2020年秋号・12月20日小中高科 ナザレン希望誌ウェブ版

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■ 説教準備のためのテキスト研究
「飼い葉桶に寝かされたイエスさま」 ルカによる福音書2:1-7 
伝えるポイント:ダビデの町で誕生したメシアは、王宮のベッドでなく飼い葉桶に寝かされた。

 皇帝アウグストゥス(1節)は紀元前27年から紀元14年までローマ帝国を統治した人物である。ローマ帝国の支配下に置かれている土地の住民は、皇帝に対して税金を納める義務が課せられるため、住民登録によって把握と管理がなされていた。歴史資料ではアウグストゥスの治世に全国的な住民登録があったことは確認されていない。キリニウスがシリアの総督であったとき(2節)にパレスチナで住民登録が行われたことは記録に残っているが、それは紀元6年のことであって、この記事とは時期がずれている。しかし地域ごとの住民登録は定期的に行われており、アウグストゥスがこの時期にユダヤでの住民登録を命じなかったという確証もまた見られない。
 ここで重要なのはルカによる福音書の歴史書としての精密さではなく、「神は人間の歴史を通して働かれる」という福音書記者の確信である。イスラエルの民だけでなく異邦人の権力者さえ、神はご自身の目的のために用いられるのである。

 マリアとヨセフは住民登録のために、ガリラヤの町ナザレからエルサレムの南方8㎞ほどの位置にあるベツレヘム(「パンの家」という意味)に上って行った。ヨセフがダビデの家系に連なる人物であったため、「ダビデの町」(4節)と呼ばれるベツレヘムで登録する必要があったようである。
 彼らがベツレヘムにいる間にマリアは出産の時を迎え、イエスが生まれた。記事の中では言及されていないものの、ベツレヘムでのメシア誕生は旧約聖書のミカ書5:1「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる」という記述に合致する。

 イエスは通常の新生児がそうされるように布にくるまれた。通常でないのは、その寝台が家畜に餌を与える飼い葉桶(7節)だったことである。宿屋の客室がすでに他の客たちでふさがっていたのか、何らかの理由で二人の宿泊が拒絶されたのかは定かではない。とにかくマリアとヨセフは泊まる部屋を得ることができなかった、と福音書は語っている。それで二人は、おそらく宿屋かどこかの家の家畜の居場所に入ったものと思われる。伝統的には「家畜小屋」と考えられてきたが、聖書本文中にはそれを確定する記述は見られない。宿泊および出産の場所として、家畜小屋のほかに横穴式の厩(馬小屋)や洞窟、戸外だったという説もある。いずれにしても、飼い葉桶を使う家畜の居場所にマリアとヨセフは身を寄せて、そこでイエスはこの世に誕生した。

 イエス誕生の舞台は、そのすべてが簡素で飾り気のないものであった。奇跡を思わせる出来事も、周囲の人々の歓声も、ささやかな祝宴さえもそこには登場しない。救い主の誕生に際して、地上で低く貧しくされている者たちを遠ざけてしまうようなものは何一つなかった、とルカによる福音書は描いているのである。

【参考文献】    
・「現代聖書注解 ルカによる福音書」(F.B.クラドック著、宮本あかり訳 日本キリスト教団出版局)
・「ルカによる福音書 私訳と解説」(宮平望著 新教出版社)
・「ティンデル聖書注解 ルカによる福音書」(レオン・モリス著、岡本昭世訳 いのちのことば社)


■ 中高科
「飼い葉桶に寝かされたイエスさま」 ルカによる福音書2:1-7 
伝えるポイント:ダビデの町で誕生したメシアは、王宮のベッドでなく飼い葉桶に寝かされた。

●準備
 イエス様が誕生された場所に、心を傾けて、黙想してみたいと思います。「メシアの王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。」とエルサレムの宮殿を訪ねた東の国の学者たちの事がマタイによる福音書2章に記されています。ユダヤの王であれば、当然、宮殿と考えるのが常識ですが、神様のご計画は、私達には及びもつかない事をなされます。神の御子であるイエス様がベツレヘムの家畜小屋で誕生なされたばかりか、家畜の餌を入れる「飼い葉桶」に寝かされたという事は、徹底的にへりくだった姿を知らされます。なぜ、そこまで神の御子であられるイエス様は貧しくなられたのかという事を考えてお話したいと思います。

●説教例
 クリスマスおめでとうございます。私達を罪の世界から救い出して下さる救い主として、神様はイエス様を、私達の世界に遣わして下さいました記念すべき日、それがクリスマスです。
 イエス様を産んだお母さんであるマリアは、婚約者のヨセフと結婚する前に、聖霊なる神様の力によってみごもりました。今日のできちゃった結婚という事ではありません。マリアは、天使によって、「あなたは神様からの恵みを戴いて、みごもり、男の子を産むでしょう。」と告げられた時、「そんな事はあり得ません。私は未だ男の人を知りません。」と答えています。しかし、天使は、「あなたの親類のエルサべトも年齢的に不可能と思えるような状態であっても男の子を身ごもっている。神にできない事は何一つない。」と告げられ、マリアも婚約者のヨセフも、受け入ることができないような事でしたが、しかし、神様がなされた事であると信仰をもって受け取り、ヨセフは聖霊によってみごもったマリアを妻として迎え入れました。丁度、その頃、ユダヤの国を政治的に支配していたローマ帝国の皇帝アウグストから「住民登録するように」といった命令が出されま した。夫となったヨセフはダビデの家の家系でしたので、ガリラヤ地方のナザレの町を出てベツレヘムに出かけて行きました。お腹に子供がいたマリアにとって約150キロあまりの旅は、大変なものであったと考えられます。夫のヨセフはマリアをいたわりながら、困難に耐えて、べツレヘムにたどり着きました。しかし、宿屋という宿屋は一杯で、二人が泊まれる宿は、家畜小屋しかありませんでした。そこでイエス様は誕生され、飼い葉桶に寝かされたといいます。
 皆さんはどこで、生まれましたか?多分、ここにいる皆さんは、医療設備が整った病院で、誕生したのではないかと思います。
 何故、神の子であり、私達、すべての人の救い主となってお生まれになられたイエス様が、家畜が飼われていた暗くて、動物の臭い匂いが漂っているような場所で誕生しなければならなかったのでしょうか?
 この世の権力者たちは、権力を振りかざし、人々を抑圧し、自分の欲望を満たそうとしますが、しかし、まことの王であるイエス様は、自分の権力を放棄し、身分的に低く見られていた人々、貧しい者、弱い者たちの側に立って、私達と同じものとなり、すべての痛みや苦しみを体験され、私達を救う為にご自分を低くされ命をささげて下さいました。
 神様は、すべての人々がイエス様による救いを受ける事を願っておられ、王宮といった場所での誕生ではなく、あえて貧しい家畜小屋での誕生であり、かつ飼い葉桶に寝かされたという事は、天の御座を捨てて、低いこの地に降って来られた救い主としてのしるしといえます。
 当時、低い身分として見られていた羊飼いたちが最初の礼拝者たちであったという事にも、神様の思いが込められているといえます。神様の思いを受けとる私たちでありたいと思います。

■ 小学科
「飼い葉桶に寝かされたイエスさま」 ルカによる福音書2:1-7 
伝えるポイント:ダビデの町で誕生したメシアは、王宮のベッドでなく飼い葉桶に寝かされた。

●準備
 家畜小屋だったかどうかはともかく、イエスさまがお生まれになった場所は人間用の場所でさえない、いちばん貧しいところでした。その場所が持つ意味を味わいながら話したい箇所です。

●説教例
【導入】
 クリスマスおめでとうございます!今日は、イエスさまがお生まれになった時のお話です。ヨセフとマリア、そしてイスラエル中の人たちが、自分の生まれ故郷に行く準備をしていました。ローマ帝国の皇帝から、イスラエルの国民は全員自分の故郷の役場に行って名前を登録しなさい、という命令が出たからです。名前を登録させて、誰がどこにいるかや人数を調べて、きっちり税金を取るためでした。この時代のイスラエルはローマ帝国に支配されていましたから、ローマ皇帝の命令は何があっても絶対に守らなくてはいけませんでした。マリアはもうじき赤ちゃんが生まれる予定です。お腹が大きくなっていて、旅をするのはとても大変でした。それでも命令ですから仕方なく、夫のヨセフの先祖の町、ユダヤのベツレヘムに向かって、ガリラヤのナザレから130キロもある道程を旅することになりました。電車もバスも、自転車もない時代です。ヨセフはきっとマリアをロバに乗せて、マリアが少しでも楽なように、ゆっくり歩いて行ったんでしょうね。
 二人がベツレヘムに着くと、どこも人でいっぱいでした。ベツレヘムは小さな町ですから、普段はそんなにたくさんの人が来ることはありません。でもこの時期は、名前を登録するためにイスラエルのあちこちからたくさんの人が来ていたんです。どこの宿屋さんにも、二人が泊まれる部屋は空いていませんでした。ヨセフはともかく、赤ちゃんが生まれそうなマリアが野宿するわけにはいきません。必死で泊まれる場所を探して、どうやらどこかの家畜小屋に泊めてもらうことができたようです。
 馬やロバがいるようなところで、マリアさんは赤ちゃんを産みました。天使に言われていたとおりの男の子、イエスさまの誕生です。もちろんそんなところに赤ちゃん用のベッドなんかありませんから、イエスさまは布にくるまれて、馬たちの餌を入れる飼い葉桶に寝かされました。神さまの子どもで、わたしたち人間みんなのために生れた救い主なのに、イエスさまは立派なお城や豪華な部屋でお生まれにはなりませんでした。もしそんな立派なところでイエスさまが生まれていたら、きっと偉い人やお金持ちしかイエスさまには会えなかったでしょう。貧しい人も、全然立派じゃない人も、遠慮しないでイエスさまと会うことができるように、イエスさまは誰よりも貧しい場所でお生まれになったんです。
 賢い人や立派な人や何か特別な人だけのために、イエスさまは来られたんじゃありません。弱くても、賢くなくても、立派じゃなくても、何の力もなくたって、神さまは一人一人を愛していてくださる。そのことを私たちに伝えるために、イエスさまはいちばん貧しい場所でお生まれになりました。誰も仲間外れじゃない、すべての人のためにイエス様はお生まれになったんです。イエスさまは私たちみんなのための救い主です。

■ 小学科ワーク

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