2021年冬号・1月31日成人科 ナザレン希望誌ウェブ版

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ヨハネ6章41~51節 イエスは天から降って来たパンである

 本日の箇所を含めた1~58節までは「聖餐」に関する事柄が書かれていると受け止め、その立場から書いてまいります。
 最初に書かれているのは5000人の人への給食のことです。「パン」とは、天からのパンを思い起こさせる言葉であり、「魚」(ΙΧΘΥΣ)はイエス(Ι)キリスト(Χ)は神(Θ)の子(Υ)救い主(Σ)を語る象徴として伝えています。ですから、この給食の記述によって聖餐の大切なメッセージがまず語られており、なおかつ12の籠(かご)いっぱいになったパン屑によって、福音はまだまだ多くの人に出合っていく余地があると感じさせます。何故なら、イエスから食事を受けた人たちとは聖餐に与る人達であり、パン屑は福音そのものを意味していると受け止めるからです。
 5000人への給食について「朽ちる食べ物」と「天から降って来たパン」とでイエスはパンに関する対比をしています(27章32~33節参照)。4章の「水」を思い出させる言葉であり、イエスが与えてくださるものは朽ちること、渇くことがないものであることを告げています(35節参照)。4章では礼拝について語りました。今月10日の2章1~12節の箇所の記述で触れましたが、ヨハネ福音書には最後の晩餐に関する記述がありません。けれども本日の箇所において「イエスの体と血」に関することが書かれています。41節においてイエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたことに関し、ユダヤ人たちは52節で「天から降って来たパン」という言葉に激しく反発し、議論したことがあります。これはイエスの言葉を理解できなかったが「きよさ」を大切にするユダヤ人にとり、人肉を食べることは最も汚れた行為(51節参照)であり、忌み嫌うことだったのです。
 しかし今日に至るまでキリストの教会が行ってきた聖餐式で語られる言葉を思い出していただきたいと思います。式文によって若干の違いはあるでしょうが「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むもの」という言葉が語られます。また54~56及び57節において、聖餐に関してのとても大切なことが語られているのです。イエス自身によって「聖餐」の大切さがはっきりと語られていることが解(わか)ります。しかも、「永遠の命」に関する事柄を通して聖餐が語られたわけです。
 3章において「永遠の命」と聖霊の関わり、4章において『永遠の命』と神の言葉、そして6章において「永遠の命」と聖餐とが結びついて書かれています。さらに1章と2章でふれましたが「世の罪を取り除く神の子羊」という言葉によって十字架を既に語っているヨハネは、この6章において、よりはっきりと十字架のメッセージを語ったということが出来るのではないでしょうか。
 ヨハネが教会に対して強く語るのは「神の言葉」と「聖餐」によってその信仰を明らかにする必要があるということです。それを支え導くのが聖霊なのです。そしてその中心にあるのは、天から降って来たパンであるイエス・キリストの誕生から死に至るまで、否、復活に至るまでの生涯を信仰を持って受け止めることなのです。天から降って来られたイエス・キリストとしっかり向き合う信仰者でありたいと願います。
【設問】 
あなたの信仰にとって「聖餐式」はどの様な位置づけがされているでしょうか。
参考賛美 「み弟子らに囲まれ」(新聖歌51番)

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