2021年春号・6月13日小中高科 ナザレン希望誌ウェブ版

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■説教者のためのテキスト研究
「パウロ伝道旅行へ行く」  使徒13:1−3
伝えるポイント:アンティオキア教会の祈りの内に、聖霊はバルナバとサウロを伝道旅行に遣わした。(13-14章の伝道旅行の概観を伝えても良い)

【第1回伝道旅行】(13:1‐14:28)
 ここから『使徒言行録』は、使徒パウロを軸とした世界宣教に伸展していく。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(1:8)の第3段階「地の果てにまで」の宣教が開始されるのである。

【世界宣教への派遣】(13:1‐3)
 異邦人教会であるアンティオキア教会には、いろいろな背景と賜物を持った人がいた。預言者(み言葉を取り次ぐ人)や、教師、アフリカ系の人もいれば王族もいた。この教会には主の御霊が豊かに働かれた。
 彼らが主を礼拝し、断食(祈祷)をしていると、聖霊によって、この教会のなすべき業が告げられた。聖霊はバルナバとサウロを「聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」(新改訳)と命じられた。そこで彼らは更に断食と祈りをしたことが記されている。一定の期間、教会の人々は断食祈祷をして、この召命に対し吟味したことであろう。祈りを通してこの教会は神のビジョンに合わされていったのである。彼らはこの伝道を、神の業として、また教会の業としてなすのである。それが「手を置いて」送り出したことに現れている。
 二人は、ヨハネ(マルコ)を助手として連れていた。

【異文化宣教】(5月23日の表を参照のこと)
 宣教学においては、1:8のみ言葉によって、宣教のレベルを3段階に分ける。E1~E3(EはEvangelical Revel)で、下記のようになっている。
《E1》エルサレム:同じ民族・国語・文化を持つ人に対して福音を語っていく。(例)自分の家族・近所。
《E2》サマリア:同じ民族・国語だが文化的に違うところに福音を語る。(例)国内の閉鎖的な村への開拓伝道。
《E3》地の果てに至るまで:民族も国語も文化も違う人に対して福音を語る。(例)異国への宣教。
 もちろんレベルが上がるほど宣教が難しい。しかし主の大宣教命令は「地の果てにまで」「あらゆる国の人々」である。そして、その宣教命令の故に私たちも福音に触れることができ、救いにあずかったのである。

【幻  ビジョン】
 アンティオキア教会は、聖霊により世界宣教のビジョンが与えられた。私たちにもビジョンが必要である。

 「幻」は、日本語の辞書では「①実際にはないのに、あるように見えるもの。②まもなく消えるはかないもののたとえ。③その存在さえ疑わしいほど、珍しいもの。」という意味なのに対し、英語の「ビジョン」は、「見えるもの」「はっきり示されたもの」の意味である。

 10章で見てきたが、異邦人伝道の突破口はペトロに与えられた「幻」(はっきりと見せられた!)であった。彼はこの幻を主から受けたときに、すぐには合点がいかなかったが、それを思い巡らしていた。コルネリオの使者の話を聞いた時、彼は神が自分に与えられた計画を理解し、そしてそれに従った。

【宣教師のために祈ろう】
 宣教師といっても様々な働きがある。また公に宣教することが困難な国に派遣されている宣教師もおられる。日本から世界中に派遣されている宣教師のことを調べてみよう。
 またタイに派遣されている平原智之宣教師・セニー宣教師の働きを調べて、壁新聞などを作ってみよう。また寄せ書きやお手紙を書いて、その働きに共にあずかろう。

■中高科
「パウロ伝道旅行へ行く」  使徒13:1−3
伝えるポイント:アンティオキア教会の祈りの内に、聖霊はバルナバとサウロを伝道旅行に遣わした。(13-14章の伝道旅行の概観を伝えても良い)

準備
 宣教は聖霊の導きと共に、心を合わせて祈る者達と共に働く神様の業である。
説教
 今日から「世界宣教の始まり」というテーマでお話したいと思います。この使徒の働きは1章8節で主イエスが語られた言葉。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります。」を軸に進んできました。この御言葉に従って、これまではエルサレムを中心に、またペテロをはじめとする使徒たちが主役となって、ユダヤ人を対象に福音が語られてきましたが、ここからは宣教の舞台がアンテオケに移り、ペテロではなくパウロが中心人物として、ローマを目指し宣教を展開していくのです。13章からは、世界宣教を目指しての始まりであると言えるのです。
 この世界宣教はどのようにして始まったのでしょうか?「彼らが主を礼拝し、断食をしていると聖霊が『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。』と言われた。」2節にありますが、「彼らが主を礼拝し、断食していると」とあるように、聖霊が彼らに語られたのは、彼らが礼拝をしているときでした。振り返ってみると、かつて主イエスが大宣教命令を語られた時も、弟子たちが主を礼拝していた時でした。ガリラヤに行って、イエスが指示された山に登り、そこでイエスにお会いしたとき、彼らは主を礼拝したのです。そのとき、主イエスは彼らに近づいて来て、「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」マルコ16:15でも礼拝している時に、主は語りかけ、大いなる神様の使命をお与えになりました。今回もそうです。世界宣教の使命は、常に主を礼拝する教会に明確に与えられます。主を神として、また王として礼拝する時、神様はご自分の救いの計画と目標をその教会に示さずにはおられないのです。
 そして、神様の壮大な計画が語られた後、皆んなで話し合い、相談し、会議をして決めたのでしょうか?大事なことは何度も計画し、会議を開き進めていくものであるかもしれません。しかし、世界宣教の始まりは、聖霊による語りかけからであります。聖霊が直接アンテオケの教会に、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と語りかけられたのです。人間的な計画によるのではなく、世界宣教の働きは、神様ご自身の計画によって、導かれ始まっていったのです。
 そして、その御声に対して、彼らはどうしたでしょうか?彼らは祈りと断食をもって、パウロとバルナバを祝福して送り出しのです。食を断って祈るということは、まさに送り出す側の教会もまた宣教の苦渋に共にあずかる決意をしたということです。教会はただバルナバとサウロの二人だけを宣教の旅に送り出すのではない。そこでは教会もまた彼らとともに遣わされて行くのであます。そして、今日も宣教の働きは聖霊の導きと共に、聖徒たちの祈りによってなさせる神様の業です。そして、私たちもこの神様の働きに加えらているのです。

■小学科
「パウロ伝道旅行へ行く」  使徒13:1−3
伝えるポイント:アンティオキア教会の祈りの内に、聖霊はバルナバとサウロを伝道旅行に遣わした。(13-14章の伝道旅行の概観を伝えても良い)

準備
 聖書巻末にありますパウロの宣教旅行の地図を見ますと、アンティオキアが二箇所記されております。エルサレムから北へおよそ450kmの地点にあるアンティオキアがシリア州のアンティオキアであり、キリスト者が初めてクリスチャンと呼ばれた地です。エルサレム 教会から遣わされたバルナバは、サウロと共に、そこからもう一つのアンティオキア(ピシディア州)、更にはリカオニア州のリストラ、デルベへと福音を告げ知らせるための旅を始めようとしています。
 さて、陸路だけではなく、地中海をも進む旅です。どれだけの準備と祈りが必要だったでしょう。しかし、 準備万端なら出発できるというものではありませんでした。何よりも重んじられるべきは神さまのご計画であり、神さまの思いがなければ始まらない旅なのです。 ですから、ここで大切なのは登場人物に関する情報や彼らの働きではありません。14:21以降には、宣教旅行を終えてシリア州のアンティオキアに戻る場面が記されております。「そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて 送りだされた所」(14:26)という説明通り、神さまが 聖霊を通して語りかけられた言葉によって、バルナバ とサウロは送りだされたのです。このように、人の働きではなく、神さまのご計画と働きが初代教会を貫いております。“善いことだから”と先走って事を始めるよりもむしろ、「何を成すべきでしょうか」と神さまに 真剣に問う姿勢が、現代の教会に生きる私たちにも必要でありましょう。

說教例
 これからバルナバとサウロは大旅行に出かけようとしています。みんなは旅行にいくときに、どんな 準備をするでしょうか。雨が降っても大丈夫なように、傘を用意したり、どこかに泊まるなら着替えも必要ですね。必要な物は色々あると思います。では、自分の荷物を持って、目的地まで歩いていくことはできるでしょうか。昔の人は、車も電車もない時代、 どのようにして遠くまで旅をしたのでしょうね。バルナバとサウロは、聖書の地図によればアンティオキアから出発して、船を使ったり、歩いたりして、遠くテルベという町まで行って戻っています。しかも、 遊びに出かけるのではありません。神さまのためのお仕事で出かけるのです。さぞや大変な準備だったことでしょう。
 教会にて多くの仲間に祈られ、準備も整いましたが、バルナバとサウロが出発できたのは神さまからのGo サインがあったからです。「さあ、バルナバと サウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが 前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」 (13:2) 神さまのご命令を聞いて、教会は祈りつつバルナバたちを送りだしました。こうして神さま のための仕事が始まるのです。
 この世の中は、安全で、より正確に、より早くということが基本に掲げられています。 それはつまり、間違えたり、失敗してしまったり、作業がいつまでも終わらない人は、仕事を任せてもらえないということです。では、バルナバやサウロは 仕事が他の人よりできるから神さまの仕事を任されたのでしょうか。それとも、「どんなことがあってもやり遂げるぞ!」という決意表明があって、多くの人たちから認められたからでしょうか。実は、神さまのためのお仕事とは、この世の基準とは異なるものです。何より、安全や正確さは、人間の努力で得られるのではなく、神さまが保障してくださるものだからです。バルナバとサウロはただ、心から神さまを 信じて、神さまの言葉に従ったのでした。神さまは、神さまに従う人に祝福を与え、教会の働きをまっとうさせてくださいます。

■小学科ワーク

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