤコブの一族は民族を挙げてエジプトに移住します。彼らには、神さまが共におられたので、エジプトでも栄え、次第に数を増していきます。これを恐れたのが、ヨセフのことを知らない新しい王で、彼はいつかこの民族が国を乗っ取るのではないかと恐れ、彼らを強制労働につかせ、奴隷のように酷使します。さらに、これ以上増えないようにと、生まれた男の子はすべて殺すようにと、助産婦たちに命じました。なんとも、ブラックな王様ですね。しかし、イスラエルの主なる神さまは、民の苦しみ、悲痛な叫びを長らく見過ごしにはされません。神さまはヤコブとの約束を思い出され、この民とともにふたたびエジプトを出ようと決意されます。民の指導者として選ばれたのが、今回生まれたかわいい男の子モーセです。しかし、この頃には生まれた男の子はひとり残らず、ナイル河に投げ込まなければいけないという命令が出されていました。さて、レビ(祭司)の家系にかわいい男の子が誕生します。あまりにこの子が可愛かったので、母親は三か月の間、家に隠して育てていました。しかし、泣き声もだんだん大きくなってきて、近所に知られてしまうのも時間の問題。困った母親はその子をパピルスの籠に入れ、泣く泣くナイル河の葦の茂みの間に置きました。ちょうどそのとき、ファラオの王女が水浴びをしに侍女たちと河岸にやってきていました。王女はその籠を見つけ、とりにいかせると、中にはかわいい男の子が入っていて泣いているではありませんか?彼女たちは、子どもをとりかこんで「かわいそうに。きっとヘブライ人の子ですよ」と言いました。そのとき、機転を利かせて王女に申し出た少女がいました。「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んでまいりましょうか?」なんと、この少女はモーセの実の姉のミリアムで、どうなることかと近くで様子をうかがっていたのでした。「そうしておくれ」と王女が答えたので、娘はさっそく子どもの実の母を連れてきました。王女はそうとは知らず、子どもに乳を飲ませるよう、母親に頼み、その子が大きくなると、母親はまた王女のところへ連れていきました。それが安全だったからです。こうしてその子はモーセと名づけられ、王女の養子として宮廷で育てられるようになります。王女が水から引き上げた男の子はやがて、イスラエル民族をエジプトから「引き出す」者(モーセの名の由来)となっていくのです。この神さまは現在も、窮地にある私たちの声を聞きつけ、そこから「引き出す」ことがおできになります。

■ 小学科
王女に助け出されたモーセ
出エジプト記 2:1-10(朗読は2:1-3)
伝えるポイント:生まれて間もないモーセは、神の導きによってファラオの王女に見いだされ、やがて王女に引き取られた。

説教にあたって
「どんなに自分の思い通りに生きようとしても、神の御心に逆らうことは出来ないのである。

説教例
 イスラエル(ヤコブ)とその息子たち一族は、兄弟ヨセフを通した神さまの導きによってエジプトに移り住みました。ヨセフはエジプトを飢饉から救った大臣だったので彼らは大切にされ平和に暮らしていたのです。そして沢山の人々が生まれ育ったのです。だけど時が経つとヨセフのことは忘れ去られ、増えたイスラエルの人々はエジプトの人たちから恐れられたのです。「このままではエジプトはイスラエルの人々に乗っ取られてしまう」。そうならないようにするために奴隷にされてしまい辛い仕事をさせられるようになりました。彼らは信じている天の父なる神さまではなく、エジプトの王、ファラオのために生きることを求められたのです。こうしてイスラエルの人々は神さまに祈り助け求めました。そしていつか神さまが救い主を送って助けて下さると信じるようになったのでした。でも祈って直ぐに聞かれたわけでありません。長い年月が経ちました。ようやく神さまはイスラエルをエジプトから導き出す救世主を送ったのです。
 イスラエル人のレビ家という一族から一人の男の赤ん坊が生まれました。それがモーセでした。でもこのときエジプトの王、ファラオは生まれたばかりのイスラエル人の男の赤ん坊を殺せという命令を発していたのです。モーセもこのままでは殺されてしまいます。でも不思議なことにエジプトの王女さまに拾われ、何と王子として育てられることになったのでした。こうして神さまはモーセを通してイスラエルの人々をエジプトから助け導くのです。
 ファラオはイスラエルの人々を邪魔者にして奴隷にし、生まれた男の子を殺してエジプトを守り自分の思い通りの世界を作り出そうとしたのです。しかしファラオが自分の思い通りにしようとすればするほど、神さまの思い通りになって自分の願いとは逆になってしまったのでした。これはファラオからすれば、どれほど悔しいことでしょうか。
 また後の時代、神さまの御子であるイエスさまが、今度はイスラエルの人々から邪魔者扱いされ十字架にかけられ殺されてしまいました。でもそれによって罪の赦しと救いがもたらされたのです。イエスさまを殺して自分たちの思い通りの世界を作ろうとした人の思いとは逆に神さまの御心が実現したのです。
 どんなに自分の思い通りに生きようとしても神さまの御心には逆らえないのです。そのことを心しておくべきです。

■ 小学科ワーク

2020 希望 夏 ワーク_page-0008



目次に戻る    カリキュラム一覧に戻る

2020年夏号小学科ワーク13週分のPDFダウンロードはこちらをクリック
(googleアカウントが必要です。)

御言葉カードはこちらをクリック
(googleアカウントが必要です。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?