2020年秋号・10月18日成人科 ナザレン希望誌ウェブ版

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神の愛ゆえに希望は私たちを欺かない   ローマ 5:1-11

 神の愛は、私たち人間に対しどのような形で示されているでしょうか。
 今回与えられたみ言葉は、私たち人間のために打ち立ててくださった信仰による「義」が主題となっています。「義」とは本来「人間の歩むべき道」の意味を持っています。私たちは、「義」という言葉の日常の使い方として「人間の正しさ」と言う場合が多いです。
 しかし、人間の正しさ、ここに言う「義」は、人間の私たちが判断する場合、絶対的ではありません。他人によって、その時々によって、その状況によって全く違ってきます。それは、人間がもつ自己中心性(罪)のゆえに、都合によって人間の正しさはいろいろな意味が伴ってしまうからです。
 この簡単に変幻してしまう人間の「義」を代わることのない不動のものとしてくださったのは、ここに記されているように神にのみ可能でした。
 人間の罪によって、人間が持つ「義」が変化をとげてしまうにもかかわらず、神はこの人間の罪を取り除くために、御子イエス・キリストを十字架により死に至らしめてくださいました。このことにより人間がもつ「義」は、絶対性に裏付けられた不動のものと変えられるのです。この事を私たちが信じるとき、信仰による「義」が成立します。これを私たちは「信仰義認」と言っています。この事により神と私たち人間の間に存在する関わりが正常になり、神と人間の間に本来存在すべき平和がもたらされたのだと、み言葉は示しています。
 これが、神が私たち人間のために打ち立ててくださった「義」であり、これこそが神の愛に裏付けされるものと、み言葉は証言しています。この神の愛はアガペーと言われる代償を求めることのない無償の愛なのです。
 私たちは、御子イエス・キリストを信じ受け入れることにより、私たちが「義」とされ、神の愛によって生かされているのです。
 この神の愛を信じ確証すればこそ、いかなる状況に遭遇しようと、望みを持ち続けることができるのです。パウロの「希望はわたしたちを欺くことがありません。私たちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(5節)という力強い言葉はこの神によって与えられた、信仰による「義」に裏付けされているのです。

【設問】 
1.人間が言う「義」と神の「義」の違いはどこにありますか。
2.神の「義」と「愛」はどのように結びつき、どのように具体化するのですか。

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