2020年夏号・巻頭言 ナザレン希望誌ウェブ(テスト)版

巻 頭 言 この祭りは我々全員のもの

友寄 隆徳 (浦添教会牧師)

 教会周辺の小中校や、特別養護学校から毎日のように授業開始のチャイムが流れてくる。

 時には、お昼休みや放課後にテンポのいい音楽が聞こえてきた。しかし今回、学校や公園で遊ぶ子ども達を見かけることが無かった。その日常の生活と全く懸け離れた光景に、改めて新型コロナ・ウイルスの怖さとその影響力の大きさに驚いた。それは誰もが経験したことがない出来事であったと思う。

 そんな中、医療現場や教育現場は、緊急事態に即座に対応しながらその困難を乗り超えて行った。
 それは教会においても同様であったと思う。しかし牧師は勿論のこと、教会学校の先生達や子ども達も共に集まり、共に礼拝できない寂しさを感じたのである。

 エジプトの王ファラオは、モーセとアロンに妥協案を提示します。「いや、行くならば、男たちだけで行って、主に仕えるがよい。それがお前たちの求めていたことだ」と。しかしモーセは「若い者も年寄りも一緒に参ります。息子も娘も羊も牛も参ります。主の祭りは我々全員のものです」と答えます。

 「主の祭りは全員のもの」というモーセの言葉が響いてきます。わたし達も日々、様々な方面から妥協案が示されました。しかし緊急時だからこそ、子ども達やお年寄りへの配慮が必要であったのだと思う。

 さらに神は、モーセに「あなた達の子どもが、この儀式にはどういう意味があるのですか、と尋ねるならば、かつてエジプトで奴隷の身であった民を神が助けて下さったと教えなさい。」と語ります。彼らは自らの体験を通して信仰継承を実践して行きました。

 玄関前の水鉢に飼っていた熱帯魚を水槽に移しました。新しい水との配合がうまくいかずに、数日で10匹ほどが死んでしまった。熱帯魚の管理は難しいと思った。しかし今や昔と違い、ろ過フィルター、エアーポンプ、温度を調整できるヒーター、さらには水草、砂、照明器、水質をきれいにする液、バランスのある餌、それらを準備するにはかなりの費用が掛かった。しかし今では十数匹の熱帯魚たちが水槽中を元気に泳ぎまわっている。

 人間もすべてが管理されている中で育った者は温室育ちと言われ、ひ弱というイメージが付いて回る。しかし今日、そのように過保護と批判されることが少なくなった。それはみんな大変な時代を生きているからである。

 しかし考えて見ると、この天と地を創造された神は、人間に完璧な世界を提供し今も維持している。

言いつくせない配慮を持って世界を管理しているのである。今回、政府の指示に従えない人々、多少の管理に違和感を抱きながらも従った人々、その違いが表面化した危機管理時のそれぞれの対応であったと思う。

 しかしわたし達は、ファラオの管理の元から自由を求めて出て行った、あのイスラエルの民のように、「この祭りは我々全員のものです」と宣言したいのです。

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