2021年春号・6月6日成人科 ナザレン希望誌ウェブ版

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真っ赤なひもでラハブ一家を助けようとなさる主 ヨシュア2:1-24
 ヨルダン川を渡ったイスラエルの民は、エリコを通過していかなければなりません。 ヨシュアは、二人の斥候をエリコに遣わします。エリコは要衝の都市であったので、偵察に行かせたのであります。そこで、斥候たちは、ラハブという一女性と出会います。
 ラハブは遊女であり、宿屋の女主人でした。彼女は、イスラエルの人から見れば、異邦人であり、偶像を拝む者でした。暗い生活をし、人生の裏街道を歩いたことでしょう。決して、満足し、満たされた日々ではなかったでしょう。いつかそのような生活から脱却したいと願っていたに違いありません。
 そうした時に、他のエリコの人々と同様、旅人によってか、風の便りによってか、イスラエルの民の間で起こっている様々な出来事、紅海を渡ったこと、荒れ野の出来事、神がイスラエルの民を導いておられることなどを耳にしていたことでしょう。そして、やがて、ヨルダン川を渡って、エリコを攻めてくることを聞いたのです(9-11節)。そのことで、恐怖に襲われ(9節)、葦の海の出来事を聞いて、心が挫けている(11節)とラハブは言っています。
 彼女の中に、真の神への恐れ、信仰の目覚めがあったのでしょう。丁度、その時に、イスラエルの斥候が来たのです。彼女にとっては、まさに、神の使いの到来と思えたに違いありません。神の使いとして迎え、神の側につくことを考え、神のために行動したのです。王の命令を恐れず、王の命令よりも、神を恐れたのです。「あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。」(11節b)。これは、ラハブの信仰告白であります。
 エリコの王の命令により追っ手の者が来た時、ラハブは、イスラエルの斥候を、かくまい(4-7節)、その代わり、イスラエルの民が、エリコに侵入したとき、自分と自分の家族、親族を救ってくれるよう斥候に嘆願するのです(13節)。斥候たちの条件は、誰にも漏らさない、知らせない(14,20節)、目印として窓に真っ赤な紐を結びつけておくこと(18節a)、一族をすべて家に集めておくこと(18節b)でした。ラハブと二人の斥候は約束を交わし、窓から綱でつり降ろされ、(15節)、ヨシュアのもとに戻り、良い報告をすることが出来ました。(23節)。やがて、イスラエルのエリコ攻めの時、二人の斥候はラハブとの約束を果たしたのであります(6:22-25)。
 ラハブの物語は、ユダヤ教においても、キリスト教においても愛読されているものであります。ユダヤ教の伝承によれば、ラハブはエレミヤを含む8人の預言者と祭司の先祖に当たるとされています。新約聖書を見るとヘブライ11:31に旧約聖書における信仰の勇者の一人に数えられています。ヤコブ2:25では、信仰による行いの模範としています。最も驚くべきことは、イエスの系図の中に見られることです。マタイ1:5では、ラハブは、イスラエルの司の一人サルモンの妻であり、ボアズの母であります。その末からダビデが生まれています。異邦の女しかも遊女が主なる唯一の神を信じ、受け入れ、仰いで救われ、信仰の勇者、行いによって義とされるものの中に加えられ、イエスの系図の中に名を留めるとはなんというくすしき神の導きでしょうか。

 設問 ラハブの信仰と生涯について話し合ってみましょう。

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