2021年春号・5月30日成人科 ナザレン希望誌ウェブ版

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強く雄々しくあれ、主は共にいる ヨシュア記1:1-9
 ヨシュアの生涯を通じて、如何に神の摂理、恵み、導きがあったかも学びたいと思います。また、先祖アブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)に与えられた嗣業の約束の実現をも見ることにします。
 まず、ヨシュアの生涯を瞥見(べっけん・編注:ちらりと見る意)することします。エフライム族のヌンの子(歴代誌上7:27)、元の名は、ホシェア(救いの意)、後にモーセによってヨシュア(主は救いの意)に改名されました(民数記13:8,16)アマレクとの闘い(出エジプト記17:8-15)をモーセに命じた通りにし、勝利することになりました(10節)。カナンの偵察(民数記13:1-33)、偵察隊12人のうち,ヨシュアとカレブがカナン侵入を勧めました。カレブは、ユダ族エフネの子(6節)、ヨシュアはヌンの子(8節)でありました。モーセの後継者としてヨシュアが任命されました(民数記27:15-23)。霊に満たされたヌンの子ヨシュア(民数記27:18)と言われ、任命されたヨシュアに、神は「強く、また雄々しくあれ、恐れてはならない」(申命記31:6、ヨシュア記1:6,7、9)、「主ご自身があなたと共におられる(9節)と励まされました。
 ヨシュアは、モーセの後継者として、いよいよ約束の地カナンに侵入することになります。ヨシュアの決意、決断はいかばかりであったでしょうか。モーセの後継者としての重圧も感じていたことでしょう。神の優渥(ゆうあく:編注 ねんごろに手厚いの意)なる助け、支え、導きなくしては成し遂げられない、大事業であると実感したに違いありません。神を信じ、祈りつつその業を成し遂げようと考えたことでありましょう。
 タルムードに「モーセは日である。ヨシュアは月である。」とあります。太陽のように光を放ったモーセ、名月に比べられるようなヨシュア、ともに光彩を放った神の仕え人でありました。 
いよいよカナンに侵入することになります。「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。(5節)。「あなたがどこに行ってもあなたの神、主が共にいる。」(9節)といつでも、困難な時であっても、どこに行っても、苦境の状況であっても、主なる神が共にいてくださるというみ言葉と「強く、雄々しくあれ」(6節、9節)と励ましを受けていたのです。それを信じて、勇躍(ゆうやく)進んでいくのであります。イスラエルの民も、ヨシュアを励ましています(16-18節)。民の励ましもまた、ヨシュアにとって大きな助けになったことと思います。
 まず、ヨルダン川を渡らなければなりません。この川は、パレスチナで最も重要な、そして最大の川で全長約400キロメートル、ヨルダンとは、降下するという意味があり、海抜2852メートルのヘルモン山の水源から、ガリラヤ湖を経て海面下380メートルの死海にそそぐ急流であります。時は4月ごろ、春の刈入れの時期です。川は、レバノン山脈からの雪解けの水と春の雨によって、増水し、渡河(とか)は極めて困難な時でした(3:15)。しかし、神の力強い手と伸ばされた腕と彼らの信仰によってヨルダン川を渡河することが出来たのであります(3:17)。
 心理学者、精神科医ヴィクトール・フランクル、ドイツ強制収容所の体験記録「夜と霧」の著者の言葉に「愛する神よ この日の夕べも 私たちと共にいて下さい 私たちの人生の夕べにも ともにいてください この世界が夕べを迎えても 私たちと共にいて下さい」があります。

 設問 わたしたちキリスト者の歩みの中にも、様々な試練や困難に遭遇することがあります。その時、どのようにして、乗り切ることが出来たか話し合ってみましょう。

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