2020年秋号・10月11日(ナザレン日)成人科 ナザレン希望誌ウェブ版

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地の果てまで主の証人となる   使徒言行録 1:8

 この日は、アメリカにおいて、ナザレン教会が誕生した記念日とされています。すでにナザレン教団の発祥の歴史的経緯についてはすでに周知のことと思います。ここでは信仰共同体としての教会発生の在り方と教会が担うべき福音宣教について考えていきましょう。
 ここに与えられたみ言葉は、先に与えられたイエスの福音宣教(イエスの十字架と復活の出来事を含めて)の集大成としての第一巻の続きとして、完結に総括の言葉とするために記されたものだと考えられます。(使徒言行録 1:1、2) この第1巻とはルカによる福音書のことを指しており、このことはほぼ定説となっています。
 今回のみ言葉は、ルカによる福音書24:45-49のイエスの発言を受け継いで記されたものだと考えられます。ルカによる福音書が最終的に示したのはなんであったか考えるときに、イエスによって伝えられた福音が、イエスの十字架と復活の出来事によって最終的に具体的な形で示され、そのことを証言の言葉として世に伝える使命が起こされていきました。イエスの弟子たちを中心とした信仰共同体に主の証人としての宣教への望みが与えられたのは、イエスの生きざまを目の当たりにした者たちにとっては、ごく自然な成り行きだったと思われます。
 しかし、望みは単なる望みにすぎず、その望みが幻(ヴィジョン)を生み、具体的な形で実現に至るためには、甚大なエネルギーが求められます。いつの時代もいかなる者たちにあっても望みは単なる望みに終わってしまうのがほとんどです。
 しかし、聖書の中で語られる望みは単に望みに終わらないのが常です。イエスの昇天後の弟子たちの間に芽生えた主の証人としての信仰を継続していくために、望みを結集力に変え、大きなエネルギーを生み出すためにルカによる福音書24:45-49の言葉は主から語られた至上命令として書き記す必要がありました。最終的にこの言葉がイエスを中心とした信仰共同体としての総括の言葉として幻(ヴィジョン)を生み出していったのです。
 このルカの言葉は、今回与えられたみ言葉に繋がり、引き継がれていくことになります。幻(ヴィジョン)が与えられても、そのままで実現に向かって働き、動き始めることにはなりません。そのことが可能になっていくためにも、さらに大きなエネルギーを要します。これが聖霊降臨を引き起こし、さらに強力な信仰共同体となり、宣教集団として具体化していくのです。
 この聖書の中に描かれた信仰共同体としての宣教集団発生の経緯は、今の教会が組織化され宣教集団として働き始める基本的なプロセス(経過)だと言えるのかもしれません。
 一つの教会が生み出されるためにこのように大きなエネルギーを求められるのですか
ら、私たちの信仰こそが基本的な基礎としてしっかりしていなければ、と思うのは筆者だけではないはずです。

【設問】それぞれの教会の歴史的な経緯を率直に話し合ってみましょう。

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