2020年夏号・成人科8月2日(青年日) ナザレン希望誌ウェブ(テスト)版

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荒野における神の民の生き方  出エジプト記 19:16-20:21

◯はじめに
 紅海を渡る時、イスラエルの民はただ神様を信頼して、命を委ねて歩んで行ったのです。神に導かれたとはいえ、荒野の旅路は、決して容易(たやす
)いものではなかったのです。エジプト脱出は見事に大勝利を得ました。しかし、荒野の生活は神が共におられたとしても辛く、肉体的な飢えと渇きは彼らを襲ってきたのです。けれども神様は彼らの必要は知っておられ、必要なものをすでに備えておられました。アマレクとの戦いも、勝利は祈りによってやって来たのです。これらのことは、信仰をもって歩む私たちの日常の出来事を示すもので、全ての勝利は主から来ることを預言しているのです。神様は私たちの必要を知っておられる方なのです (マタイ6:31~参照)。
1、わたしの宝となり、祭司の王国、聖なる国民となる。
 紅海を渡り、主と共に荒野を歩む民に、すばらしい約束を与えて下さったのです。それは、荒野を歩む民ではあるけれども、神様にとって宝物の存在となり、祭司の王国、聖なる民となるとの約束を下さったのです。それは彼らが、大きな試練を乗り越え、忍耐をもって歩んだ結果、神様の絶大な恵みを経験することが出来たからです。人は神様の恵みを知った時に、神様の御愛に触れ、神様の子とされるように、民はシナイ山で、この大きな約束と共に、神様の偉大な栄光と恐るべき威厳を見たのです。
2、神の民の生き方
 イスラエルこそ、エジプトの地、奴隷の家から導き出され、神の絶大な恵みを知った民です。彼らはシナイ山で直接神様から、神の民としての生き方が示されたのです。それは石の板に記された十戒だったのです。これは神を知らされた民が持つべき、神様に対してまた、人に対してのあり方なのです。神様に対しての宗教的律法5つ。(1)わたしの他になにものをも神としてはならない。(2)刻んだ像を造ってはならない。それにひれ伏し、仕えてはならない。(3)主の名をみだりに唱えてはならない。(4)安息日を覚えてこれを聖とせよ。(5)あなたの父と母とを敬え。父と母とは神様が人を愛するがゆえに与えた、神の代行者であって、父母を愛することは、神を愛することにもなるのです。この5つは神ご自身が、民に対して求められた、御自身に対しての姿勢なのです。唯一であり絶対的である神様に対して、決して偶像を作らず、それを拝まないことは、神様への道徳律であって、愛する者へ向けられる自然な要求なのです。それが裏切られる時、湧き上がる悲しみの感情が妬みです。神様に対しての正しい姿勢の中から、神様への尊敬と礼儀と秩序が生み出されて来るからです。これが祝福の原則なのです。(6)殺してはならない。(7)姦淫してはならない。 (8)盗んではならない。(9)偽証してはならない.むさぼってはならない。これらの5つは、神様の愛を信じる人は、他の人もまた神様に愛されていることを信じるからです。神に愛された人お互いが、愛し合う時、神様が愛された目的が果たされて行くのです。そのための、原則がここにあるのです。互いの命、また存在の尊厳を尊び合い、財産と名誉を重んじること。他人の持つ権利を保障し合うことが、神が神の民に求めておられることなのです。荒野の民だけでは無く、現代の私たちもこの原則で生きる時、神の国が立ち上がって行くのです。これは神が神の民に求められている、祝福の原則なのです。


設 問 神が神の民に求めておられる大原則は二つです。それは現代の私たちにも適用されるものです。それは何でしょうか。

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