2020年秋号・12月13日小中高科 ナザレン希望誌ウェブ版

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■ 説教準備のためのテキスト研究
「ダビデの子ヨセフ」 マタイによる福音書1:18−25 
伝えるポイント:救い主誕生の告知を受けたダビデの子ヨセフは天使が命じた通り、マリアを迎え入れた。

 イエス・キリストの誕生の次第(18節)を語るにあたって、マタイによる福音書は最初の場面の主役に母マリアではなく、その夫となる婚約者ヨセフを据えている。この物語の前にはまずイエス・キリストの系図が紹介されており、ヨセフがダビデ王の家系に連なっていることと、そのヨセフを夫とするマリアからイエスが生まれたこと、つまりヨセフの存在によってイエスが法的にダビデ王の末裔になることを示している。その上で、この物語はイエスの誕生にヨセフが身体的な関わりを持っていないことを強調する。
 マリアはヨセフと婚約している間にイエスを妊娠した。ユダヤの律法では婚約には法的拘束力があり、婚約期間から男性はすでに「夫」であって、死別あるいは公式な離婚手続きによってのみ解消できた。婚約期間は約一年間続き、公の儀式を行って妻が夫の家に迎え入れられて「二人が一緒に」なって(18節)初めて結婚が完成し、性的関係を持つことが許された。つまりこの時ヨセフは法的にはマリアの夫であり、しかし身体的にはマリアのお腹の子の父親になり得ないという状況だったのである。

 マリアの懐妊はあくまで神の業であり、「聖霊によって身ごもっている」(18節)ことが強調されているが、ヨセフはマリアの不品行の結果だと判断していたようである。厳密に考えるなら、結婚前の不品行は石打ちの刑に処されるほどの重罪であった(申命記22:13−21)。ヨセフは「正しい人」(19節)であったため、律法に従ってマリアとの結婚は取りやめるものの、怒りに任せて彼女をさらし者にすることは望まなかった。公の裁判にかけるのではなく、必要最低限とされる二人の証人を立ててひそかに離婚しようと考えたようである。

 マタイによる福音書1−2章において「夢」は神の意思伝達の手段として、「主の天使」は神の使者として繰り返し登場する(20節)。夢の中で天使はヨセフに、マリアの懐妊が聖霊による神の業であることを明かし、安心して彼女を妻と結婚するように命じる。ヨセフがマリアと結婚し、生まれてくる男の子に名前を付けることで、イエスは法的にヨセフの息子として認知され、ダビデの家系に連なることになるのである。「イエス」(ヘブライ語の「ヨシュア」のギリシャ語形)は「神は救い」という意味のごく一般的な名前だが、「この子は自分の民を罪から救うからである」(21節)という天使の説明が生まれてくる子どもの特殊性を示している。

 23節の預言は旧約聖書のイザヤ書(7:14)からの引用である。「インマヌエル」という名前は実用の名前としてではなく、イエスの「使命」として彼に付与されている。人間を神の臨在から引き離しているのは罪である。その罪からの救いは、結果として人々を「神は我々と共におられる」(23節)状態に回復させることになる。しかし、それだけではない。「この子は自分の民を罪から救うからである」(21節)と天使が告げたとおり、イエスご自身が「我々と共におられる神」なのである。

【参考文献】
・「ティンデル聖書注解 マタイによる福音書」(R.T.フランス著、山口昇訳 いのちのことば社)
・「ニューセンチュリー聖書注解 マタイによる福音書」(デイヴィド・ヒル著、大宮謙訳 日本キリスト教団出版局)


■ 中高科
「ダビデの子ヨセフ」 マタイによる福音書1:18−25 
伝えるポイント:救い主誕生の告知を受けたダビデの子ヨセフは天使が命じた通り、マリアを迎え入れた。

●準備
 ユダヤ民族にあってダビデ王の家系にあったヨセフは、ガリラヤのナザレ村で大工として、日々、過ごしていました。そのヨセフはマリアという女性と婚約しており、当時のユダヤ人の風習では、婚約した者は法的に夫婦とみなされていたといいます。その二人の間に、不思議な事が起こりました。二人が未だ一緒にならない時に、聖霊によって婚約者のマリアが身重になり、ヨセフの心は揺れたと思います。 
 その時、主の天使が夢の中に現れ、このことは聖霊によるものだと告げられます。ヨセフはそのことを信仰をもって受け止め、マリアを妻として迎えています。もし、自分がヨセフのような立場だったらどうするでしょうか?ヨセフの気持ちになって考えて、お話したいと思います。

●説教例
 今から2000年ほど前の出来事です。ユダヤの国、今のイスラエルという国ですが、その国の北の方にナザレという村があり、そこにダビデ王様の家系にあるヨセフという人が住んでいました。ヨセフは大工として働いていました。そのヨセフには、親たちによって決められていた婚約者のマリアがいました。未だ二人が結婚する前に、婚約者のマリアが子供を宿したという事をヨセフは耳にしました。ヨセフは、自分には身に覚えがない事だったので驚きました。
 ヨセフは正しい人であったという言葉に注目した いと思います。何に対して正しい人だったのでしょうか。それは旧約聖書の律法に沿った人であったという事です。律法では、結婚する前に子供をお腹に宿すという行為をなしたものは、石で撃ち殺すようにといった決まりがありました。ヨセフは律法に従う正しい人でしたが、愛するマリアを突き出す事は忍び難いと考えて、だれにも知られないように、ひそかに婚約を解消しようと考えたようです。それが一番良い事であると考えたヨセフでしたが、しかし、夜、寝ていた時に夢の中で主の天使が現れ「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」と告げられました。ヨセフは、この天使の言葉を受け入れて、マリアと婚約を解消する事なく、マリアを妻とし迎え入れました。そしてイエス様が生まれるまで、マリアとの間の夫婦としての関係を持つ事はありませんでした。
 正しさの故の苦しみと共に、主の天使が告げた言葉を信仰をもって受け止めたヨセフでした。
 皆さんがヨセフだったら、どうでしょうか?
神様からの語り掛けを受けたならば、ヨセフやマリアのように信仰をもって受け止める人になって欲しいと思います。ヨセフも大きな葛藤があったと思います。ヨセフの信仰のゆえに、神様の御業がなされていった事を知って欲しいと思います。


■ 小学科
「ダビデの子ヨセフ」 マタイによる福音書1:18−25 
伝えるポイント:救い主誕生の告知を受けたダビデの子ヨセフは天使が命じた通り、マリアを迎え入れた。

●準備
 ヨセフのエピソードを通して、インマヌエル預言の成就としてのクリスマスを伝えることができるように、あまり細かい説明を詰め込みすぎないで、中心点を意識して語ることが大事な箇所だと思います。

●説教例
 今日はアドベントの第3週目。いよいよ来週はクリスマスをお祝いします。その前に、今日はイエスさまのお母さんになるマリアと結婚したヨセフという人のお話をしましょう。
 ヨセフはとても悩んでいました。結婚の約束をしているマリアのお腹に、赤ちゃんがいることがわかったからです。まだ結婚もしていないのに、しかも結婚の約束をしているヨセフの子どもじゃない赤ちゃんがマリアのお腹にいる。これは大変なことでした。マリアが約束を破って、誰か他の人を好きになったんだ、と思うのもヨセフには悲しいことだったでしょう。でもそれだけじゃなくて、このことを他の人たちに知られたら、マリアはみんなから石をぶつけられて殺されてしまう、そういう決まりがこの時代のイスラエルにはあったんです。他の人の赤ちゃんがお腹にいるマリアとは結婚なんかできないけど、マリアが殺されてしまわないように、そっと結婚の約束を取り消しにしよう。そうヨセフは決心しました。そんなヨセフの夢の中に天使が現れて、神さまからの伝言をヨセフに伝えました。
 ヨセフ、心配しないでマリアと結婚しなさい。マリアは他の人を好きになったんじゃない。神さまの力で、神さまの子どもを生むことになったんだ。そう天使はヨセフに教えたんです。このことはずっと昔、旧約聖書の時代から、神さまが預言者のイザヤという人の言葉で約束しておられたことが実現するためでした。
 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
 インマヌエル。イスラエルの言葉で、「神さまは私たちと一緒にいる」という意味です。あなたたちと一緒にいるよ、と神さまはずっと昔から私たちに約束しておられるんです。ヨセフは夢で天使の言葉を聞いて、ヨセフともマリアとも一緒にいてくださる神さまを信じて頼ることに決めました。悩んでいたあれこれを神さまに任せて、神さまの子どもがお腹にいるマリアと結婚したんです。
 一緒にいるよ、と神さまはずっと昔から約束してくださっています。それでも神さまと一緒にいるよりも自分勝手にしていたい、と思ってしまうのが私たちみんなの中にある罪というものです。私たちは誰も、自分の力だけでこの罪に勝つことができません。だから神さまの方から私たち人間に近寄ってくださいました。その証拠が、人間としてお生まれになった神さまの子ども、イエスさまです。神さまを無視して自分勝手にしたがる私たちを、神さまはそれでも愛しておられて、一緒にいることを選んでくださいました。神さまが一緒にいてくださるから、私たちは悲しかったり不安だったりするときにも、神さまに頼って安心できます。愛しているよ、一緒にいるよ、という神さまから私たちへの約束の証拠として、イエス様はお生まれになったんです。イエスさまを信じるということは、神様が私たちみんなを愛して一緒にいてくださるのを信じることです。私たち一人一人が、そして世界中のみんながイエスさまを信じて、神さまの愛を信じることができますように。


■ 小学科ワーク

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