2021年春号・4月25日成人科 ナザレン希望誌ウェブ版

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主はモーセの後継にヨシュアを選ばれた 民数記27:12-23 
 国家、会社、学校、その他の団体、群れにとって、一人の偉大な指導者を失うということは、大きな痛手であります。それが、その群れにとって、大事な時であればあるほど、損失は大きいのであります。                                                           
 イスラエルの民にとって、カナン侵入という大事の時に、偉大な指導者モーセを失う。その死後、誰が指導者になるのか。それは民にとって、大きな関心事でありました。  
 40年の荒れ野の旅路も終わりを迎え、古い世代の者は亡くなり、新しい世代が育ってきました。アロンは死に(20:22-29)、エルアザルが新しい大祭司として任命されました。まさに新しい時代の到来です。これまでイスラエルの民を導いてきたモーセは、約束の地を前にして、そこには入れないことを神から示されたのです(申命記32:48-52)。民が、ツィンの荒野にあるカデシュのメリバで水が欲しいと訴えた時に、モーセはこころを荒立てながら、岩を二度打ったという事実の故でした。モーセにとって残念なことと思ったに違いありません。しかし、彼は、自分のことより、イスラエルの民のことを考え、「主よ、すべての肉なるものに霊を与えられる神よ、どうかこの共同体を指揮する人を任命し、--主の共同体を飼う者のいない羊の群れのようにしないでください。」(16,17節)と神に訴えます。彼の心にあったのは、後継者と民のことでした。やがてモーセはこの世の生涯を終える時は来ました。モーセの最後については申命記33,34章に詳しく記されています。時に120歳でした。死ぬ前まで、「目はかすまず、活力も失せてはいなかった」(34:7)ということです。「イスラエルに人々は30日間喪に服し、モーセの死を悼み、泣き悲しんでいました」(8節)。「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった」(10節)のです。モーセは、その死の前に後継者として「知恵の霊に満ちていた」(9節)ヌンの子ヨシュアを選ばれたのです。これまでのヨシュアの働き、業績の故であったのでしょう。モーセは、自分の手をヨシュアの上に置き、主がモーセを通して告げられたとおりに彼を任命しました(民数記27:23)。モーセによって按手され、任命されたヨシュアを新しい指導者として、イスラエルの人々は、約束の地を獲得するため.勇躍(ゆうやく・編注 勇んで躍り上がる意)進んでいくのであります。 
 ヌンの子ヨシュアについて考えてみましょう。ヨシュアは、多年、モーセの従者であり、信頼された同労者でありました。イスラエルとペリシテの戦いの時(出エジプト17:8‐16)モーセが祈り、アロンとフルがモーセの手が下りないように両手を支えていました。モーセが両手を挙げていると勝ち、下げると負けたからです。その間、ヨシュアは、最前線で戦っていたのです。また、モーセに同伴してシナイ山にも登りました。(出エジプト24:13,32:17)。
 ヨシュアのもう一つの特徴は、前課で学んだ通りエフライム族を代表してカナンを偵察した時、カナンの堅固な城壁、人々を恐れず、侵攻すべきであると進言したことです。それは、神の真実、その約束を信じての進言であったのです。このようにして、モーセの後継者ヨシュアが誕生したのであります。

 「設問」 今日の伝道について考えてみましょう。現実は厳しいが、絶えざる祈りと忍耐強い活動ではないでしょうか。 

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