2021年春号・6月27日成人科 ナザレン希望誌ウェブ版

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これまでの恵みを想起し、一家で主に仕える ヨシュア記24:1-15
 24章に入ると、シケムの一大契約があります。シケムは古い町で、アブラハムが、聖なる樫の木のそばに祭壇を築いて礼拝したところであります(創世記12:6,7)。紀元前19世紀エジプトの書記官が、エジプト王によってこの町が占領されていたことを記録しています。長い間、聖なる都市と言われ、神殿のある町でした。紀元前18世紀ころ何回も再建された神殿の跡が発掘されています。
1節から13節に神の恩寵が回顧されています。アブラハム以来イスラエルの民への神の顕著な導きがあったことを述べています。アブラハムがカナンに入り、イサク、ヤコブの子らがエジプトに下り、モーセ、アロンによって出エジプトし、紅海渡渉(としょう)、荒れ野の導き、そしてヨルダン川渡河(とか)、エリコの攻略、周辺民族の平定へと続いて神の恩寵、神のくすしき導きの御手があったことを回顧しているのであります。そして、「主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい」(14節)と神の恩寵に応答して、偶像を捨て、主を愛し、主に礼拝をささげ、主に自らをささげ、最後まで主に従うように教えているのであります。侵入したカナンには、先住民族がおり、先住民族の様々な神々のある中で、ヤハウェという神、唯一の神を信じるイスラエルの民に対する大いなる挑戦でありました。
 そして、ヨシュア自らが「わたしとわたしの家は主に仕えます(15節)」と宣言し、その模範を示し、全き献身と奉仕の道を示し、民にも「イスラエルの神、主に心を傾けなさい」(23節)と勧めています。
 それに対して、民もそれに続いて、川の向こう側の神々でもなく、エジプトの神々でもなく、アモリ人の神々でもなく、彼らは主なる神に仕えることを決心し、「わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。」(18節b)、「わたしたちの神、主にわたしたちは仕え、その声に聞き従います。」と応答します(24節)。
 このようにしてイスラエルの民を励ましたヨシュアの最後の時が来ました。波乱に満ちた、しかし神に守られ、祝福された110年の生涯を閉じたのであります(29節)。イスラエルの歴史に与えたヨシュアの影響は極めて大きいと言わざるを得ません。ヨシュアの語った「主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え」(14節)るという言葉は、いつの時代でも、聞かなければならない大切な言葉であります。
 新聖歌398 
1新しき地に 踏み出だす 心に備え ありや見よ
(折り返し) ヨシュアのごとく われも言わん 
       「わが家とわれは 主に仕えん」
4取るべき所 なお多し 心強くし かつ勇め 
 因(ちな)みに旧約のエホシュア(ヨシュア)は、新約ギリシャ語では、イエスース(イエス)です。ともに、「主は救い」という意味です。新約のイエスは、単なる指導者であるにとどまらず、救い主であられます。イエスこそ、真の救い主、メシア、キリストであります。                                     

 「設問」異教社会、偶像の神々の存する日本でキリスト教信仰に生きることの困難さを覚えることはないでしょうか。一方、主に仕える喜び、幸いは大きいのです。話し合ってみましょう。

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