2020年夏号・小中高科7月12日 ナザレン希望誌ウェブ(テスト)版

目次に戻る    カリキュラム一覧に戻る
■ 説教準備のためのテキスト研究

共におられる神さまに気づいたヤコブ 
創世記 28:10-17(朗読は28:15)
伝えるポイント:ヤコブは夢を見、共におられる主に気づき目覚めて主を拝した。

 今週はヤコブの神体験である「天の梯子」の物語である。
 先週はアブラハムとイサクの物語であったが、イサクは成長しリベカを嫁に迎える。彼らには双子のエサウとヤコブが与えられた。しかし彼らは胎の中から争っており、見た目も性格も異なる兄弟であった。さらに父イサクと母リベカは、それぞれの兄弟を偏愛し、家督をめぐって策略まで巡らすのである。
 テキスト研究とはすこし離れるが、説教の準備として考えてほしいのは、教会に集っている子どもたちの兄弟関係である。
 長男・長女にとって聖書の物語は面白くない(はずだ。私自身が長男でそう感じていたからである)。エサウとヤコブ、レアとラケル、放蕩息子の兄と弟。ズルをしてまで横取りした家督が祝福され、もう一つ別の祝福を祈ることができるはずなのに、もうそれは出来ないと拒否される。
 これを聞いた教会学校のお友だちが何を考え、何を持ち帰るか。教師はそれをよく吟味し、丁寧に心をフォローしてほしい。中学生クラスでは、そういったディスカッションも聖書を自分のものとしていく上で有益であろう。
 父からの祝福を受けたはずなのに、兄に妬まれ命を狙われることとなったヤコブは、全てを捨てて逃げなければならなかった。ヤコブは、不安と孤独で押しつぶされそうだっただろう。
 とある場所で、ある晩彼は夢を見た。
 「先端が天まで達する階段」は「地に向たって伸びて」いた。それは地からのものではなく天からのもの、すなわち人からの接近ではなく神からの接近である。しかも天に達するのである。
 そしてヤコブに対しての約束が与えられる。
 「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。」アブラハムを召し出し、その約束と祝福をイサクに受け継がせた契約の主である神を表す。
 さらにその約束は「土地」と「子孫の繁栄」の約束に及ぶ。それはアブラハムへの約束(12:2、13:16、15:5、17:2、4―6、18:18、22:17)であり、イサクへの約束(26:4、24、28:3)でもある。子孫による地上の氏族のすべてへの祝福についても、同様である。(12:3、18:18、22:18、26:4)。
「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したこ
とを果たすまで決して見捨てない。」何という力強い約束だろう。
 ヤコブは夢から覚め、それが自分自身の明確な神体験であったことを告白する。
 「天の門」という表現は、当時中近東の世界で、「神の領域に接する地点」を意味する語句であったと推測される。しかしここでは、神の臨在に触れられたことに対する彼の告白である。
 彼は「枕としていた石」を「記念碑」として立てた。それは神の約束と祝福を覚えるためのものである。「油を注い」だのは、偶像としてではなく、契約あるいは誓いのあかしとして。古代中近東の世界では、契約を結ぶ際の儀式で油が注がれることがよくあった。契約あるいは誓いが神聖にして冒すべからざるものであることを表す象徴的な儀式的行為であろう。(参照レビ8:10-11)
 「ベテル」は「神の家」の意味。「ルズ」は「アーモンドの木」の意味。ヤコブがベテルと命名した場所が、必ずしもルズの町の中にあったと考える
必要はない。ベテルとアイの間のアブラハムが祭壇を築いた場所も、ベテルその場所ではなかったがベテルと呼ばれている(13:3)。ヨシュア16:2では、ルズがベテルの西側の別の地点にある町として記述されている。しかしまた同じ場所とも言い得るような地理関係にあったと考えられる(創35:6、ヨシ18:13、士1:23)。恐らくイスラエル人の間では、ルズの町もヤコブの夢のために、郊外の一地点の名ベテルで呼ばれるようになったのだろう。聖書のルズ=ベテルは、現代ではアラビヤ語名でベイティンと呼ばれている町と考えられ、考古学の調査発掘によれば紀元前2200年頃から人が住み続けた形跡が認められる。
 「神が私とともにおられ…主がわたしの神となられるのなら」(20 ‐21)の文は、「もし~なら」を意味する接続詞に導かれているが、13 ‐15節
の神の約束を受けての言葉なので、「そのようなことなら」「…であるからには」の意味となり、新改訳のように理由を表す節に訳すことも出来る。

■ 中高科
共におられる神さまに気づいたヤコブ
創世記 28:10 ―17(朗読は28:15)
伝えるポイント:ヤコブは夢を見、共におられる主に気づき、目覚めて主を拝した。

説教にあたって
 ヤコブは兄に追われ、荒野で人生初の孤独な夜を体験する。そのときに見た夢と、神の語りかけからヤコブは「わたしはあなたと共にいる。…決して見捨てない。」という神の存在をリアルに体験する。おごる者ではなく、挫折して救いを求める者に神はみずから近づいて、祝福を与えてくださる。ヤコブは神を畏れ、自らの挫折の象徴である石を立てて、礼拝をした。

説教例
 今週と来週、2回に分けてイサクの双子の息子ヤコブの人生から学びます。
 ヤコブは、イサクが遠方から迎えた待望の妻リベカから生まれた双子の兄弟です。生まれるときに、ヤコブは兄エサウのかかとをつかんでこの世に誕生してきます。そのため、この子には「かかとをつかむ者」(押しのける、人を出しぬくの意)という名前がつけられました。果たしてヤコブは、その名が意味するような人へと成長し、あろうことか、兄エサウを出しぬいて、長子だけに約束されていた父親からの祝福をだまして奪ってしまいます。当然のことながらエサウは激怒し、弟を殺すことを考えます。これを聞いて心配した母リベカが、ほとぼりが冷めるまで、ヤコブをこっそり自分の兄(ヤコブの叔父)のところへ逃がすのです。
 荒野の道をひとり、逃亡の旅に出たヤコブ。途中、日が暮れたので歩き疲れたヤコブは、今夜はそこで野宿をすることにし、そこにあった石を枕に横になります。しかし、なかなか眠れません。生まれて初めてのひとりぼっちの夜。寂しさや不安、心細さがひたひたと押し寄せてきました。そんな中、うつらうつらするうち、ヤコブは不思議な夢を見ます。それは、天から地上に向かってまっすぐに伸びた階段(別訳では梯子)の夢でした。しかも、その階段を天使たちが上り下りしているというのです。それをぼんやりながめていたヤコブの傍らに主なる神さまが立たれ、彼に語りかけられました。
 「わたしは、あなたの父祖アブラハムの代からの神、主である。あなたにこの土地と多くの子孫を与えよう。…わたしは、あなたと共にいる。わたしは決してあなたを見捨てない。」
 それは、思ってもいない神さまからの守りと大きな祝福の約束だったのです。これまでのヤコブの生き方は、いかに要領よく母親に可愛がられるか、またどうすれば兄を出しぬき、押しのけて欲しいものを手に入れられるか、そればかりでした。それが、生まれて初めて挫折を体験し、彼は自分がどんなに孤独でみじめな状態か、自覚しないではいられなかったのです。そのとき、神さまのほうからすっとヤコブに近づいてきてくださいました。神さまの恵みは、自力でなんでもできるとおごり高ぶっている人には与えられません。自分の弱さを自覚し、救いを求めている人に語りかけてくださいます。
 眠りから覚めたヤコブは、初めて神への畏れを感じました。彼は幼い頃から、両親から神さまのことを聴き、一緒に礼拝に参加して育ったはずです。しかし、ヤコブはそのことに気づきませんでした。朝早く起きたヤコブは、枕にしていた石を立てて、その場で神への礼拝を捧げます。この「石」こそ、ヤコブの挫折と敗北の象徴だったでしょう。それを神へと差し出したのです。私たちが自分の弱さを認め、それを礼拝の中で差し出すとき、神さまは私たちをよし、わかった、あなたを見捨てない、共にいるよ、と受け入れてくださるのです。

■ 小学科
共におられる神さまに気づいたヤコブ
創世記 28:10 ―17(朗読は28:15)
伝えるポイント:ヤコブは夢を見、共におられる主に気づき、目覚めて主を拝した。

説教にあたって
 孤独や絶望の中であろうと神さまが共にいてくださることを伝える。その根拠はキリストの十字架と復活、それを信じることによる罪の赦しと救いである。これを信じることによって神さまがおられ私たちを愛して下さっておられることを知ることができるからである。それが理解できない子たちがいることも確かである。これを何とか信じさせようと焦る必要はない。確信をもって事実を伝えればよい。

説教例
 イサクには二人の息子がいました。兄はエサウで弟はヤコブで二人は双子でした。だけどヤコブはエサウになりすまして、お父さんのイサクを騙し神さまの祝福を奪い取ったのです。これにエサウは怒り仕返しをして殺してやろうと決意したのです。それを知ったお母さんのリベカは心配して、「エサウ兄さんの怒りが収まるまで親戚のラバンおじさんの家にいなさい」と言いました。またイサクは「ヤコブよ、そこの女性と結婚しなさい。私の父であるアブラハムを祝福して下さった神さまが、お前を守って下さるように」と言ったのです。こうしてヤコブは家を出てたった一人で旅に出ました。それは距離にすると800キロメートルくらいなのです。それをただ歩いて行くしかないのです。ヤコブは「これからどうなるんだろうか、僕の人生は終わったのかもしれない」と後悔したのです。
 そんなある夜のことです。野原で寝ていると不思議な夢を見たのです。それは天にまで届く長い階段があって、沢山の天使たちが上り下りしていたのです。ふと気がつくと神さまが立っていたのです。「ヤコブよ、私はあなたのお祖父さんアブラハムの神であり、あなたのお父さんイサクの神です。私はあなたが横になっているカナンの土地を全部あなたに与えます。私はいつもあなたと一緒にいて、あなたがどこに行っても必ず守って上げます。そして必ずこの故郷に連れ戻します。私は約束した事を果たすまで、決してあなたを捨てません」と神さまはおっしゃられたのです。ヤコブははっと目を覚ましました。「主がこの所おられるのに僕はそれを知らなかった」。
 私たちは本当に寂しく、孤独で、絶望の中にいようとも、ヤコブのように神さまがおられることを気がつくことができるのです。神さまは本当に私と共にいて導いてくださるのだ。それに気がついたヤコブは起き上がると枕にしていた石を立て、油を注ぎました。そしてこう祈ったのです。「神さま、いつも一緒にいて守って下さることを信じます。私の神さまになってくださることを、本当にありがとうございます。あなたに従い、いつも感謝の捧げ物をします」。ヤコブはこの場所をベテル「神さまの家」と呼ぶことにしたのです。そして立ち上がって歩きだしハランを目指して再び旅を始めたのです。
 このように神さまは、もう終わりだと思える時でも共にいてくださるお方であり、私たちを祝福したいと願っておられます。何故なら主イエス・キリストを、この世に送ってくださったからです。そしてイエスさまは私たち人間の罪の罰を身代わりに受けて十字架にかかり死なれ復活されました。これをヤコブのように信じる者は罪が赦され、どんな苦しみの中でも救われるのです。そして「神さまが共におられる」ことを知るのです。

■ 小学科ワーク

2020 希望 夏 ワーク_page-0002


目次に戻る    カリキュラム一覧に戻る

2020年夏号小学科ワーク13週分のPDFダウンロードはこちらをクリック
(googleアカウントが必要です。)

御言葉カードはこちらをクリック
(googleアカウントが必要です。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?