2021年春号・4月18日成人科 ナザレン希望誌ウェブ版

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十字架なしにはみ国に入れない  民数記14:26-38 
 モーセの使命は、イスラエルの民を約束の地カナンに導き入れることでした。「約束の地」は、神の選民イスラエルが、その嗣業として授けられた土地のことであり、「カナンの土地」(出エジプト6:4、申命記32:49)「乳と蜜の流れる土地」(民数記14:8)「イスラエルの人々の領土」(ヨシュア11:22)、「イスラエルの嗣業の地」(士師記2:6)、と呼ばれていました。ヨルダン川と地中海の間にある土地に向けて用いられていました。
 民数記の中で、モーセの願いに反して、イスラエルの民が、荒れ野の厳しい状況の中で神から離れていく様子をうかがい知ることが出来ます。不満が欲望となった現れ、神を疑い、主の僕を非難し、侮り、ついに偶像崇拝に陥ってしまうのです。神は、イスラエルの民(共同体)の不平、つぶやきは、もう十分聞いた、と言い、神は「わたしは生きている」(28節)とその真実を表明され、民の言ったことを必ず実行するといわれたのです。不平を言った者、シナイ山出発前に、登録した20歳以上の男子(1:17、18、14:29、30)は、荒れ野で死んで、約束の地に入ることはできないということです。これは神に対する背信の罪の結果であります。ただし、エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアは別である、と神はいわれました。カナンにはすでに都市国家があり、特に海岸地方、ヨルダン川の低地には都市国家が蜜集していたのです。町々の城壁は高く、その住民は、巨人のようであったといいます(13:32)。小家畜飼育者、遊牧の民イスラエルにとっては脅威であったのかもしれません。カナンの地を偵察した(13:27-33)12人のうち、カレブとヨシュアを除く、10人は、悪い情報を流し、それを聞いたイスラエルの人々は、怖気(おじけ)づき、神を疑ってしまいました。悪い情報を流した者たちも、疫病にかかって死んだのです(37節)。恐れていたイスラエルの民に、ヨシュアとカレブは「もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう。ただ、主に背いてはならない。―――主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない。」(14:8,9)と語ったのです。真実な神の約束があり、イスラエルの民は、もっと早く約束の地に入れるはずでしたが、悪い情報を恐れ、不安になり、カナンの地に入ることなく40年間の荒野の生活を余儀なくされてしまいました。神に対する不信仰と不従順の結果は極めて厳しいものでした。イスラエルの人々は強大と思われたカナンの人を見て恐れエジプトを思い、カレブとヨシュアは神を見て約束の地カナン侵入を希望したのです。「わたしは生きており、主の栄光は全地に満ちている。わたしの栄光、わたしがエジプトと荒れ野で行ったしるしを見ながら、十度もわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者はだれ一人として、わたしが彼らの先祖に誓った土地を見ることはない。わたしをないがしろにする者はだれ一人としてそれを見ることはない」(14:21-23)、と神は言われたのであります。更に民は、荒れ野を行かなければなりませんでした。この荒野の40年の神の導きと、民のつぶやき、そむきが、聖書の他の箇所に戒めとして、教訓として記されています。民数記26:63-65、詩編95:9-11、エゼキエル20:15-17ヘブライ3:7-11,15-19.ユダ5などです。神へのつぶやき、不信仰、不従順そしてそむきが如何に大きな結果を招来するかということであります。

  「設問」 不信仰に陥らないようにしたいものですが、わたしたちはどのような時に神につぶやき、不満を持ち、疑ったりするのでしょうか。

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