操られて、導かれてゆく、作為在る方へ。

夢見た国は何処にあるのだろう。
俺はいま何処にいるのだろう。

俺は戦争を経験していない。
敗戦前後、時代によって国がどう変わったのか、学校の教科書や資料で読んだ程度の付け焼き刃程の知識しかない。

何故なら現代を生きている人たちは戦争を経験していないのだから。そして伝言ゲームというものは進めば進むほど、真実から遠ざかって行くものである。
かつては黒さえ白にしてきたであろう歴史を持つ国であり、そもそも国とは大概そういうものである。

国政や翼の左右の話をしようというのではない。
生きる上で全てのファクターを孕んだ壮大な計画の話だ。

感じているはずだ。
おかしい。何かが、おかしい。

普通ではないのだ。全てが。
では、全てが普通に感じてしまうのは、何故か。
それは一つの意思、作為的なベクトルが同じだから人はそれを不自然に感じない。

分かりやすく言うと、最初から作り物しか知らなければ、作り物だという事すら気付かないのだ。

そういった自然的でない事が不自然な事だと云うのに、必ず来るであろう不確定な安全な明日の為に、人間の尊厳を安く切り売りしている。

それはもはや人間なのだろうか。否、それこそが人間なのだと。

ニュースやメディア、ネットワークなど溢れんばかりの有りとあらゆる情報を餌に、私達を渦に引き込んで行くだろう。

私達は、常に操作されている。
そこには例外はない。
a〜zに収まる程度の範疇で把握されているし、同時に誘導されている。
人間が測れない宇宙のそれに似ているが、宇宙すら何らかの作為があった事から誕生したと仮定すると、偶然なんて事象は1つもない事になる。

緻密なパーツを集めて巨大な宇宙船を創る様な話、まるでラプラスの悪魔の様な計画に寸分の狂いはなく、システムは現在も運転中なのである。

そこまではいい。問題は何処に向かっているのか、目的と役目、その過程にある。
俺たちは巨大な実験ケージの中にいて全ての事象の検証に人生を費やすのだ。
それを観察、記録する者はいるかも知れないし、いないかも知れない。
または、その記録者が地球や太陽そのものなのかも知れない。

人為的、或いは自然的、どちらにも意思が働き成るべくして操作されて行く。例外はない。ただ検証パターンaが生まれるだけだ。

こんな現世に偶然は果たして存在するのだろうか。歩みたくないレールを飛び出した誰かも、そのままの道を真っ直ぐ歩いた誰かも、全て例外はなく、意思のままに「そう」なって行く。
そう成るべくして。

そんな事を考えていたら日が昇って朝が来る。
またSNSが活発に動き出し喜劇や悲劇で踊る。
自然的でも人為的でも、不幸でも幸福でも、悪でも正義でも、成るべくしてそう成る。
今までそうあったように。

これもまた変わる事のない予定通りの未来。
監視を逃れ暗示の外に出た所で、
それもまた変わる事のない未来になる様に。

私たちが住んでいる国は関係ない。

それは日本だけの問題ではないし、全ての人と人とが手をとり生きていかなければ、自然は愚か抑止力には勝てないのだ。共存などは夢のまた夢である。

抗えど抗った分だけ、作為ある方に引きずり込まれてゆく。それが神の意志なら、人はもっと内に入らなければならない。思考のもっと奥へ、もっと奥へと。

その意識体と魂が点に凝縮された時、時間すら超越できる存在に、人は昇華するのだろう。

そんな事も有象無象関係なく、今日も巨大なケージは動き続ける。

観察者不在の中、全ての検証結果をシステムは傍観し記録する。

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