2021年春号・レストラン・エパタ ナザレン希望誌ウェブ版

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関東地区CEC研修会 コロナ禍の中で「あなたのパンを水面に投げよ」
国立教会 牧師 大山裕昭
2021年2月14日(日)開催 関東地区CEC研修会にて
コヘレト11:1~6

 今日はこのようにして、皆さんとZoomを通して、教会教育、子どもたちへの取り組みについて分かち合うことが出来ることを感謝いたします。「コロナ禍の中で」と主題が与えられておりましたが、既にコロナの影響が出て1年が経ち、各教会でも、様々な対応に取り組まれて来たことでしょう。
 ですから今日は、次のことを中心に話させていただきたいと思います。最初に【Ⅰ】自己紹介をした後に、前半の【Ⅱ】【Ⅲ】では、子どもといっしょの礼拝のあり方について語らせてきたいと思います。今回発行されました『暁に太陽リターンズ』に、「神の共同体としての礼拝」に関して、私が与えられているビジョンについて書かせていただきましたので、是非参照してください。また後半の【Ⅳ】ではコロナの中での具体的な取り組みと、最後に【Ⅴ】コヘレト(伝道者の書)のみ言葉から共に聴きたいと思います。

【Ⅰ 自己紹介】
 私自身は、クリスチャン家庭に生まれ、教会学校で養われて来ました。洗礼を受けてからは、教会学校教師として子どもたちに関わらせていただきました。教師訓練会や、子どもたちと関わる中で頂いた恵みが、献身にも繋がっていると思いますし、牧師となってからも、子どもの伝道に重荷を持って来たことのベースになっていると思います。

自己紹介を兼ねてパワーポイントで紹介しましょう
1)CSの生徒として〈写真1〉

1、青葉台教会玄関で

 両親は尾山台教会で洗礼を受け、尾山台が株分けして青葉台教会を設立する時のチャーターメンバーです。この写真は、まだ青葉台教会の外装工事中で、足場が残っています。前方左端が私で、後ろには伊豆先生夫妻や前田さん一家が写っています。この時代には、たくさんの子ども達が集まっていました。このことを懐かしむよりも、その時代にどんな取り組みをしていたかが後に、結果としてついて来ていると思います。
 大切なのは、世代をつなぐことだと思います。信仰継承は、教会の業であると共に家族の業です。健全な成長をした教会の姿は三世代の教会(スリージェネレーション)です。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、子どもたちがいる教会。でも現実は、おじいちゃん、おばあちゃんがいるけれど、その後の世代がいないという教会が多いと思います。あるいは青年中心の教会形成する場合、おじいちゃん、おばあちゃんがいないという場合もあります。
 世代を繋ぐのには最低30年はかかります。だからこそ、次世代伝道、子ども伝道を、信仰継承のための取り組みから手を離してはなりません。自分の子どもたち、孫たちがどれぐらい教会に繋がっているでしょうか。

2)CSの教師として〈写真2〉

2、幼稚科の子ども達と

 私は、小学校高学年から教会に行かなくなって、高校時代は部活に明け暮れ、完全に教会から離れた生活をしていました。教会によっては部活禁止という所もあるそうです。でも中高時代の部活や、そこで養われる体や根性、友情も大切です。部活をしたい子どもたちをどうフォローしていくかも教会に問われると思います。大嶋重徳師が『おかんと僕の信仰継承』という中で、部活に行く前に牧師が祈って送り出してくれたエピソードが載っています。

 私は浪人時代にまた教会に戻ってきましたが、洗礼を受けるより前に「大山君は教会学校育ちだから」と言われ、いきなり幼稚科のお手伝いに入ることになりました。どうしてもお兄さん先生が欲しいという事でした。お母さん世代の先生二人と、僕と、もう一人若い姉妹の4人で20人程を受け持ちました。
 当時、神奈川県立の児童養護施設から来ている子どもたちが10名ほどいました。児童養護施設とは、親との死別や経済的理由、虐待などにより、家庭で暮らすことができない子どもを養育する福祉施設です。県立でしたが、クリスチャンの園長の特別な計らいで、年長さんの1年だけ、交友の場を広げるという名目で、教会に送り出してもらっていました。ですから1年間でイエス様の救いを伝える特別なカリキュラムを組みました。この写真は、夏のお楽しみ会の子どもプログラムです。近所の電気屋さんで冷蔵庫の段ボール箱をもらってきて、皆で入れる教会堂の工作をしました。
 ある時、お母さん先生が、若い先生に「おっぱいを触らせてあげなさい。」と声を掛けていました。私にとっては衝撃的な指導でした。体をもって子どもたちに愛を示すのです。
 教師研修会に参加させていた時の話です。当時児童伝道で有名だった先生が、こう話されました。「みなさん、皆さんの使命は、子どもたちを楽しませることでも、次の学年につなげることでもありません。子どもたちは、全員が大人になれるわけではないのです。明日、天に召されるかもしれません。だから私たちの使命は、イエス様の救いを確信させることなのです。イエス様を信じ受け入れるように導くことです。」その時に私は次のような質問しました。「でも子どもの確信は揺らぐし、まだ聖書を完全に理解することはできませんが…。」その先生はこう答えられました。「では大人は聖書を完全に理解して信じているのですか?大人になったら決して確信は揺らがないのですか?子どもも大人もその時の信仰によって主を知り、信じているのです。その差はありません。そしてその後の導きが必要な事も変わりがありません」。目からうろこが落ちる思いで聞きました。
 それから子どものたちの伝道と教育にさらに真剣に取り組む様になりました。

3)結婚してから:鴨志田分校
 結婚をしてから、青葉台教会の鴨志田分校を担当したことがあります。尾山台教会員のお宅で、近所の友だちを集めて、日曜日の朝に子ども伝道をしていました。ユニークな取り組みだと思います。私たち夫婦が青葉台教会の教会学校の教師として、そこに派遣されて行っていました。教会が協力して、教会のわざとしてこのような伝道の可能性もあると思います。

4)札幌教会時代、自らの子育て〈写真3〉

3、札幌教会にて

 その後、私たちは転勤で札幌に住むことになりました。10年間を札幌教会のメンバーとして過ごしました。初期のころは私たちも子育てで忙しく、教会学校教師を離れました。
 札幌教会は幼稚園もあるために、この時代でも子ども達が大勢集まっていました。私も娘達が大きくなると小学科教師に復帰しました。この写真は、コスプレでのメッセージ「モーセの十戒」です。

 当時も、また今も感じることですが、中学に上がる時に、教会の礼拝に子ども達がなかなか繋がらないということです。小学校を卒業するとともに、教会学校をも卒業してしまう子が多いのです。小学生の時は子ども礼拝があるのですが、「中学生になったら大人の礼拝に出なさい」と言われても、今まで一回も出たことのないむずかしそうな礼拝に、あまり顔を知らない大人たちに囲まれながら出なさいと言われても、ハードルが高すぎますね。一番繋がりにくい思春期の時期に、一番ハードルが高いのです。これは考えねばなりませんね。どうしたら子ども達を繋げることが出来るだろうかと考えていました。

5)メノナイトの牧師となって〈写真4〉

4、メノナイト教会

 神学校を卒業した後、私はメノナイトというグループで牧師として奉仕しました。メノナイトは信仰共同体を重んじます。神の家族として、大人も子どもも分け隔てなく共に礼拝し、共に交わりを持っていました。子ども達を礼拝共同体の中で育てる。子どもたちにも働き・役割を担ってもらう。またメンターを付けるなどの取り組みがありました。
 またこの時代、宣教師ファミリーも協力宣教師として加わり、米国での取り組みなども教えていただき、私自身、牧師として様々な取り組みにチャレンジすることが出来ました。子どもといっしょの礼拝の取り組みは、この時期に試行錯誤を繰り返し、形作られていったものでした。
 その後、『子どももいっしょの礼拝』(鞭木由行師、いのちのことば社)という本が出版されました。私が取り組んできたことを、まさに文章化してくれたような本でした。この本と出会ってからは、この本をテキストとしてCS教師、役員たちと学びをしております。

【Ⅱ 子どもといっしょの礼拝】
それでは、子どもといっしょの礼拝について考えて見ましょう。

1)信仰共同体として
 教会学校(CS)、日曜学校(SS)という呼び方は、欧米で教会が寺子屋として教育の機能を持っていたことに由来する名称です。
 しかし、教会は「教育の場」と言うよりも、信仰共同体の一員として子ども達と共に「礼拝する場」です。「子どもといっしょの礼拝」とは、子どもの礼拝(子どもっぽい礼拝)に大人が加わることではありません。また、大人の礼拝に子どもを参加させることでもありません。神様が招く「一つの礼拝」に、神の家族である私たち皆、共に集うことです。
 よく「合同礼拝」なのではと勘違いされますが、そうではありません。「合同」礼拝という言葉は、いつもが「分離された」礼拝だということが前提です。でもそれは聖書的な礼拝でしょうか?子どもたちは、別に礼拝を持ちなさいと言われているでしょうか?聖書には子どもと大人が別の礼拝をもっていたという記述はありません。その逆です。
 一例を挙げますと(出エジプト10:8~11)ファラオとモーセの会話では、ファラオが、成人男子のみで礼拝を行えばよいと言うのに対して、モーセは「若い者も年寄りも一緒に参ります。息子も娘も羊も牛も参ります。主の祭りは我々全員のものです」と応じます。それ以外にも、申命記12:6~7、12、18、ヨシュア8:34~35、エズラ10:1などが挙げられます。

 また新約の場面でも、五千人の給食(ヨハネ6:1~15)、「子どもたちを私のもとに来させなさい」(マルコ10:13~16)、弟子たちの前に子どもを立たせたシーンなど(マタイ18:1~10)、礼拝の場に、いつも子ども達が一緒にいることが分かります。

2)信仰を伝えていく責任
 信仰を伝えていくことは、「教会」と「親」とに託された尊い使命です。子どもや孫が救われてほしいと願うのならば、親である私たちの取り組みと祈りは欠くことが出来ません。
 そのためには、まず親である私たちが、聖書的価値観に基づく生き方をすることが求められています。教会と家庭との「裏表のない」生き方が求められます。これが一番、自分の子ども達から問われますよね。

 「教会に行くこと」「おとなしくすること」と「礼拝に行くこと」の違いをはっきりさせる必要があります。教会に無理やり連れていっても、心ここにあらず、ということがあるのではないでしょうか。また「静かにしなさい」と言っても難しい場合があります。「大人」とは、「音無しくできる人」つまり、静かにしていることの出来る人を指します。つまり子どもたちは大人の願うようには静かに出来ないのです。

《その為に、工夫が必要です》
◎ですから家族が一緒に礼拝に集う工夫が求められます。その一例を挙げさせていただきます。

◆礼拝に行く前から、神様にお会いする準備をする。
 私たちの家族の場合は、日曜日は特別な服と髪飾りを用意しました。札幌教会では、大人はスーツを着て礼拝に出席することが常でしたが、娘達にも特別な服を日曜日ごとに着させて、おしゃれをして出かけるようにしました。フランス語で「礼服」を日曜日の服と表現しますが、礼拝に向かう特別なワクワク感があると良いと思います。
 また可愛らしい「教会バック」を準備しました。その中には、おじいちゃん・おばあちゃんからのプレゼントされた「マイ聖書」と「マイ讃美歌」が入っていました。また可愛いノートや鉛筆なども用意しました。

◆大人も子どもも神様を礼拝する。家族が一緒に座って礼拝を守る。
 子ども達が小さいうちは母子室を利用しましたが、幼稚園に上がってからは、ベンチの両脇に私たち両親が座り、子どもたちを真ん中に座らせて、一緒に礼拝をしました。讃美の時には、子ども達もベンチの上に立ち上がって、親が指さす讃美の歌詞を目で追い、一緒に讃美歌を口ずさみました。歌詞の意味はすぐには分からなくても、メロディーや歌詞が心に残ります。私が牧師になった時に、幼い頃に覚えた聖歌や讃美歌の歌詞が沸き上がって来て、説教準備の時にとても助けになりました。

◆自由に使えるノートを準備する。
 自由に使える可愛いノートを準備しました。それには、お絵描きをしても良いし、また御言葉を記しても良いのです。親たちも説教をノートに書き写している姿を見て、子ども達も隣の席でお絵描きをしながらメッセージを聞いているのです。時々顔を上げて、牧師の言葉の意味を尋ねてきました。子どもはちゃんと聞いて、けっこう理解しているのです。

 幼くても信頼できる大人から教われば、大切なことを区別することができます。また大人では信じることが出来ない様なことを、子どもたちは受け入れる力があります。だからこそ配慮が必要です。

その他のアイデアや工夫も記しておきます。ただ現在ではコロナのために実現が難しいものもありますが…。
◆共に食事をする。ユダヤでは団欒の場で家長が祈ります。笑いながらゆっくり食べる。イエス様は食事の席で弟子たちを訓練されました。
◆共に奉仕する:礼拝の奉仕(献金籠を回す奉仕、アドベントクランツに火を灯す奉仕など)。また神様への陰の奉仕として、お掃除のお手伝いや、ボランティア活動など。
◆日曜日に仕事や部活などがある時は、早朝礼拝や夕礼拝を持つことも取り組まねばなりません。

 子ども達は成長・発達の段階で、親や教師を批判したり、信仰的なことに懐疑的になったりします。反抗期や思春期は自己統合の時期です。しかし親が本当に信仰に生きていれば、やがて必ず聖霊が働いてくださり、子ども達も親の後ろ姿を見て、「この信仰は真実だ。この神様は本物だ。」と信仰を個人的なものとして受け取ることができます。だからその日を信じて祈り続けましょう。子ども達に対する、取り組みを続けましょう。

【Ⅲ 国立教会に遣わされてから】
 私が国立教会に赴任してからのことを少しお分かちしたいと思います。
 国立教会も、昭和40年代50年代には大勢の子ども達が集まっていました。過去の資料を見ても、学年ごとにクラスを持つほどの、小学科だけで50名前後集まるような時期もありました。しかし、ある時期から子どもたちが減少して、教会学校を持つことが出来ないような時期が数年続いたそうです。その後、前任の牧師先生はじめ、スタッフの熱い思いや取り組みによって、少しずつ子ども達や子ども連れの家族が増えていきました。
 私は、国立教会に遣わされてから。最初の一年は基本的に何も変更せずに、今までやって来たことを見させていただきました。良い点も沢山ありましたし、また問題点や改善しなければならない点も気づかされました。そこで学びと話し合いを重ねて少しずつ、神の共同体として共に礼拝を捧げることが出来るように、子どもの取り組みを変えていきました。

1)役員と教師の学び(研修)
 最初に取り組んだのが役員と教師の学びでした。役員会と教会学校教師会の最初の30分は、必ず学びの時を持つようにしています。最初は『子どももいっしょの礼拝』を一緒に読み進めてきました。また各会の終わりには、必ず全員で祈る時を持っています。
 その目的は、一人ひとりの意識改革です。漫然と奉仕をするのではなく、私たちは主に選ばれ、教会から押し出された者として、責任をもって仕えるためにです。丁寧な取り扱いと共に、牧師との信頼関係・絆を作る上でも大切です。教会が前進していくためには一致が必要です。そして思い、目標、祈りが一つになるところから始めました。

2)名称の変更
 最初にお話ししましたが、「教会学校」という言葉は、寺子屋的に教育を担っていた時代の名残です。ですから名称を変えることにしました。名称こそは、その本質を表すからです。名称を変えることは、私たちの意識を変えることです。また目指している目当てをはっきりさせることだからです。
 話し合いを重ね、スタッフの提案で、子どもたちの取り組みを「ジョイジョイ・ジーザス」という名称にすることにしました。共にイエス様を喜び、イエス様から喜ばれる一人ひとりになるようにとの願いを込めた名称です。
 また「教会学校教師」という言葉も変えました。それは「私、教える人、あなた学ぶ人」ではないからです。子どもたちをサポートし、お仕えする役目なので、今は「スタッフ」と呼んでいます。ですから教会学校教師会と呼んでいたものも、「ジョイジョイ・スタッフ会」としています。

3)礼拝の中に子ども達を連れてくる。
 国立教会に赴任した時には、教会学校は、礼拝と同じ時間に、子どもたちを別の部屋に集めて行っていました。歌を歌い、子どものお話をして、その後は工作やゲームをして過ごすものでした。
 もちろんその時間は、担当の教師たちは礼拝に出られません。小学生の子ども達も洗礼を受けていましたが、その子たちも礼拝出ることがありませんでした。また牧師である私も、洗礼を受けた子どもたちや、そこに集まっている子どもたちに関わることが出来ないのです。そればかりか、その集会を見ることすらできない。これはちょっと問題だなと思いました。

 マルコ10章13節~16節では「人々が子どもたちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。」とあります。弟子達が、子ども達が来るのを妨げたのには様々な理由があるでしょう。たとえば①子ども達が来るとうるさい、礼拝の場が乱される、とか。②子ども達にはイエス様のお話はむずかしい。別の場所で遊ばせていればいいんだ、とか。③イエス様は忙しいのだ、子ども達に煩わされたくないはずだ、とか。しかし「イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子どもたちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」と言われました。
 まさにこの弟子たちと同じ様な考えに陥って、子どもたちを礼拝の場から遠ざけていたのです。

 しかし、子ども達を礼拝の場、イエス様のおられる所に連れてくると、教会全体がとても変わりました。子ども達が変わりました。大人たちも変わりました。そして礼拝全体が変わりました。
 まず、一つの礼拝、同じ御言葉に、教会員全員が養われることです。それは教会一致の上で大切な点です。
 また子ども達と一緒に礼拝をすると、子どもたちの聴く力や霊的な成長に、大人や教師たちが驚きました。子どもたちはちゃんと話を聞いているのです。むずかしくて無理だと言うのは、大人や教師たちの先入観なのです。素直に神様を信じる心や霊的な視点は、大人以上です。
 さらに、子ども達の可愛らしい姿や歌声、真剣に質問に答える姿に、大人たちも微笑み、励まされ、癒されました。

ですから、《礼拝を準備する側としては、子どもたちと共に礼拝を守るための知恵と工夫が必要》になります。
①讃美
 礼拝には必ず子ども讃美を入れています。以前は、「子ども讃美歌」2曲、「青年向けのワーシップソング」2曲、「聖歌」2曲という構成でした。(今はコロナのために計3曲です)。ところで『新聖歌』は、「共同体的視点」や「子どもたちが心からアーメンと歌える歌」が少ないように感じます。
 また振付のある子ども讃美も選びます。少し恥ずかしいかもしれませんが、体を使って讃美をすると、心も朗らかになり解放されますね。ミリアムやダビデが踊りをもって主を讃美したように、主は踊りという讃美をも喜んで受け取ってくださいます。

②メッセージ
 現在は「子どもメッセージ」と「大人メッセージ」の2本立てで礼拝を構成しています。子どもメッセージはジョイジョイのスタッフが持ち回りで、「希望誌」に準拠して準備し語ってくださいます。
 現在はコロナ禍の中ですので、自宅でビデオ取りをしてYouTubeにアップし、礼拝の中で共に見る場合もあります。またスタッフが会堂でお話しされた場合でも、顔出しがOKならば、YouTubeにアップして、皆さんが視聴できるようにしています。YouTubeでの動画配信は、60代のスタッフも自宅でスマホで撮影し、ビデオ編集のソフトを勉強しアップしてくださっています。そのために家族の協力もあったことも感謝しています。
 求道者にとっても、家庭でYouTubeを見てくださっているご家族にとっても、「子どもメッセージ」は視覚教材もあり、分かりやすいと、とても評判が良いです。

 今回、この講演会に参加してくださる皆さんには、事前に国立教会YouTubeの『本当のクリスマス』という動画を見て頂きました。外部の子ども達への伝道として「ハレルヤこどもくらぶ」のスタッフの皆さんが作成してくださったものです。オリジナルで絵を作り、撮影、編集しています。

③クイズ、ワークシート
 子どもメッセージの後には、クイズをして、子ども達の理解度を確かめたりしています。小学科の子どもたちには希望誌のワークを、幼稚科の子どもたちにはぬりえを配って、大人メッセージの間は、親の隣や教師の隣に座って、メッセージを聞きつつ、それらに取り組んでいます。

 先に子どもメッセージがあることのメリットとして、大人メッセージの時、導入部分が必要ないことが挙げられます。いきなり本論に入れるのです。子どもメッセージに耳を傾けている間に、大人の心も心が開かれ、聞く姿勢が出来上がっているからです。

④時間配分
 時間配分はとても大切です。私の担当している大人メッセージは20分から長くても30分以内にしています。子どもメッセージは10分から15分ぐらい。全体で1時間15分で終わる様に設定しています。メッセージが長いと、集中力の糸が切れる音が聞こえます。ですから説教の準備では、一旦メッセージを書いた後、出来るだけ言葉をそぎ落とす作業をしています。
 また理解を助けるために、週報にはその日の「メッセージ要旨(アジェンダ)」を載せています。御言葉を聴くことだけに集中してほしいからです。YouTubeの説明欄にもメッセージ要旨を張り付けていますので、良かったら参考にしてください。
 時間配分のためにも、また幼い子どもたちのためにも、現在「交読文」は使用していません。

4)担任制
 子どもたちの担任を置くことにしました。イエス様は、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われました(ヨハネ21:15)。牧師一人で全ての魂をフォローすることは出来ません。魂に責任をもって関わるスタッフが求められます。教えること以上に、聞いてあげる事、関わることに責任を持ってくれるスタッフが必要です。
 現在は、今いる子ども達に合わせて「幼稚科」「小学科」「中高科」にクラス分けしています。また各担任は二人体制にしています。科ごとの取り組みは、この二人で相談し、話し合って決めてもらっています。

◎幼稚科と小学科は、礼拝後、ワークやぬりえをスタッフに見てもらいスタンプをもらいます。また子ども達にポケットファイルを配って毎週のぬりえや作品を綴じてもらっています。平日に家庭での暗唱聖句にも取り組んでもらっています。
 集会に来られない時には、担任がお手紙を出したり、誕生カードをおくったりしています。

◎中高科は、英語バイブルクラスを不定期で持っていました。
現在、担任が立派なノートと万年筆を中高生にプレゼントをして、彼らと交換日記をしてくれています。信仰に対する質問や、彼らの近況や最近の心境などが綴られていて、彼らの霊的な状態を知り、アプローチする上でとてもよい助けとなっています。

5)ジョイジョイスペシャル(お楽しみ会)
 子どもといっしょの礼拝になり、今までしていた工作の時間やゲームの時間を持つことができなくなりました。そこで月一回、第4日曜日の午後は「ジョイジョイスペシャル」として、ピザパーティー、工作、ゲーム、映画会などを企画してその不足を補っています。
 ただし現在は、コロナのために一緒に集まってお菓子を食べたりすることが出来なくなったので、お菓子を持ち帰らせて、Zoomで集会を持ち、画面を通して一緒に食べたりゲームを持ったりするような工夫もしています。

 思春期の年代は、小さな子どもたちと一緒にされるのは嫌ですよね。やはり「自分たちが大切にされたい」という思いは誰にでもあります。ですから、中高生のためのスペシャルも考えねばなりません。

【Ⅳ コロナ禍の中で】
 これらの体制を3年かけて整えた後に、コロナ禍が襲ってきました。急に教会に集まることが出来なくなりましたが、それぞれのスタッフが自分の責任をしっかりととらえ、担当している子どもたちをフォローしてくれました。
 その対応については、『希望誌』の秋号に「コロナ禍の中で~扉が閉ざされた時に、新たな窓や戸が開かれる」に原稿を寄せています。昨年4月の時点で、当面は集まっての集会は難しいだろうと判断して、Zoomの導入やビデオカメラ購入、YouTubeの取り組みを始めました。また牧師夫妻のメールや手紙によるフォローや牧会に加え、「ジョイジョイ・ジーザス新聞」〈写真5〉や「女性会新聞」を各部で発行し、情報を共有するようにしてくださいました。

5、ジョイジョイ新聞3号

【Ⅴ 御言葉 コヘレトより】
さて最後に、コヘレトの御言葉から共に聞きたいと思います。
1 あなたのパンを水面に投げよ。   月日が過ぎれば、それを見いだすからである。
 池にパンを投げ入れる。「餌付け」や「撒餌」などをすれば、すぐに魚が寄って来て、釣り上げることができるかもしれません。しかしここでは、一方的にパンは与え続けるだけです。魚はおいしいどころ取りです。子どもイベントなどに取り組む時、そう思う時があります。イベントには子ども達が集まって、お菓子やプレゼントを喜ぶのだけれど、その後の礼拝に繋がらない…。私たちは伝道しながら様々なことを考える。こんなことをしても、無駄ではないか…。しかしこの御言葉では、ずっと後の日になって見出すのだとあります。 

4 「風を見守る人は種は蒔けない。雲を気見る人は刈り入れができない。」
あれこれ考えすぎると何もできないではないか。どうすればよいだろうかと悩んでいるうちに何もしないで過ぎていってしまう。

2 「あなたの受ける分を七つか八つに分けよ。地にどのような災いが起こるか あなたは知らないからである。」
5 「あなたはどこに風の道があるかを知らず 妊婦の胎内で骨がどのようにできるかも知らないのだから…すべて神の業は知りえない。」
私たちは、将来を見通すことが出来ません。突然の天災や不慮の事故、思わぬ病や死。「将来、信仰を持ちます。でも楽しんだ後に。死ぬ直前になってから洗礼を受けます。」という人がいる。しかし神が、私たちをどこまで生かしてくださるのかを、私たちは知りません。だからこそ信仰は決断が必要なのです。神がおられると信じるのならば、また自分が神に愛され、守られ、導かれていると感じるならば、神を受け入れなければならなのです。時はいつまでも引き伸ばされているのではありません。またあなたが担当する子どもの「時」は今かもしれないのです。

6 「朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな。うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、そのいずれもなのか、あなたは知らないからである。」
「朝に」とは、幼い時と解釈することが出来るでしょう。そして「夕べ」つまり高齢になってからも手を放してはならないのです。伝えることを、関わることを、私たちは手放してはならないのです。

 かなり以前のキリスト教の雑誌の情報で(正確な資料を控えていなくてすみません)大人になって教会の門を叩く人の約8割が、教会学校や教会幼稚園・ミッションスクールの経験がある者だというのです。幼い時に御言葉にふれ、どの様な形でか礼拝に集った経験のある方々だというのです。大きくなって人生の嵐に出会った時に、自分の力ではどうすることも出来ない事態に出会った時に、「そうだ教会に行こう」と思うのは、この水面に投げたパンが、見出される時なのです。
 それを考える時に、教会の8割のリソース(予算やエネルギー、人材)を、子ども達への伝道と教育に投じる価値がある尊い働きであることがわかります。
 青年や子どもたちに全力で関わることは、未来に投資することです。

私たちもイエス様から託された小羊たちを、愛と祈りでイエス様のもとに連れていきましょう。【祈り】

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