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月々さんを救いたい。
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初めまして、おーしゃんです。
『救いたい』シリーズの第4回ですが、今回はかなり「応援したい」寄りの内容となっています。どうか食わず嫌いせず、最後まで読んでいただけるとありがたいです。
(このシリーズを始めて読まれる方はこちらをご覧ください。)
月々さんを救いたい。
さて、今回は月々さんという方を取り上げます。
月々さんは、2022年にABEMAの番組にて挨拶絶対主義に疑問を持つ20代男性として取材を受けた方で、2024年6月7日にとある方が投稿した上の動画の切り抜きツイートを発端に多くの人からの注目を浴びることとなりました。
ぶっちゃけ、仕事ができない人ほどこういうの熱弁しがち。 pic.twitter.com/dlvydlkZka
— まったん|テレビ屋 (@media_jtc) June 7, 2024
このツイートには多くの意見が寄せられ、そのほとんどが「挨拶をしない奴は仕事もできない」などのように、月々さんを非難するものでした。
しかし、この件に関して重大な勘違いをしている人が多く見受けられ、本人も困惑している様子です。
今回はそんな月々さんを救っていきます。
重大な勘違い
まず知るべきは、月々さんは「挨拶をしない人」ではないということです。
ぶっちゃけ、仕事ができない人ほどこういうの熱弁しがち。 pic.twitter.com/dlvydlkZka
— まったん|テレビ屋 (@media_jtc) June 7, 2024
改めてこの映像を見てみると、テロップで「〝否定派〟当事者に聞く!挨拶の嫌なところは」と書かれており、まるで月々さんが挨拶自体に否定的であるかのような演出がされています。
しかし、月々さんはこれを受けて以下のように弁明されています。
アベプラさんの取材にて「挨拶する/しない」の議論でぼくが喋った内容は以下の通り。
— 月々 (@tkdk_moon) October 15, 2022
①挨拶するかしないかは相手が決めることであって相手の課題。これは『嫌われる勇気』の「課題の分離」の考え。自分ができるのは自分が挨拶するか、しないかの2択。他人が挨拶するかしないかは他人が決めること。
②挨拶しない自由がある。靖国参拝しない自由、「いただきます」を言わない自由も。ただ、ぼく個人は挨拶するし、毎週神社に行ってるし、食事をするときは命をいただくことに感謝の気持ちを込める。でも、それを他人に押し付けようとは思わない。
— 月々 (@tkdk_moon) October 15, 2022
③そもそも道徳や礼儀とは内発的なものであって外発的なものではない。つまり、内側から自発的に湧き出てくる気持ちがカタチとなって現れるものが道徳や礼儀。誰かから押し付けられて行うものは道徳でも礼儀でもなんでもない。そこが道徳と宗教の違いでもあると思う。
— 月々 (@tkdk_moon) October 15, 2022
④人によって「挨拶する/しない」の判断基準も違う。たとえば、他の部署の人やさっきすれ違ったばかりの人に挨拶すべきか?ぼくは以前上司に入退室ごとに挨拶しろと怒られたことがある。その上司にとってはぼくは「挨拶しない人」という部類だったのだろうが、ぼくは自身を挨拶する人だと思ってた。
— 月々 (@tkdk_moon) October 15, 2022
つまり、月々さんが取材で話した本来の意見というのは「挨拶は内発的な気持ちの表現であり、個人の意思に基づくものだと考えている」というものだったのです。
決して「挨拶をしたくない」と言っている訳ではなく、不必要な挨拶の強要、義務化に対して疑問を呈していたということです。
月々さんは礼儀を疎かにしているどころか、礼儀に向き合っているからこその問題提起をしていたということを理解すべきです。
「問題提起」に対する反応
さて、ここでは一旦「挨拶絶対主義」の是非については置いておきます。
僕が気になったのは、月々さんの問題提起に対する反応です。
月々さんは「『挨拶は必要だ』という考え方」の見直しを提起しています。これに対して「挨拶は必要だ」という反応が多く見受けられますが、これは反応として適切ではないように感じます。
では、今回の問題提起における「挨拶は必要だ」を「机は大きい」に置き換えて考えてみましょう。
月々さんは「机は大きい」という考え方の見直しを提起しているので、これに対する反応として適切なのは「○○だから『机は大きい』という考え方は適切/不適切だと思う」というようなものになるはずです。
しかし、今回の件において多く見られる反応は「机は大きい」というもので、議題となっている「『机は大きい』という考え方」という土台から降りていない上に断言してしまっているのです。
月々さんが求めている反応は「『挨拶は必要だ』という考え方」の是非とその理由であり、その論点を無視して「挨拶は必要だ」という反応をしている以上は議論が成立しません。
分かりやすく言うと「○○だから挨拶は必要/不必要」という反応を求めたら「挨拶は必要だから○○」という的外れな反応しか返ってこなかった、ということになります。
ちなみに、様々な反応の中には「顔」という単語を含む純粋な悪口も見受けられました。本当の意味で礼儀に向き合っているのはどちらでしょうか。
挨拶は必要なのか?
ここからは余談になりますが、せっかくなので「挨拶絶対主義」の是非についても考えてみようと思います。
結論から言うと、僕も反対です。
こう言うとやはり過激な意見に聞こえるかもしれませんが、本質を捉えるまで冷静になりましょう。
月々さんと同じ意見になりますが、そもそも挨拶とは内発的な気持ちの表現です。礼儀であり儀式ではありません。
例えば、近くの人に「ティッシュ取って」と頼み、ティッシュを取ってもらったとき「感謝」の気持ちが内発します。それを表現する目的があり、初めて「ありがとう」という挨拶を行います。
このように、本来の挨拶は決して誰かによってプログラミングされたものではなく、人とのやり取りの中で自然に発生します。
しかし、礼儀というものは長い年月を経て形式化されるようになりました。
「老人に席を譲る」はその代表でしょう。バスや電車で座っていたら老人が乗ってきて、自分が座っていた席をその老人に譲るという行為は、昔から今に至るまで礼儀の一つとして存在しています。しかし、その過程でこの行為はいつしか「礼儀クラウド」によって人類間で共有される一種の「礼儀フォーマット」のようになり、内発的行為ではなく外発的行為に、礼儀ではなく儀式に姿を変えつつあります。
とはいえ、この行為の必要性に変わりはありません。しかし、挨拶の必要性はTPOに合わせて変化します。
「礼儀フォーマット」としてコミュニティ内で共有されるようになった挨拶の中には、もしかしたら中身のないただの儀式が存在しているかもしれません。そして、それを他人に強要する必要があるかといえばないと思います。
そういったものも含めて挨拶を一緒くたに「必要なもの」として扱う、即ち「挨拶絶対主義」を、僕は疑問に思います。
僕なりの結論
今回月々さんが多くの人からの非難を浴びてしまった大きな要因として、やはりABEMAの切り抜き方があるでしょう。
重要な意見を省き、イメージを歪めてしまう演出を加えれば本人が意図しない受け取り方をされてしまうのは必然です。
そして、顔を出してまで自分の考えを真剣に語った月々さんに対して、顔を出さずに感情に任せた悪口を書き連ねた人々も、注意が必要だと考えます。
女は生まれつき道徳を持たない。道徳とは睾丸のライディッヒ細胞が生み出すものだからだ。とは言え、女が道徳を身に付ける方法が一つだけある。それは男児を孕むこと。チンポには女をヒューマナイズする力があるのである。近年のフェミニズムの勃興はチンポを挿れて躾けない男性にも大きな責任がある。
— 月々 (@tkdk_moon) October 31, 2023
また、今回の件をきっかけに月々さんのこちらのツイートも注目されているようです。このあたりの話は僕の管轄外なのでコメントできませんが、何においても思考を放棄してファーストインプレッションに任せた行動をとるのはやめましょう。
最後に
確かに挨拶は大事です。しかし、本質的に何が大事なのかを理解できていない人も多くいるのではないでしょうか。インターネットの見すぎで疲れてしまった方は、一度外に出て散歩でもしてみましょう。ついでにご近所さんと挨拶をして、心を落ち着かせてみてはいかがでしょうか。
それでは。
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