2020年夏号・小中高科8月9日(平和主日) ナザレン希望誌ウェブ(テスト)版

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■ 説教準備のためのテキスト研究
平和を実現する  マタイ 5:9、43-48
伝えるポイント:戦争は神のみ心ではない。にもかかわらず、どうして戦争は起きるのだろうか。(戦争体験者に聞こう)

 平和を願う者は多い。しかし平和を作り出す人は少ない。それが可能になるのは、自分の罪を認め心から悔い改め、イエスの十字架の血潮によるきよめと、聖霊によって新しく生まれ「神の子」とされることによってだろう。そして、イエスのように生きることによってであろう。私たちは平和を実現するために何ができるか。
 まず「平和」の概念を考えてみたい。
 聖書における「平和」とは「シャローム」という言葉で表されるが、これは全人的な概念である。身体的なこととして考えるのならば「健康」という意味だろうし、心ととらえるのならば「平安」、また人との関係や、国同士の関係とみるのならば「平和」と言うことが出来るだろう。
 「積極的平和主義」は、世界的に著名な平和学の研究家であるヨハン・ガルトゥング博士が提唱した理念である。「平和」=「戦争がないこと」ではないと気付かせてくれる。彼は、戦争は起きていないとしても、貧困や抑圧、環境破壊などの「構造的暴力」が存在する状態を、「消極的平和」
(Negative Peace)と定義した。これに対し戦争がないだけではなく、かつ「構造的暴力」も排された真に人々が平和である状態を「積極的平和」(Positive Peace)と説いた。まさにシャロームの概念である。
 ある国では武力によって平和を保とうとすることを「積極的平和」と呼んでいるが、まったく逆の用法である。
 「目には目を、歯には歯を」は出 21:24やレビ24:20等に出て来る規定であるが、元々はハムラビ法典(BC18世紀)にまでさかのぼる。これは同害報復法(同等復讐法)と呼ばれ、その意図は、際限のない復讐に歯止めをかけることにあった。しかし実際には逆に「報復の根拠」となっていた。
 それに対しイエスは「無抵抗」を説く。いや、それ以上のことである。「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」と言われる。イエスは、暴力の連鎖を断ち切り、平和を実現するためには、復讐しようとする思いから解放されて、人間の良心に対して訴えかける方法を示された。
 「だれかがあなたの右の頬を打つなら」、これは「神がご存知だから、耐え忍びなさい」でもなく、「復讐は神がしてくださるから、あなたはそのままでいなさい」でもない。「左の頬をも向けなさい!」と命じるのである。
 下着(服、チュニック)は、複数枚持っているので担保に要求されることがあったが、上着(コート)は夜具にも使われ、これが無いと凍え死ぬ場合もあるので、質にとることが禁止されていた(出22:26-27)。しかし下着を求める相手に対して、上着すらも差し出していくことを、イエスは求める。
 またローマ軍によって荷物運びのために突然徴用されることは、当時のユダヤではありうることであった。しかし、ただ徴用としての義務の距離〈1ミリオン〉を行くだけでなく、それ以上のことをするなら、それは義務ではなく愛の行いと変わるのである。
 イエスが示すのは、社会における悪や不正を放置せよという意味ではない。イエスご自身、役人による不当な平手打ちに抗議した(ヨハ 18:23)。いわゆる不正に対して毅然とした態度、「不服従」のあり方である。
 どんな人も自分の仲間であり、自分にとって益となる者に対しては愛を示す。それは自己愛と同等である。しかしイエスは「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と勧める。それは、人を分け隔てしない神の愛に倣うことである。
 神の示された愛は、敵を愛する愛である。「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。…敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。」(ロマ5:8、10)
 神の子とされたキリスト者は、父である神に似て、相手によって自分の態度を変えない「完全」な愛を持つ者と変えられる。
 しかし、それを実行するのは本当に難しい。だからこそ、私たちには聖霊の助けが必要なのである。

【参考のために】
『平和つくりの道』ロナルド・サイダー著、いのちのことば社、
『愛する人が襲われたら』J・H・ヨーダー、新教出版社

■ 中高科
平和を実現する   マタイ 5:9、43-48
伝えるポイント:戦争は神のみ心ではない。にもかかわらず、どうして戦争は起きるのだろうか。(戦争体験者に聞こう)

説教にあたって
 神さまのご性質は「愛」であること。イエスさまは父なる神さまと同じ性質を持っておられました。自分に敵対する者にも忍耐を持って愛を示しましょう。「平和を実現する」ことを妨げていることとは何でしょうか?

説教例
 8月は日本では広島(8/6)、長崎の原爆の日(8/9)があり、8/15が終戦記念日に当たっているため、戦争や平和ということを考えないわけにはいかなくなります。第二次世界大戦が終わり、多くの国や街々が荒廃し、何十万という人びとが亡くなりましたが、今も地上に平和を作り出すことは大変困難な状況だと言えるでしょう。日本にも、世界でも平和のために活動している多くの方々がいらっしゃいます。キリスト教界であれば、マザーテレサやヨハネ・パウロ二世の働きなどがよく知られているかもしれません。しかし、「平和を実現」しようとすれば、どこか紛争地帯に出て行って具体的な活動をしないといけないのでしょうか?もちろん、そういう尊い働きをしておられる人は日本にも世界にもたくさんいらっしゃるでしょう。でも、みんながみんなそうした働きに身を投じることはできません。とくに、イエスさまがここで教えておられたのは、弟子たちや当時のふつうの人びと、むしろ貧しい人びとでした。この人びとはきっと、日々、心に不満や悲しみ、怒りなど満たされない思いを抱えて生きていたことでしょう。しかし、イエスさまが来られて、各地の会堂で神の国の福音を語られ、たくさんの病人や苦しむ人を癒されたのを見て、次第に人びとの心は変わり始めます。彼らは心に何かあたたかいものが流れこんできたような気持ちになりました。そうです、イエスさまの人格にふれて、本物の愛を感じたのです。
当時のイスラエルにも律法があり、宗教指導者がいましたが、民衆を救うことができませんでした。なぜなら、本物の愛がなかったからです。その時代は「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられていました。しかし、誰かを、また他民族、国々、他の宗教の人びとを敵として憎しみあっていたならば、地上に平和が訪れる日は来ないでしょう。イエスさまはこう教えられました。

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と。それが、天の父の子(神の子)となるためである、とおっしゃいました。天の神さまは悪人にも善人にも、誰にも公平に太陽や雨の恩恵にあずからせてくださいますね。なぜなら、神さまはあわれみ深く、愛のあるお方だからです。さらに、イエスさまは言われます。「あなたがたの天の父が完全であるように、完全な者となりなさい」と。むずかしいですね。しかし、ここではイエスさまは完全無欠な人間になりなさい、と言われたのではありません。天の父のように愛において純粋で、あわれみ深い人になりなさい、と勧めておられるのです。あなたの周りに困っている人、誰かの助けを必要としている人はいませんか?まずその人の隣人となりましょう。あなたの周りから平和を作り出していきましょう。

■ 小学科
平和を実現する   マタイ 5:9、43-48
伝えるポイント:戦争は神のみ心ではない。にもかかわらず、どうして戦争は起きるのだろうか。(戦争体験者に聞こう)

説教にあたって
 敵をも赦す奇跡は、自分の力ではなくキリストの十字架と復活を信じることによってのみ可能となることを伝える。

説教例
 意地悪をされたり、嫌なことを言われたりしたらどうしますか。イエスさまを信じている私たちはどうしたらいいのでしょうか。イエスさまはこうおっしゃいました。敵を愛し、自分を迫害して苦しめる人のためにも祈りなさいと。でも意地悪をする人、悪口を言う人のために祈ることなど出来るのでしょうか。でもイエスさまを救い主として信じている人は、みんな神さまの子どもです。更に敵を愛し迫害する人のために祈るなら神の子として相応しくなるのですとおっしゃったのです。でもこれは何をされても言いなりになることではありません。嫌なことは嫌だと言い、神さまから知恵を頂くことも大事です。イエスさまはおっしゃいます。「天の父なる神さまは、どんな人にも同じように愛して下っておられます。天の父なる神さまが完全な深い愛を持っていらっしゃるように、あなた方もそのような人になりなさい。これが神さまの本当の御心ですよ」。そんなこと出来るかと嘲笑い「自分たちは正しい。お前たちは間違っていると」と罵り合い、自分たちのやりたい生き方をした先には戦争が待ち構えています。でもそんな争いの中で神さまの愛と力を頂いて奇跡の人生を歩んだ人がいたのです。
 本来なら今日は東京オリンピックの閉会式が行われるはずでした。1924年の大会はフランスのパリで開かれました。この大会の陸上競技金メダリストとしてスコットランド人のエリック・リデルという人がいました。オリンピックのあと宣教師となり中国でイエスさまを伝えたのです。でも戦争になって日本軍に捕らわれ敵国人収容所に入れられてしまったのです。その中で一人の 17歳の少年と出会いました。リデルは彼にイエスさまが伝えた「敵を愛し、迫害す者のために祈ること」を教えたのです。でも少年は敵の日本兵を許すことはできませんでした。やがてエリック・リデルは 43歳の若さで天に召されたのでした。
 リデルが死んだ後、少年は心の中で「日本人のために祈りなさい」と神さまから促しを受けたのです。嫌だったけど、その祈りをすることにしたのです。それは本当に悔しく苦しい祈りだったでしょう。祈っても日本兵の態度は変わらない。しかし彼の心から憎しみそして怒りが消えてしったのです。そして救われたのでした。この少年は後に宣教師となって日本に来たのです。長い間、イエスさまを伝えたのでした。
 あなたが誰かを憎み、恨み、また苦しんでいますか。それならイエスさまを通して神さまを信じてみませんか。イエスさまはあなたのそのような思いのために十字架にかかって死んで下さったのです。でも三日目に蘇られて天に昇られました。これを信じるならあなたは救われるのです。そしてこの少年のように敵さえ赦して愛するという奇跡を受けることも可能となるかもしれないのです。


■ 小学科ワーク

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