2021年春号・6月27日小中高科 ナザレン希望誌ウェブ版

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■説教者のためのテキスト研究
「看守と家族の救い」  使徒16:16−34
伝えるポイント:パウロたちの大地震への対応を通して看守とその家族は救いに導かれた。

 第2回伝道旅行のフィリピでの出来事である。まず紫布商人のリディアが救われた。

 パウロたちが祈り場に行く途中で、占いの霊に憑かれた若い女奴隷に出会った。彼女はパウロたちに付きまとい「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」と叫び続けた。パウロは幾日も我慢したが、困り果ててしまった。このような叫びは伝道の妨げにこそなれ、助けにはならない。悪霊が宣教を妨げるためにこのように言ったのか、はたまた、神を恐れおののき(参照ヤコブ2:19)そのように言ったのかは不明であるが、ついにパウロは、イエス・キリストの御名によって、悪霊を追放した。彼女が救われたかどうかは、ここにははっきりとは書かれていないが、ルカ文書全体の文脈をみるならば、救われたと見ても良いだろう(8:6-8等)。
 彼女の占いによってもうけていた主人たちは、そのすべを失い、パウロとシラスを訴えた。高官たちとは、ローマの植民都市に配属された2人1組の行政官であり、従って訴えられた理由も、町をかき乱すといったローマの秩序への反抗である。高官たちは、正当な手続きなしに鞭打ちを科し、投獄する。法に従ったさばきでないにもかかわらず、処罰は厳重であった。奥の牢に入れられ、足枷で体の自由も奪われた。

 パウロたちは背中に痛々しい傷を負い、足枷もされ、眠ることが出来なかった。しかしそのような中、彼らは神に祈り、讃美をしていた。その声は牢全体に響き、慰めと励ましに満ち、囚人たちも思わず聞き入っていた。
 ところが突然大地震が起こり、牢の扉が全部開いて、鎖も解けてしまった。神による奇蹟が起こったのである。
 このとき、私だったらどうするだろうか?神の圧倒的な力で解放されたのだから、逃げるのが同然であろうと考える。しかし、パウロはそのようにはしなかった。逃げ出せば看守が死刑になることを知っており(12:19)、そうさせないために残ったのかもしれない。
 看守は囚人たちが逃亡したと思い、自害しようとする。自分の職務に対し、死を持って償おうとする忠実さがうかがわれる。しかし、パウロは叫ぶ。「わたしたちは皆ここにいる!」囚人が逃亡しないことが、逆に畏怖の念を抱かせる。知識と経験をはるかに超えた出来事の前で、看守は思わず「救われるため(=助かるため)にはどうすべきでしょうか」という根源的な質問を発する。説明出来ない恐れが、この看守をパウロたちの前に引き据えたのだ。そして彼は力と約束に満ちた救いの言葉を聞く。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」。これらの出来事の中心にいるのは、主イエスである。パウロたちにとっては不条理な鞭打ち、投獄・・・。大地震により牢の扉が開き、鎖が解けてしまうこと・・・。看守にとっては、死のうとして剣を抜いたこと、そして救われたこと・・・。主イエスは、すべての喜びと苦しみの真っ只中におられる。パウロは看守とその全家族に、「主のことば」を語る。一方看守は、二人を自宅に引き取って介抱した。死から命へ、滅びから救いへ。彼をとらえた喜びは、しばらくの間職務の制約を忘れさせた。看守と家族が、深夜にもかかわらずバプテスマを受けた。
 翌朝、高官たちは下役たちを送ってパウロたちを釈放しようとする。この措置に対して、パウロは抗議し、自分たちがローマ市民であることを公表する。ローマ市民は法によって手厚く保護されていて、鞭打ちなどの過酷で屈辱的な刑罰は免除されていた。しかし昨日の騒ぎの中では、そのことを表明出来なかったのである。釈放に当たって、ローマ市民であることを表明したのは、自分の体面のためではなく、フィリピのクリスチャンたちが益を受けることができるように、名誉回復を願ったのだと思われる。長官たちは二人にわびを言い、町から退去してくれるよう頼んだ。二人はリディアの家の教会を励まして、フィリピを出て行った。

■中高科
「看守と家族の救い」  使徒16:16−34
伝えるポイント:パウロたちの大地震への対応を通して看守とその家族は救いに導かれた。

準備
 どのような試練の何かあっても福音は広がっていく。救いをもたらす力がある。
説教
 使徒の働きも中盤に来ました。前半はイエス様の弟子たちを中心としたストーリーで、イエス様から「全世界に出て言って全ての造られたものに福音を宣べ伝えよ」との宣教命令を受けて、弟子たちがエルサレムの各地で福音を宣べ伝えていきました。そして、各地において使徒たちの交わりを中心とした、家の教会が起こり、宣教の働きが進められて来ました。
 しかし、ものごとはいつも順調には進まないものです。これは何をやっても同じと言えるでしょう。せっかく始まった教会に、迫害が起こり、時にリーダが捕らえられ、投獄される。しかし、間違いないことは、どんなことが起こったとしても、神様の計画は止まることは決してないということです。むしろ、どんなことも、最終的は万事を益とされる。「神は神を愛するものすなわち、ご計画に従って召された者と共に働いて、万事を益としてくださることを知っている」とあるように、私たち自身にとって、しんどいなと思うこと、上手くいきっこない思える状況においても、神様は共におられ、自分たちの考える以上のことをいつもなしてくださいます。
 今日のところはまさに、私たちにクリスチャンのあるべき姿が表されているのではないかと思います。パウロは今度はシラスと共に福音を伝えるために2回目の伝道旅行へ出かけました。そして、マケドニアという町についた時、彼らは福音を伝えたことによって、牢獄に捕らえられてしまうのです。イエス様を伝え、人々に救いの恵みを伝えているにも関わらず、上手くいかないものです。しかし、ここで捕らえられたパウロ達はどのような態度をとっていたでしょうか?命乞いをし、助けてくれと叫んだのでしょうか?彼らは、どのような中においても主を褒め称え、賛美をささげ、祈っていたのです。彼らは牢獄の中で捕らえられてはいましたが、彼らの心は自由でした。むしろ彼らが見ていたのは目の前の鎖ではなく、神様を見上げていたのです。するとどうなったのでしょう?彼ら賛美と祈りを捧げていると、大地震が起こり、鎖は解かれ、牢獄の扉は開かれたのです。神様は私たちを囲むどんな鎖をも解き放つ力があります。それだけではなく、このことを通し、その場所にいた、牢獄の看守に救いの恵みが与えられ、また看守の家族も救われたのです。それだけでなく、正当な理由で彼らは釈放され、さらに福音を力強く福音を語り続けました。
 人生とは常に試練の連続であります。しかし、ヤコブの手紙にもありますが、「あなたがたが試練に会った時は、この上のない喜びだと思いなさい。信仰が試されることによって、忍耐が生まれます。」とあるように試練とはチャレンジ、試されることによって、練り上げられる、成長するための階段みたいなものです。試練は苦しいかもしれません。しかし試練を通して成長し、実を結ばせてくれるのです。福音は様々な試練の中を通りながらも、確実に成長し世界中に届けられています。今日においても福音は広がり実を結んでいます。そして、神様はこの福音の恵みを伝える使者として、私たちを用いたいと願っています。

■小学科
「看守と家族の救い」  使徒16:16−34
伝えるポイント:パウロたちの大地震への対応を通して看守とその家族は救いに導かれた。

準備
 「慰めの子」(4:36) と呼ばれていたバルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを心にかけていました。遡れば13:13 に、このヨハネの離脱が記されております。ヨハネは、神さまのための働きを途中で放り出し、自分 の思いを優先させてしまいました。これは、現代に生 きる信仰者にとって無関係な出来事ではありません。 どのような優先順位に生きるのか、それが常に問われているからです。
 さて、ヨハネに対するバルナバの思いは仇となり、バルナバがかつてタルソスまで赴いて捜し出し、長らく一緒に宣教の働きをなしてきたサウロ(パウロ)と、15:39 以降は別行動となってしまいます。「立派な人 物で、聖霊と信仰とに満ちていた」(11:24)バルナバも、この時ばかりはパウロとヨハネを執り成すことができませんでした。しかし、この決別は新たな宣教へとそれぞれを送り出すものでもあったのです。バルナバはヨハネと、そして一方のパウロはシラス、またテモテ と共に、聖霊に導かれての新たな旅へと歩み出すのです。ここで直接名前が出てはきませんが、使徒言行録の著者ルカもパウロに同行した一人だったと思われます。必然的に、パウロたちの旅がクローズアップされていくのです。

説教例
 パウロ、シラス、テモテ、そしてルカは、アンティオキアを出発して、ローマの植民地であった フィリピという地方へとやってきます。ローマでは、皇帝という一番偉い人が神さまとして崇められていました。他にも、ギリシャ神話の神々、エジプトの神々など、たくさんの神々が信じられていたそうです。というのも、ローマは最初小さな国でしたが、少しずつ勢力を拡大して、色々な国々を飲み込んでいったからです。
 本当の神さまを知らない人たちにとって、オカルト的な怖いこと、不思議なこともまた信仰の対象となりました。16節で「占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。」とあります。ここ に出てきた「霊」とは、神さまの霊である聖霊で はなく、悪い霊・悪霊と考えてよいと思いますが、 この占いは神さまを知らない人々に信じ込ませ、お金を得る商売でした。しかも占い師の女性は奴隷だったのです。自分が儲けたお金は全て、主人に横取りされてしまい、どんなに働いても、奴隷という身分からは逃れられませんでした。可哀そうですね。占いの不思議さに、多くの人はこの女占い師に心奪われますが、この女性は本当の神さまを知りたいと願っていたのでしょう。パウロたちに出会ったとき、こう叫んだのです。「この人 たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」神さまのことを証ししたといってもよいのですが、パウロたちは神さまの聖霊に従わずにいる占い師に辟易し、悪霊を追い出しました。これは奴隷の主人にとってみれば営業妨害です。もうこの女性を使って金儲けができません。結果、パウロとシラスは逮捕され、鞭打たれ、牢屋へ入れられました。
 その夜、不思議なことが起こりました。地震が起こって戸が開き、牢屋から人が逃げ出せるようになってしまったのです。牢屋の番をする看守たちは、囚人が逃げ出したと思い、自殺しようとしました。そのときパウロが叫びます。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」パウロとシラスが語る神さまのお話しに聞き入って、 囚人たちは誰ひとり逃げ出さなかったのです。この出来事に看守は心から神さまを信じ、家族も一緒に救われて、クリスチャンとなりました。悪霊を恐れる必要はありません。神さまは悪霊に勝る聖霊によって素晴らしいことを成されるからです。神さまを信じましょう。

■小学科ワーク

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