2021年春号・4月11日小中高科 ナザレン希望誌ウェブ版

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■説教者のためのテキスト研究
「教会に集う人たちの役割」  使徒6:1−7 
伝えるポイント:神の言葉を語る牧師中心として、それぞれの役割に生きることが宣教の祝福となる。

 今日から『使徒言行録』の御言葉に聴いていく。この書は、初代教会の宣教の歴史の記録であると共に、初代教会がどのように人々に伝え、また教会を建て上げていったのを学ぶ『宣教マニュアル』『教会形成マニュアル』でもある。また異文化・異なる宗教観を持つ人々に対しての宣教アプローチも大いに学ぶところがある。

【教会を運営する組織】
 群れが大きくなるにつれ、様々な背景の人たちが教会に加えられた。感謝なことではあるが、人の数だけ問題も起こる。ここではやもめたちの「毎日の分配」とある。ご高齢の方々への配慮が、十分に出来なくなってきたということだ。実際に差別があったとは思えないが、言葉が通じないだけでも疎外感を覚えたことだろう。
 使徒たちは多くの働きに忙殺されたと思う。だから教会員の皆さんを集め相談した。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」この提案を教会の皆は喜んだ。やはり使徒たちには御言葉と祈りのご奉仕を十分にしていただきたいと。そこで執事を選び教会員への、具体的なお世話を担当してもらうことになった。

 多くの教会では「役員」とう呼称を用いているが、その呼称は聖書には一切出てこない。「執事」ディーコンは、この箇所の「仕える」〈ディアコニア〉からきている。困っている人、寂しい思いをしている人に仕え配慮するための働き人である。
 「役員」という名称は日本における「宗教法人法」上の呼称だが、主イエスは、マルコ10:42-44でこう言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。」だから、ある教会では「しもべ会」という名称を付けているそうだ。

 執事の選び方やその基準、働きに関しては、この箇所に明確に記されている。世の選出基準とはかなり異なる。
①“霊”に満ちた人:聖霊に満たされた人。聖めの体験が伴い、主に全てを明け渡している人。
②知恵に満ちた人:知識ではなく知恵。特にみ言葉による知恵。パソコンや事務が出来るとか、世の仕事に長けているとかではなく、人の話に耳を傾け、み言葉と祈りによって励まし導くことのできる人物。
③評判の良い人:原語では「証しとなっている人」。キリストの香りを放つ人。
④信仰と聖霊に満ちた人:ヘブル書11章には、望みえない時にもなお信頼して神を待ち望む人物として表現されている。たとえば会堂建築の時に、手持ちのお金や周辺の状況を見るのではなく、神のビジョンを共有し、信仰に立って行動する人が求められる。
 またⅠテモテ3:8-13に、執事の資質について詳しく書かれている。是非、教会全体で学んでいただきたい。
 これを読むと執事になることに尻込みしてしまうかもしれない。だからこそ、教会員は執事のために祈り支えなければならない。13節には、執事を経験したことによって、良い信仰の基盤と、強い確信を持つことが出来るようになるとある。以前は、教会運営や牧師に批判的だったとしても、役員になりその苦労を共に担う時に、この働きは主の働きなのだと自覚し、今度は教会員一人ひとりのために祈り、また牧師を支え、共に働くようにされるからだ。

 初代教会では7人の執事が選ばれ、手を置いて任命された。組織的な基盤が整備されたことによって、さらに教会は拡大し、様々な人々に福音を伝えていった。

■中高科
「教会に集う人たちの役割」  使徒6:1−7 
伝えるポイント:神の言葉を語る牧師中心として、それぞれの役割に生きることが宣教の祝福となる。

準備
 教会「エクレシア」とは「神様に選び出された者達の集まり」です。神様は選び出した一人一人に重要な使命を与えておられます。それは福音宣教の使命です。しかし、それは一人でするのではなく、神様に選び出された者達が共に結び合わされ、協力してなされる神様の業であります。この重要な使命を受け取ってとりましょう。

説教例
 皆さん。先週はイースターでした。イエス様の復活は、私たちに喜びと希望を与えてくれます。そして、この喜びのメッセージを受け取った者達がどのように歩んでいったかが記されているのが使徒の働きであります。
 イエス様は天に帰られる時に、弟子達に「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を述べ伝えよ」と弟子たちが見たこと、聞いたことを伝える証人としての使命があたえられました。しかし、神様はそれを自分の力でしなさいと言われたのではなく証人として生きるために必要な力の一切は私が与えると「ただ聖霊があなたがたの上に臨とき、あなたがたは力を受ける。そしてエルサレム、ユダヤ、サマリアの全土、そして地に果てまでわたしの証人となるであろう」とペンテコステの日に聖霊、(神が共にいる)約束が与えられました。そこから、使命を握り、神様の約束を持って、弟子たちはイエス様を伝えに出て行ったのです。これが神様に選ばれた者(クリスチャン)の始まりです。
 そして、初代のクリスチャンは福音の素晴らしさと、与えられている使命に生きた。その結果として、彼らが行くところ行くところで、福音は広がっていき、次々と人々が救われ教会ができたのです。そして、教会には色々な人種、職業、立場の人達が、皆神様に選ばれたものとして集められました。しかし、人々が集まるところには色々と問題はつきものです。初代教会も人々の間で配給に関する不満が起きました。しかし、問題を通しても神様は教会をさらに堅固なものとして整え、立て上げようとされました。使徒達はさらに教会の要である御言葉と祈りに専念できるように、そして、具体的な働きを補うために、信仰と御霊に満ちた7人のリーダーが選出され、より神様の素晴らしさをあらわし、福音宣教が前進するために問題をも用いられて行きました。そして、何よりも教会は一人一人が神様によって選ばれた使命を持ち、役割を果たしていくことの必要、何よりもキリストの愛によって結ばれることの大切さを学んだのではないでしょうか。今日も、教会の本質は変わりません。神様の使命も変わりません。一人一人が生かされ、用いられるために、私たちに与えられている役割は何か、そして使命は何か受け取っていきたいと願います。

■小学科
「教会に集う人たちの役割」  使徒6:1−7 
伝えるポイント:神の言葉を語る牧師中心として、それぞれの役割に生きることが宣教の祝福となる。

準備
 ここで使徒書記者は、あからさまに初代教会の問題を記しています。こうした記述は、教会の働きを 喧伝するにはマイナスにしかならないように思えます。しかし、教会とは非現実的な理想郷ではないことの確たる証拠でもあるのです。この箇所から見えてくるものは「対立」ですが、現代においても私たちの周囲で様々な「対立」が顔を覗かせます。その都度、人間とは、自分と異なる他者に対して隔ての壁を設けてしまう、弱く愚かな存在であることに気付かせられるのです。この使徒言行録の記された時 代においては、ユダヤ人と非ユダヤ人との確執、また生粋のヘブライ語を語るユダヤ人(中にはアラム 語を話せるユダヤ人もおり、複雑でした)とギリシア語しか話せないユダヤ人との確執があり、これらが如何に根深いものであったことかと想像するものです。イエス・キリストを主と信じたキリスト者の間 においても、そこにある「対立」は消えてなくなるものではありませんでした。
 大切にすべきことは多々ありますが、教会において第一とすべきは、“神の言葉が重んじられる”ことです。それは現代においても然りでありましょう。初代教会の根本をも揺るがしかねなかった「対立」の 問題は、教会の秩序を形成し、その秩序を守ることによって解消されたのでした。

說教例
 先週は、イエスさまがお墓の中からよみがえられたことをお祝いするイースターでしたね。イエスさまの救いを信じる教会では、イエスさまがよみがえられた毎週の日曜日の朝を礼拝のときとし ました。こうして私たちは今朝も礼拝を守っています。教会で行われる礼拝とは、神さまのお言葉が正しく語られ、それを聞く者が、いつも神さまのお言葉に従って生きられるようにと教えられるのです。ですから、お言葉通りに教会のみんなが仲良くできるのは素晴らしいことですね。でも、エルサレムに最初の教会ができた頃、その教会には大きな問題がありました。それは、同じユダヤ人なのに、話す言葉が違う人がいてお互いに仲良くできなかったのです。教会には様々な人が集まっていました。貧しい人も貧しくない人も いました。みんなが仲良くするためには平等でなければなりませんが、実際には差別があって不平不満が出てきました。
 私たちも、「自分が一番!」などと思いこむと、お友だちとケンカになりますね。どうしたら仲 良くできるでしょう。それは、「神さまを一番!」とすることです。教会に来ている人は誰も、神さまが愛しておられる人ばかりなのですから、神さまを中心にしてお互いに大切にし合わねばなりません。
 きょうの聖書によれば、ペトロたち十二人がほかの弟子たちにこのようなことを言いました。「教会のお仕事をみんなで分担しましょう。私たちは、お祈りとみ言葉を語ります。皆さんは、教会を支える人、食事を作る人、弱い人のお世話をする人など、それぞれ得意なことをして神さまに仕えるものとなりましょう」と。
 それから2000年経った今も同じように、私たちの教会の牧師は「お祈りとみ言葉」が一番重要なお仕事です。ですから、教会に集まる人々は、その他のお仕事をみんなで分担しているのです。 教会学校の先生もその一人です。お花を生ける人、お金を預かる人、いつもニコニコ私たちの心を明るくしてくれる人、他にどういう人がいるでしょうか。私たちも神さまに喜ばれる子どもとなり、 神さまのために良いお仕事ができるようになるといいですね。

■小学科ワーク

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