2020年夏号・成人科8月30日 ナザレン希望誌ウェブ(テスト)版

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貧しい者を愛し受け入れなさい レビ記 19:6-18

◯はじめに
 レビ記を一貫している精神は「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。」(レビ19:2)です。イスラエルは神の民として召し出され、罪が洗われ、聖別された民族となったのです。ですから聖なる民としての律法、祭儀、生活が他の人たちと違っているべきなのです。聖とは、神によって特別な使命に召されたものという意味です。ですから他の民族、種族とは違ったものなのです。特にこの章ではそれを教えているのです。
1、根本的な義務(祝福を得るための)
 神とアブラハムとの契約は、「あなたを祝福する」でした。ですから、ここでは祝福を受けるための、根本的な義務を教えているのです。これを行う者に必ず祝福をもたらすのです。この祝福のための根本的義務が二つあります。その一つは神を畏れることであり、もう一つは、両親を敬うことです。これによって未来の祝福は確実なものとなるからです。またこの二つは互いに絡み合っており、互いを強め合う関係です。なぜなら、神の概念を学び経験するのは、自分の両親を通してなのであり、両親の愛と祝福を受ける時、神様の代務者としての親の愛は、子供に神様を敬う基礎をその魂に築かせて行くからです。天の父の概念を地上における両親から経験するので、親を敬うことと神様を畏れることは、共に祝福を受けるための絶対的な条件となるのです。
2、神の民の印、他の人への尊厳と愛
 レビ記は神に救い出された民が、神のきよめにあずかることを予表する書であり、神様の愛に生きることを意味しています。神様にきよめられた人は、神のきよさの中に生きるように、神の愛を受けた民は、神の愛が全ての人に注がれていることを知るものでもあるのです。
 19章の教えは、田畑から来る収穫は、全て神様から与えられたものであって、神に収穫を感謝する度に、収穫物にあずからない、貧しい人や弱い人のことを思い、神様はまたこれらの人にも、恵みと祝福を与えておられることを思う時に、この恵みを分け合うことが、神に忠実に生きる道であることを悟らせてくれるのです。律法では、果樹を植えても3年間は禁断のものとし、食してはなりません。4年目には聖なるものとして主に全てを献げ、5年目からはじめてその実を食べることができます。この教えは、すなわち全ては神のものであり、全てを自分が所有するのではないことを教えています。収穫の時にも、主の御心を覚え、農夫は全てを取り切ってはならないのです。その土地にいても、領地を持たない異邦人のために収穫を残して置くのです。貧しい人や旅人が来て、残った収穫物にあずかり、神様の恵みにあずかり感謝することは神様の計画なのです。人はみな神様の恵みと愛に生かされているので、耳が聞こえない人や目が見えない人には、それによって不利益が出ないようにすることが神の民のなすべきことです。ペンテコステの日以来、初代教会の信者は、「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおの必要に応じて皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」(使徒2:44-47)と記されているように、聖霊が降った時に聖霊の支配が教会をつくったのです。その時人々は自分の持ち物を持ち寄り互いに共有し合い、財産をも教会に献げる者が起こって来ました。神様の御思いは、互いに愛し合い、分け合うことなのです。これが神の民の姿なのです。


設 問 祝福を受ける民は、その原則と方法を知っているのです。それはどのようなものでしょうか。

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