2021年春号・5月9日小中高科 ナザレン希望誌ウェブ版

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■説教者のためのテキスト研究
「親の愛、神様の愛」 イザヤ66:13(母の日・家族の日)
伝えるポイント:親の愛を思う毎に、ますます神の愛が分かってくる。

 このたびの聖書箇所は、主なる神を女性の形で叙述することを旧約聖書の他の箇所では厳に拒まれてきたにも関わらず、この箇所においてはじめてその伝統が破られている。11-13節において、生まれたばかりの子どもたちは彼らの母と共に喜び、母の乳房から飲む。主は母のような養育者であり、14節では、イスラエルの心が喜び楽しみ、青草のように育っていく変容そのものが審判として描かれている。
 希望誌では、かつて5月第二日曜を母の日としてきた。現代日本において、毎年、結婚するカップル数の3分の1ほどが離婚しているといわれる。5月第二日曜を母の日、6月第三日曜を父の日として記念することのメリットもあるとはいえ、同時に、父や母と共に暮らしたくても暮らせない子にはかえって寂しさを自覚させてしまうデメリットもある。そのような現状の中、どの子にも共通するのは誰かしらの養育者いるわけで、そうした養育者に感謝する意味で、希望誌は母の日という表記よりも家族の日であることを前面に出したという経緯がある。
 父親から虐待される中で育った人にとって、父なる神という表現は、虐待する神と語っているように思える、という話を聞いたことがある。聖書の神と虐待した父は別人格(神格)であることは言うまでもない。しかし、なんらかのたとえ、類比が神のイメージを豊かにするものであるなら、それを大切にしたいが、それがかえって神への信仰を閉ざすものであるなら、注意する必要がある。これにはいろんな意見もあるだろうが、父なる神という表現に痛みを感じている当事者を安易に裁くことを避け、よく知ろうとする姿勢、尊重する姿勢は問われるように思う。それと共に、このたびの箇所のように、神と父として語らず、(これまでの旧約の伝統を破って!)母として描こうとしていることは大変興味深い。父なる神というイメージだけに無理に固執する必要はない。他にも主なる神を豊かに味わうイメージは聖書の中に豊かにある。
 従来のキリスト教会における母の日や父の日は、単に母や父に感謝するのではなく、その母や父をあたえてくださった神に感謝をささげる記念の日と言える。虐待などの痛みの中にある人に強要することは決してしてはならないが、できることなら、養育者に心から感謝し、その養育者のイメージを通して、神のイメージがより豊かに深まっていくことに越したことはない。養育者は人間であるゆえに欠けがあるが、神には欠けがない。そして養育者は神からの贈りものである。だからこそ、養育者に感謝し、神をたたえていきたい。
 しかしそれとともに、養育者に対して深い傷、痛みをかかえている子どもたちがいるのも現実である。無理に養育者への感謝に導くだけが教師ではない。その子と共に悲しむこともまた、教師にとってとても大切な姿勢と言える。

■中高科
「親の愛、神様の愛」 イザヤ66:13(母の日・家族の日)
伝えるポイント:親の愛を思う毎に、ますます神の愛が分かってくる。

準備
 母の愛を通して、神様の愛を知る。
説教例
 今日は母の日です。母の日があるということは大切なことであります。なぜなら、普段当たり前のように、皆さんのお母さんは、ご飯を作ってくれて、掃除や洗濯など、本当に多くのことを私たちのためにしてくれているのではないでしょうか?そんなお母さんに普段はなかなか伝えることができなくても、この時は思いっきり感謝を伝えることのできる大切な日であります。そのような母の日も、実は教会から始まりまったのです。
 今から100年ほど前、アメリカ・ウェストヴァージニア州で、アンナ・ジャービスという女性が、亡くなったお母さんに感謝をするために、1908年5月10日にフィラデルフィアの教会で赤いカーネーションを配ったのが始まり」という話です。亡くなったお母さんの、アン・ジャービスさんは、教会学校の先生もし、それだけではなく南北戦争が激しかった、アメリカにおいて、アン・ジャービスさんは、敵味方関係なくすべての負傷した兵士達の看護をし、戦後においても、平和のための活動を積極的に行い、多くの人の心に感動を与え、アメリカの平和のために貢献したのでした。そのような母への敬意を込め、お母さんの感謝会を開いたところ、やがてアメリカ全土に広まっていき、1914年には5月の第2日曜日が「母の日」と制定されたのです。そのようなことが母の日の始まりとなりましたが、どのようなお母さんであっても、お母さんの存在は偉大であるのは変わりません。
 お母さんは、私達にとってどういう存在でしょうか。どのような人もお母さんという存在は絶対に必要であり、お母さんの存在無しには私たちの存在はありません。それは、第一に、お母さんは、私達をこの世に産んでくれた方であり、何もできない私達を大事に育て、今に至るまで大きく育ててくれた方だからです。第二に、お母さんは、私達がどんな時でも、どんな状態になっても私達を支え、助けてくれる方です。私達に何があっても慰め、励まし、応援してくれる方です。そしてお母さんはいつも私たちの味方でいてくれます。世の中で母の親に勝る愛はないといえるのではないでしょうか?
 今日の聖書の言葉に「母が子を慰めるように、わたしはあなたがたを慰める。」イザヤ66:13とあります。「わたし」とは神様のことです。神様は、お母さんが子どもを慰めるように、私たちを慰めてくださる方であります。そして、そのような神様の愛と慰めを知る時、私たちはどんな苦難や試練も乗り越えることができます。私たちはお母さんを通して愛を知りました。そして神様は、私達も、お母さんも愛しておられます。神様は、お母さんに豊かな愛を注ぎ、私達は、その愛をお母さんを通して受けてきたように、私達はお母さんを通して神様の深い愛を知るのです。今日は母の日です。私たちの日頃の感謝を伝えていきたいと思います。そして今日だけでなくお母さんにも、神様にも感謝していきましょう。

■小学科
「親の愛、神様の愛」 イザヤ66:13(母の日・家族の日)
伝えるポイント:親の愛を思う毎に、ますます神の愛が分かってくる。

準備
 イザヤ書は、三つの書物として考えることができます。1-39章が第一イザヤ、40-55章が第二イザヤ、 そして56-66章が第三イザヤです。第二イザヤと呼 ばれる預言者が、バビロン捕囚下にあった民に神から の託宣(神の民が捕囚から解放され、シオンへ帰還するという神のご計画)を宣べ伝えたのが前540年頃といわれています。この出来事が人々の閉塞感を打ち破り、生きる力を与えたことは容易に想像できます。数年後の前538年に、キュロス王によってユダヤ人が自 国へ帰ることが許され、また失われた神殿の再建をも許されたとき、先の救済の預言は成就したかのようでありました。第二イザヤは、どれほど民を励まし、力づけ、慰めたことでしょう。「慰めよ、わたしの民を慰めよと あなたたちの神は言われる。」(40:1)
 ところが第三イザヤにおいて、民は失望し、嘆いています。「わたしたちは光を望んだが、見よ、闇に閉ざされ輝きを望んだが、暗黒の中を歩いている。」(59: 9b)神は約束を軽んじ、民を捨てたのでしょうか。
 イザヤ書全体を通して教えられることは、預言者は 自分の能力で民を救うのではなく、神への悔い改めへと民を導く役割だったということです。何より、第三イザヤの頂点ともいえる66:13が、ご自身の民を愛さずにはいられない神のご性質を語ります。そして真の光としてイエスがこの世に来られたことこそ、預言の成就なのです。

説教例
 自分が赤ちゃんだったときのことを覚えているお友だちは誰もいないと思います。赤ちゃんは、歯が生えていませんから、お肉や魚を食べたりはしませんね。最初はお母さんの母乳や粉ミルクです。首が 座り、寝返りが打てるようになり、一人でお座りができる、このように少しずつ大きくなっていきます。前歯が生え、ご飯をトロトロに煮たおかゆや野菜のスープが飲めるようになるまで、おっぱいを卒業することはできません。また、赤ちゃんの頃は一人でトイレにいけませんから、オムツをします。誰にもそんな頃がありました。誰もが必ずお母さんや家族の人に 愛されお世話になって来たのです。ありがたいですね。でもそのお母さんよりも、もっと神さまは、私たちを愛してくださっていると、聖書は言っているのです。先ほど読んだようにイザヤ書には“神さまは私たちのことを、赤ちゃんを愛するお母さん以上に愛してくださっている”と書かれています。
 世の中は競争ばかりですから、生きていくのはとても大変なことです。お友だちや兄弟とケンカをすると、「仲良くしなさい」と怒られますね。国と国とがケンカを始めると戦争になります。戦争になると、 多くの人の命や財産が奪われます。何よりも仲良しが一番です。その昔、神さまを信じるイスラエルの人々には12のグループがありました。最初の頃は神 さまを信じて、それぞれ仲良くできたのですが、やがて北と南にわかれて対立する位、仲が悪くなりました。あるとき、気がつけばバビロニアという大きな 国に攻められて、神さまを礼拝するための神殿は壊され、多くの人たちが捕えられてその国へ連れて行かれました。バビロニアでは神さまを礼拝することも許してもらえず、連れていかれた人にとってとても辛い毎日でした。けれども、神さまはどんなときも決してイスラエルの人々を見捨てず、慰めの言葉を語ってくださり、ついには自分たちの国へ帰ることができました。
 皆さんは、ご家族(お母さん)に愛されています。 けれども、それ以上に神さまは、あなたのことを愛しておられるのです。自分を産んでくれたお母さん、育ててくれた家族の人たちに感謝しましょう。そして それよりも、決して私たちを見捨てることをなさらない神さまに感謝しましょう。

■小学科ワーク

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