2021年冬号・2月14日小中高科 ナザレン希望誌ウェブ版

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■ 説教準備のためのテキスト研究
イエスさまは良い羊飼い ―――ヨハネ 10:7-18
伝えるポイント;良い羊飼いであるイエスは羊のために命を捨てる。それは羊に命を豊かに与えるためである。

ポイント1、
 羊飼いの仕事は、第一に、羊の群が十分に食べることができるような牧草地に導き、また水資源に乏しい自然環境の中で、羊に飲み水を与えること。そういう意味で、主イエス・キリストが「わたしはあなた方の羊飼いである」とおっしゃるとき、私たちは、イエスが私たちに、十分な食べ物、飲み物、命の糧を確保してくださるということを意味する。私たちは明日どうやって食べてゆこうかなどと不安に思うときがあるが、主が私たちを養うと明言された。私たちを常に食べ物のある場所に導き、自分で食べ物を得ることが出来るように導いてくださる

ポイント2、
 「わたしは自分の羊を知っている。羊もわたしを知っている。」民衆は日本の首相が誰かを知っている。しかし日本の首相から知られている人は、ごくわずかしかいない。ところが私たちはイエスを知っている以前に、イエスに知られている。あなたは常に見守られ、ありのままに理解されている。誰一人わかってくれなくても、主は御存知である。どんなに道に迷い、人々と、かけ離れたところに迷い込んでしまって見失われ、茨やアザミにからみつかれ、あるいは泥沼の中でもがき苦しんでいても、イエス・キリストは探しに来てくださる。どんな汚れた場所にも、どんな暗闇の中にも来てくださる。

ポイント3、
 「羊の囲い」。私たちは、自分は自分と思っている。人生とは、自分の人生であると。しかし、実は私たちはイエス・キリストというお方の所有物であるという。羊を守っていると同時に、羊を閉じ込めている「囲い」。それは自由を縛る。見張られていることは、安心であると同時に、窮屈とも感じる。私たちは心の底で「囲いの中に入れられたくない」という思いを持つ。そこには門が一か所しか無い。そして羊飼いが先頭に立つのでない限り、羊は自由に外出できない。さらに主の持っておられる杖は、私たちを守る道具であると同時に、私たちを懲らしめる鞭ともなる。安全と自由放蕩の両方は一度には得られない。「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。(マタイ7章13節)」現代も世の現実から逃げたくて牧師になる者がないわけでもない。ただ彼にとって、もはや囲いの外には居場所は無い。片足を囲いの中に踏み込みつつもう片足を自由な外の世界に置きたくとも(人間の気持ちとしては普通だが)囲いが合って門は一つしかないので、二股をかけることはできない。良い羊飼いであるイエスは羊のために命を捨てる。では、本日の聖書箇所においてイエスと論争の最中である律法学者やファリサイ派の何がいけなかったのか?羊がついて来なかった。自己実現を目指すものに対しては「羊は彼らの言うことを聞かなかった」。

■ 中高科
イエスさまは良い羊飼い ―――― ヨハネ 10:7-18
伝えるポイント;良い羊飼いであるイエスは羊のために命を捨てる。それは羊に命を豊かに与えるためである。

準 備
 この時代、羊などの家畜は大切な財産であった。夜は羊を囲いの中に入れて門を閉じ、羊を盗人や獣から守った。朝になると、羊飼いは門を開けて、それぞれの羊の名を呼んで羊を囲いから連れ出して牧草や水のある所に導いた。中東のベドウィン(遊牧民)は現代でも個々の羊に名前を付けて呼ぶ習慣があるそうだ。場合によっては、羊飼いが囲いの入り口に横たわって門となった。門から囲いに入る羊は保護され、門から導かれて出る羊は牧草や水を得た。キリストを信じて信仰に入る者は恵みの囲いの中で安息を得、キリストを信じて信仰の道を歩み始める者は主の守りと導きのうちに幸いと祝福を受ける。
 羊飼いの責務は羊を保護し、養い、導くことである。雇われた羊飼いは危険なことがあると、羊を置いて逃げ去るかもしれないが、良い羊飼い、すなわち自分の羊を飼う者は命がけで羊を守ろうとするはずである。実際に命を落とした例もあるそうだ。羊飼いが命をかけて羊を守り、救いだす姿はキリストの十字架の身代わりの死を示している。
 聖書には羊飼いを表現した個所が多くあるが、そのいくつかの聖句を挙げてみた。詩編23:1-6、イザヤ40:11、エゼキエル34:11-16、Ⅰペトロの手紙2:25、他。

説教例
 あるテレビの番組で、羊を飼って生活している中近東の遊牧民のことが紹介されていました。レポーターが、「こんなにたくさんの羊がいますが、それぞれの見分けがつくのですか?」と質問しましたら、驚いたことにその羊飼いは、「はい、分かりますよ。みんな顔が違いますから」と答えたのです。羊飼いは羊のことを良く知っているのですね。また彼らは羊に名前を付けて、その名で羊を呼ぶ習慣があるのだそうです。それだけ彼らには羊が近い存在なのですね。今朝のみ言葉に記されている、「羊飼い」は、「イエスさま」を、そして、「羊」は、「私たち人間」のことを表しています。私たちの牧者であるイエスさまが、私たちのことを良く知っていて下さると思うととても嬉しくなりますね。
 さて、羊飼いには大切な役目がありますが、それは何でしょう。それは第一に、「羊を守る」ことです。野原では羊を狙って獣が襲ってくることもあるでしょう。その時、羊飼いは手に持っている杖で獣を追い払って守るのです。それはまさに命がけですね。実際に羊を守ろうとして命を落とした羊飼いもいるそうです。雇われた羊飼いは責任感が薄いので、危険なことがあるとすぐに羊を置いて逃げてしまうかも知れません。しかし、「良い羊飼い」、つまり羊のことを本当に大切に思っている羊飼いは自分の生命を犠牲にしても羊を守り、救おうとするのです。イエスさまは人間の罪の身代わりとなって十字架の上で死なれましたが、イエスさまこそ、ご自分の生命を犠牲にされた、「良い羊飼い」なのですね。
 次に羊飼いの役目は、「羊を養う」ことです。詩編23編には、羊が緑の牧場で草を食べ、水を飲んで渇きを潤して元気に過ごしている情景が描かれています。羊飼いであるイエスさまは私たちが健やかで、また豊かであることを願っておられ、そのために心の糧である聖書のみ言葉を与えて下さっているのです。ですから私たちは日曜日の礼拝の時だけではなく、食事を毎日するように、み言葉も毎日読むようにいたしましょう。
 さらに羊の役目は、「羊を導く」ことです。羊は視力が弱くて迷子になりやすいので、羊を導く羊飼いがいなければ生きていくことが出来ません。羊飼いが羊を導く時は充分な食物や水がある所や、安全な所や、暑さや寒さを避けることが出来る場所に導こうとしますね。同じようにイエスさまは私たちの日々を、私たちにとって最善と思われる状況の中に導いて下さるのです。ですからイエスさまのお声をしっかり聞いて、お従いして行きましょう。

■ 小学科
イエスさまは良い羊飼い ―――― ヨハネ 10:7-18
伝えるポイント;良い羊飼いであるイエスは羊のために命を捨てる。それは羊に命を豊かに与えるためである。

準 備
 聖書は、主なる神とその民イスラエルの関係を言い表すために、羊飼いと羊の群れのたとえをしばしば用いる。キリストによって新しいイスラエル、新しい神の民とされているキリスト信者の姿とも合致するものである。

説教例
 羊には、自分たちをきちんと養い、守ってくれる「良い羊飼い」が必要です。「良い羊飼い」の条件、その一つは緑の草をたくさん与えてくれることです。しかし、羊が食べたいだけ草を食べてしまうと、草はどんどんなくなってしまいます。牧草地は何もしないで自然にできるものではありません。羊飼いが耕して作って、守っているから緑あふれる状態を保つことができるのです。良くない羊飼いは、そこまで面倒をみようとしません。羊が草の根っこまで食べているのを見ても知らんぷりでしょう。そのうち土の色が目立つ茶色い土地に変わっていってしまいます。そうなるといよいよ食べ物がなくなり、羊は体を休めることもできなくなるのです。汚い水を飲んで、病気にもなってしまうことでしょう。
 そんな弱った状態の羊をライオンや熊、毒ヘビなどが見逃すはずがありません。しかし天敵が来ても、「良い羊飼い」なら命がけで羊を守ってくれます。「雇い人」の羊飼いは単なるアルバイトですから、危険を冒してまで敵と戦おうとしません。それどころか、守るべき羊を放って逃げていってしまうのです。「羊のことを心にかけていないから」(13節)です。
 イエスさまはおっしゃいました、「わたしは、良い羊飼いである」(14節)。良い羊飼いは、羊のことをいつも「心にかけて」、大切にしてくれます。そして、一匹一匹に名前をつけて羊を呼ぶのです。私たちの名前も一人ひとり呼んでくださるのです。弱いときは、優しく抱きしめてくださいます。
 おとなしく臆病な性格を持つと言われる羊ですが、彼らは羊飼いの声を聞き分けることができるそうです。ですから、知らない人が羊を呼んでも後をついていきません。知っている羊飼いが呼んだときだけついていくのです。羊を奪い、傷つける「盗人」や「強盗」(8節)にはついていきません。盗人や強盗は目に見えない敵、「サタン」の働きを表しています。サタンは、私たちを神さまから引き離そうとして、いろいろな手を使ってきます。私たちに攻撃をしかけ、神さまが教える正しい道から迷わせようとします。そういう声に惑わされないように、私たちは「良い羊飼い」であるイエスさまのみ声にしっかりと耳を澄ましておかなければいけません。
 命がけで羊を守った「良い羊飼い」の姿は、イエスさまの十字架の苦しみと死にはっきりと現わされました。私たちの命を救うために、サタンととことん戦ってくださって、勝利されたのです。だから、もう怖がることはありません。サタンの攻撃はやってきますが、イエスさまの十字架は何よりも強いのです。イエスさまは十字架と復活によって、私たちの最大の敵である「死」に打ち勝ってくださいました。そして私たちの命を永遠に守ってくださる「完全な良い羊飼い」となられたのです。私たち自身は誘惑に弱く、ともすれば簡単に神さまから離れて行ってしまう「弱い羊」ですが、「良い羊飼い」であるイエスさまは私たちをいつも守ってくださいます。どんな時も見捨てないお方です。ご自分の命をささげられた本当の「良い羊飼い」主イエスさまが、私たちを永遠の命へと導いてくださるのです。

■ 小学科ワーク

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