2020年秋号・10月4日小中高科 ナザレン希望誌ウェブ版

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■ 説教準備のためのテキスト研究
2020年10月4日 出エジプト記17:8-16 「祈りを支える」
【主題】モーセは手を挙げ、アロンとフルはそれを支え、これによってヨシュアは勝利した。

 「アマレク」は荒野に拠点を持つ遊牧民で、しばしばイスラエルと敵対したことを旧約聖書は伝えている(士師記6:3−4、サムエル記上28:7)。イスラエルの人々が宿営していたレフィデムという場所にアマレクがやって来て、エジプト脱出以降、最初の戦いが始まった。レフィデムの位置については定かではないが、アマレクとの戦いの後、一行はシナイの荒野に到着することになるので、おそらくシナイ山の付近だと思われる。

 9節で登場するヨシュアは、後にモーセの後継者として指名される人物である(申命記3:27−28、31:1以下、34:9以下)。ヨシュアはモーセの指示を受けて、兵士となる男子を選び出して彼らと共に戦った。一方モーセは戦いに際して、神の杖を手に持って丘の頂に立つ。杖を高く上げるモーセの姿は、海を割ってエジプトを脱出した時のことを思い起こさせる(出エジプト14:16)。
 戦場を見渡すことができ、同時に戦場からもよく見える丘の頂で、モーセは手を上げ続けた。イスラエルの兵士たちはそのモーセの姿に、戦いの中で働かれる神の力を見たであろう。イスラエルの民をエジプトから救い出された神はこの戦いにおいても彼らと共におられ、敵の手から助け出してくださるという信頼が、戦う者たちを励まして力づけたのである。本文中にモーセが「祈った」という記述はどこにもない。しかし、彼らと共にいてくださる神への信頼、そして神の力によって必ず助け出されるという期待を戦う者たちに思い起こさせるモーセの姿は、イスラエルの民全体の「祈り」を体現していると言えるだろう。

 モーセが手を上げている間はイスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になったという記述は、「祈る者」としてのモーセの責任を表現していると思われる。時間が経つにつれて体力的に疲れてきたモーセのために、側にいたアロンとフルはモーセが座る石を用意し、両側からモーセの手を支えた。アロンはモーセの兄弟だが、フルがどういう人物かは分かっていない。後にモーセがヨシュアと共にシナイ山に登る時、アロンとフルは長老たちの相談役としてふもとに残されている(出エジプト24:13−14)。二人の協力を受けて、モーセの手は日没までしっかりと上がり続け、戦うヨシュアたちはアマレクを打ち破ることができた。

 勝利の後、神は「アマレクの記憶を天の下から完全にぬぐい去る」と宣言し、このことを文書に記録した上ヨシュアに読み聞かせるように、とモーセに命じられる。アマレクの名前はこの物語と共に語り続けられるが、民族としてはもはや存続していない(歴代誌上4:43)。神がイスラエルを敵に打ち勝たせられたこの出来事は、神の一時的な活動に終わるものではなかった。この荒れ野での勝利は、イスラエルを神の民とするという目的に向かって、神ご自身が歴史を通して働かれることを示す出来事である。そのことがこの宣言によって明らかにされていると言えよう。だからモーセは祭壇を築いて「主はわが旗」と名付け、「主は代々アマレクと戦われる」と応答している。

【参考文献】
・「現代聖書注解 出エジプト記」(T.E.フレットハイム著、小友聡訳 日本キリスト教団出版局)
・「VTJ旧約聖書注解 出エジプト記1〜18章」(鈴木佳秀著 日本キリスト教団出版局)

■ 中高科
2020年10月4日 出エジプト記17:8-16 「祈りを支える」
【主題】モーセは手を挙げ、アロンとフルはそれを支え、これによってヨシュアは勝利した。

●準備
 モーセによってイスラエルの民たちはシナイ半島のレフィディムにたどり着きました。彼らはレフィディムには水があると思っていましたが、水がなかったことから、モーセと争いが生じました。その時、モーセは主に祈り求め、主が告げられた通りに杖で岩を打つと水が出て、民たちはのどの渇きを潤す事ができました。
 一難去って、また一難の出来事が起こります。好戦的な遊牧民であるアマレク人(エサウの孫から出た民と言われている(創世記36:12参照)達はシナイ半島にモーセが率いるイスラエル人達が入ってきた事に脅威を感じ、攻撃を仕掛けてきました。このアマレクの攻撃に対してモーセがとった行動はどのようなものだったのか。そのモーセの行動を通して、神様は私たちに何を伝えようとしているのかという事を学びたいと思います。

●説教例
 エジプトで奴隷の民として虐げられていたイスラエルの民たちの叫びを聞かれた神様は、ミディアンの地で羊を飼う仕事をしていたモーセを、イスラエルの民達を救い出す為にエジプトに遣わされました。イスラエルの民たちを奴隷として使っていたエジプトのファラオ王はなかなか解放しようとしませんでしたが、様々な奇蹟と災いの故に、イスラエルの民たちを解放し、イスラエルの民たちはモーセに引き連れられてシナイの荒野を旅して、神様が約束された地(カナン)を目指しました。その途中で、食料が底をついた時、イスラエルの民たちは、モーセにつぶやきました。モーセが神様に祈り求めると、天からマナ(モーセ時代のパン)を与えて下さり、旅を続けレフィディムに到着しました。そこに飲み水があると思っていた民たちでしたが、水はなく、またモーセに対して不平を口にしました。モーセは神に祈り、神から戴いた教えに従って杖で岩を打つと、岩から水が湧き出たので喉を潤す事ができましたが、そこにエソウの子孫であるアマレク人達が攻撃を仕掛けてきました。彼らは好戦的な人々で、イスラエルの民達の最後尾の疲れ弱っていた者たちに攻撃を仕掛けてきました。そこでモーセは、すぐに戦いの用意をし、若いヨシュアを戦いの指導者に立てて、幾人かを引き連れて戦いにいくように命じ、モーセは神の杖を手に持って、アロンとフルと共に、戦いを見下ろすことができる丘の頂に立ち、戦場を見下ろしながら、手を挙げて祈り始めました。すると不思議な事に、モーセが手を挙げて祈っている時には、イスラエルが優勢になり、手をおろすと、アマレクが優勢になりました。この戦いの勝敗は、モーセが行なっているとりなしの祈りにかかっていたといえます。モーセが祈っていると手が疲れ、重くなってきました。モーセの側にいたアロンとフルにも、この戦いの勝敗はモーセのとりなしの祈りにかかっているという事が判っていました。そこでモーセを石の上に座らせて、自分たちがモーセの腕を左右から支え、日が沈むまで祈りを継続させました。その結果、ヨシュアが率いる民たちはアマレクに勝利できました。主は、この事を書き記し、ヨシュアに読んで聞かせるようにと告げられました。
 私たちは日々の生活の中で、様々な戦いがあるかも知れません。なぜ、自分は、このような試練や嫌な事があるのだろうと思えるようなことがあるかも知れません。しかし、イスラエルの民たちをエジプトから脱出させられた神様は、モーセが祈ると必要な食べ物を与えて下さり、また飲む水を与えて下さり、かつ、アマレク人が攻撃して来ても、その攻撃をはねのけて下さいました。
 私達には「祈りという最大の武器」が与えられています。困難な時ほど、主なる神様に祈って、勝利を勝ち取って下さい。そしてアロンとフルに支えられたように友達と共に祈ってみて下さい。


■ 小学科
出エジプト記17章8-16節(朗読は11−13節) 「祈りを支える」
【主題】モーセは手を挙げ、アロンとフルはそれを支え、これによってヨシュアは勝利した。
    
●準備
 毎週必ず教会に来ている子どもばかりではありませんし、あまり馴染みのない場面でしょうから、イスラエルの人々が戦いモーセが祈っている背景をわかりやすく説明できるように準備しておく必要がある物語だと思います。 

●説教例
 みなさんは、どこに行くかわからないで出かけることはありますか?何となくお散歩するぐらいのことだったら、それはそれで楽しそうです。でも、それがいつまで続くのかわからない、一緒にいる人もみんな行き先を知らない、そんな旅だったらきっと途中でものすごく心配になるでしょうね。
 モーセたちの旅は、まさにそういう旅でした。エジプトで奴隷として働かされて苦しんでいたイスラエルの人たちを連れて出て行きなさい。神さまからそう言われて、モーセはイスラエルの人たちを連れて荒れ野の旅を続けてきました。奴隷あつかいされて、毎日重たいレンガを作って運んで、イスラエルの人たちは心も体もクタクタだったと思います。だから、イスラエル人の国を造れる土地に連れて行こう、という神さまの約束にみんな喜んで従って来たんです。でもいったいどんなところに行くんだろう?いつ着くんだろう?と不安に思いながら旅をするモーセとイスラエルの人たちを、神さまはいつも守って助けてくださいました。エジプトの軍隊が追いかけてきた時も、神さまは海の水を割ってみんなを逃がしてくださいました。神さまに守られて助けられて導かれながら、モーセとイスラエルの人たちは旅してきたんです。
 旅の途中で、モーセたちはアマレク人たちと戦うことになってしまいました。アマレク人たちは、決まったところに住まないで、水や家畜に食べさせる草を探して移動する遊牧民と呼ばれる人たちでした。荒れ野では飲み水が出る泉や井戸も、羊や牛たちに食べさせる草も少なくて貴重なので、それを取り合って争いが起こることが多かったんです。この戦いの中で、モーセは戦いの先頭に立つヨシュアにこう言いました。「明日、わたしは神の杖を手に持って、丘の頂に立つ」。モーセが持つ神さまの杖は、イスラエルの人たちにとって「神さまがわたしたちを守って助けてくださる」という目に見えるしるしでした。この杖がイスラエルのみんなからしっかり見えるように、モーセは丘の上で神さまの杖を持って両手を高く上げました。神さまがわたしたちを助けてくださる。神様がわたしたちを守って、約束の土地へ連れて行ってくださる。そのことをイスラエルの人たちが忘れないように、モーセはみんなからしっかり見える場所で、みんなを代表して祈っていたんです。
戦いは長い時間続きました。モーセが手を上げている間は、イスラエルの人たちは戦いに勝っていました。でもモーセが疲れて、手がだんだん下がってくると、イスラエルの人たちは負けてきてしまいました。それに気がついたモーセのお兄さんのアロンは、フルという人と一緒にモーセの手を支えました。モーセが疲れてしまってもお祈りを止めないでいられるように、一生懸命モーセを助けたんです。おかげでモーセの手は日が沈むまでしっかりと上がっていて、イスラエルの人たちは戦いに勝ちました。
 どんなところに行くのか、いつ着くのか、何も分からないけれど、神さまが私たちを守って助けて、約束されたところへ連れて行ってくださる。そのことをイスラエルの人たちみんなが思い出せるように、モーセはお祈りし続けました。モーセが疲れた時には、アロンとフルが助けました。モーセが祈っている姿に励まされて、イスラエルの人たちは頑張って戦いました。
 神さまはイスラエルの人たちだけじゃなくて、今ここにいる私たちにも同じように約束してくださっています。どうなるかわからない心配や不安を味わっている時も、神さまが必ず私たちを守って助けてくださる。悲しいことや辛いこととたくさん戦うことになるかもしれないけれど、その戦いに神さまが勝たせてくださる。神さまが約束してくださった幸せに、私たちを必ずたどり着かせてくださる。そのことをいつも忘れないでいられるように、私たちもみんなで励まし合いながら神さまにお祈りしましょう。

■ 小学科ワーク

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