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『フィクショニック』と芸人

初めまして、おーしゃんです。

前回のnoteで『フィクショニック』という新概念を提唱させていただきました。今回はこの概念を踏まえて、芸人の話をさせていただきます。

前回のnoteはこちらからご覧ください。



芸人という肩書

突然ですが、あなたはおもいで財閥という芸人をご存じでしょうか?

吉本興業に所属するこちらのコンビですが、見た目や設定やキャラクターなど、とにかくフィクショニックです。

僕はこの芸人を知って、ある事実に気が付きました。

「芸人とは、フィクショニックであり続けるために必要な肩書である」

例えば、おもいで財閥が「おもいで財閥」として存在するために、芸人以外に何か肩書はあるでしょうか?

まず2人1組である以上、コンビとして活動できなければいけません。そのうえ設定やキャラクターを保つ必要があることを考えると、芸人しかありません。

つまり、おもいで財閥が「おもいで財閥」というフィクショニックな存在であり続けるために存在する唯一の肩書が芸人なのです。

おもいで財閥は極端な例ですが、そもそも芸人とは見た目や設定やキャラクターなどを保つ性質があるため、無条件にフィクショニックになりやすい存在です。たとえ正統派漫才師であってもフィクショニックになり得ます。


芸人とオタク問題

ところで、芸人といえば「顔ファン」「ワーキャー」など、芸人をお笑い以外の視点で好きになるオタクの存在が疑問視されています。

しかし、前述の通り芸人とはフィクショニックになりやすい存在です。オタクはフィクショニックな存在が好きですから、フィクショニックさを求めて追いかけた末にお笑いという世界にたどり着くのはごく自然なことだと言えます。

僕はこの「フィクショニックな芸人とお笑い」の関係を「サメと海」のようなものだと考えています。

海に棲んでいる魚やアクティビティを楽しむ人間にとって、サメは不必要な存在です。しかし、サメには海しか居場所がありません。しかも、サメはかっこよく、好きな人も多いです。フカヒレやキャビアなど、サメからしか得られない食材もあります。

フィクショニックな芸人も、他の芸人やお笑いファンからすれば不必要な存在かもしれません。しかし、フィクショニックな芸人にはお笑いしか居場所が無いのです。そして、オタクはフィクショニックな存在が大好きです。フィクショニックな芸人からしか得られない栄養もあるでしょう。

このように、お笑いには不必要と思われるフィクショニックな芸人にはお笑いが必要なのです。


まとめ

長々と話して来ましたが、結局何が言いたいかと言うと、こういうことです。

芸人にそういうファンができるの許してあげて

芸人は「フィクショニックさ」というオタクが大好きな性質を持ちます。これは仕方がないことなのです。否定もできませんし、否定したところでどうにもなりません。なので、許してあげてください。

おもいで財閥さんも、もっとオタクを喜ばせてください。よろしくお願いします。

それでは。

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