2021年春号・5月23日小中高科 ナザレン希望誌ウェブ版

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■説教者のためのテキスト研究
「世界に広がる神の言葉」  使徒2:1―13(ペンテコステ)
伝えるポイント:故郷の言葉で語る神はどこまでもあなたに寄り添い、地の果てまでも福音を広げていく。

 今日はペンテコステ礼拝である。1章2章に戻って、聖霊によって教会が誕生したことを見ていきたい。

【聖霊の約束】1章
 『使徒言行録』のキーワードは1章8節である。
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」この聖句を鍵として、聖霊によって、地域、人物、福音宣教が伸展していく。(表)

【福音はエルサレムから始まる】
 本書は、福音がエルサレムから始まりローマまで、ユダヤ人から異邦人まで拡がっていくことを報告する。エルサレムが強調されるのは、福音が旧約聖書の使信と切り離せない関係を持っているからである。福音はエルサレムで完成し、宣教もエルサレムで開始される。弟子たちが聖霊を受けるまでエルサレムに留まれと命じられたのも、彼らの新しい活動が、旧約聖書の救いの約束と、聖霊の約束とに連続しているからに他ならない。

 【聖霊の降臨】2章
 皆が一つところに集まっている(祈る為であったであろう)時に、聖霊が降臨する。それは、罪の聖めの儀式である「初穂の祭り」(七週の祭り)の日であった。ルカは、五旬節の日が「満ちて」と記している。ここに教会は誕生するのである。聖霊なる神は、祈って待つ民のもとに来てくださり、そしてその方の力によってのみ、弟子たちはキリストの復活の証人として歩むことが出来るのである。

 聖霊の降臨は「激しい風が吹いて来るような音」、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ」という現象を伴った。聖霊なる神が激しく注がれた奇蹟は、筆舌に尽くしがたかったことであろう。聖霊に満たされた一同は「ほかの国々のことば」を話す。話し手の知らない外国語を話すことであって、「異言」とは区別される。

 「天下のあらゆる国」からの「敬虔なユダヤ人」は、他国に散在するユダヤ人のうち、本国に帰還した人々であろう。9‐11節の地名リストは、ユダヤを中心に弧を描き、離散ユダヤ人の所在地にほぼ重なる。彼らが聞くのは「神の偉大な業」、すなわちイエス・キリストの出来事である。「新しいぶどう酒に酔っている」とは、奇蹟を合理化しようとする者の意見。福音の言葉は、一方では讃美や驚きをもたらし、他方では疑いと冷笑で迎えられる。それは本書でも、また現代においても同じである。

 ペトロは聖霊に満たされて、集まった人々に、「ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です」と証をする。そして十字架と復活を力強く語る。

 人々はこれを聞いて大いに心を打たれた。ペトロの悔い改めと罪の赦しの招きに対して、多くの人々が応答し、その日に三千人ほどが仲間に加えられた。

大山希望ペンテコステ

■中高科
「世界に広がる神の言葉」  使徒2:1―13(ペンテコステ)
伝えるポイント:故郷の言葉で語る神はどこまでもあなたに寄り添い、地の果てまでも福音を広げていく。

準備
 キリストの証人として神様は私たちを選び、必要な力はすでに与えられている。

説教例
 今日はペンテコステです。ペンテコステとはイエス・キリストを信じる全ての者の上に聖霊が降った日であり、また教会が誕生した日であります。この聖霊とは、イエス様が「父はもう一人の助け主をお与えくささり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます」ヨハネ14:16で語られたように、私たちに、いつも共にいて、私たちを守り、助けてくださるお方である助け主であります。そして、この助け主とは、イエス様ご自身であります。神が共におられるという約束が、イエス様が霊の形をとることにより、イエス様を信じる全ての者の内に宿ってくださり、まさに全てのものと共に「主が共にいる」という約束が実現したのです。
 神様が共にいるという約束は、どのようなことに勝る、最大の約束と言えるでしょう。旧約聖書の時代は、特別な人に、特別な働きをするために与えられた約束でした。例えばモーセが80歳の時、イスラエルの民を奴隷から解放するためのリーダーとして、神様はお選びになりました。80歳のモーセも体力的にも気力的にも自分はリーダーなどすることはできないと思っていました。しかし、そんなモーセに神様は「私が共にいる。これがあなたにあたえるしるしだよ」と約束を与えました。そのことにより40年間、あらゆる試練や困難を乗り越え、民を導き続けることができたのです。なぜなら、主が共にいるということは、神様の力、神様の守り、神様の導きがいつもあるということです。これはどのようなモノをえるよりも遥かにまさる力の源です。なぜなら、神様は全能であり、無尽蔵の富をお持ちのお方だからです。
 しかし、旧約の時代は一部の限られた人に与えられた神様の恵みでありましたが、今や新約の時代、この恵みは全ての人に注がれているのです。そして、神様は聖霊を受けた者に、救われておしまいではなく、この地上の生涯を歩む上で大事な使命をお与えになりました。それは、「聖霊があなたがたの上に臨む時、力を受けます。そしてエルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」使徒1:8とあるように、イエス様を証しし、福音を伝えるという使命です。その使命に生きる時、神様は力を与えてくれます。
19世紀のアメリカにムーディーという神様に用いられた伝道者がいました。彼は働きのすべては聖霊の力強い力によるものであったと言っています。なぜなら彼の働きは聖霊の体験をする前とその後とでは結果が明らかに違ったからです。以前は少しの人が関心を示すくらいでしたが、聖霊に満たされてからは、人々次々と救われていったのです。まさに、ムーディーは聖霊の恵みに生きた人でありました。
 今日においても、神様は私たちを聖霊の器として用いたいと願っています。そして、すでに私たちの内におられ、私たちを通して福音が世界中に届けられることを神様は願っておられます。

■小学科
「世界に広がる神の言葉」  使徒2:1―13(ペンテコステ)
伝えるポイント:故郷の言葉で語る神はどこまでもあなたに寄り添い、地の果てまでも福音を広げていく。

準備
 日本では、フェスティバル (Festival)を人々が 楽しむための催事としがちですが、本来、「祭り」は宗教儀礼です。「過越の祭り」「五旬祭」「仮庵の 祭り」という、ユダヤ教の三大祭りは、イスラエルの人々、ことに男性にとっては主のみ前に出る大切な儀式でありました。それゆえ、キリストの弟子たちも、五旬祭の日に集まっていたのです。神は生きて働かれ、イエスを神の子・救い主と信じる者たちの群れに聖霊降臨がなされました。ここに教会の原点があり、ここから教会の働きは始動します。
ところで、キリスト者としての働きとは、ただ“この世の価値観で善い行いをすればよい”というものではありません。神がお建てくださったイエス・キ リストのみからだなる教会を通して、神のみ業は前進してゆくからです。たとえ財力がなくても、たとえ規模が小さくても、真に神がみ霊と祝福を注がれ る教会であるならば、その教会は堅く立ち続けることができ、豊かに“福音の宣教”という働きを担っていくことができることでしょう。言い換えますならば、イエスを主と告白する群れ(教会)を通してなされない行い、個々人による自己中心な行いは、どのような善き業であったとしても、神からの祝福を得るものとはならないのです。

説教例
 風は、私たちの目で見ることができませんが、確かに吹いています。風が強い日は、目にゴミが入る ので、目を開けることもできませんね。それでは、 風はどこからきてどこにいくのでしょう。天気予報では、「今日は南から風が吹いて暑くなります」とか、「明日は北からの風で寒くなります」などと教えてくれますが、実際にはその風がどこからやってきて、どこまでいくのかはわからないですね。今日の聖書には、「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。」とありました。これは“激しい風が吹いてくるような音”だっただけで、風そのものではなかったのかもしれませんが、 どこからやってきてどこへいくのかは、はっきりしています。それは、神さまのおられる天からやってきて、 神さまを信じる人々のところへいくのです。この風のようなものの正体は、神さまがくださった神さまの霊、 聖霊でした。
 さらに聖書にはとても不思議なことが記されています。神さまの聖霊を受け入れると、その人々は「ほかの国々の言葉で話しだした。」というのです。このころイスラエルには、外国に住んでいたユダヤ人がたくさんいました。そしてユダヤのお祭りのときになると、外国に住んでいた大勢のユダヤ人たちが、エルサレムへ集まってきたのです。その日は、過越の 祭りから、50日後の五旬祭というお祭りでした。お祭りと聞くと何だかワクワクしますが、当時は飛行機や電車、自動車などはなかったので、旅は命がけでした。それでも神さまのみ許に集まるために、ユダヤ人たちは困難を乗り越えてエルサレムにやってきたのでした。
 日本と、外国との違いは何でしょう。色々な違い があるかと思いますが、まず言葉が違いますね。言葉が違うと仲良くするのも困難です。エルサレムに 集まった人たちも、それぞれ自分の国の言葉で話していましたから、ほかの人に自分の気持ちを伝えることができなかったと思われます。けれども神さまは、このペンテコステ(聖霊降臨日)の日に素晴らし いことをされました。それは人々が「ほかの国々の言葉で話しだした。」こと、「神の偉大な業」を語り合ったことです。人々は様々な違いを超えて、神さまのもとに一つとされました。そしてこの日が世界の教会の誕生日になりました。

■小学科ワーク

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